三冬の夢
何処(どこ)をどう逃(のが)れたのか、後になっても、よく思い出せない。
覚えているのは、断片的な映像(もの)だけ。
邸内のいたる所に、敵兵がいた。
あまつさえ、味方と思っていた者までもが、血相を変えて襲いかかってくる。
敵のお目当てを差し出して、自分の安全を図(はか)ろうという事なのか。
そういう輩(やから)を、彼は破竹の勢いで打倒して、血路を開いてくれた。
そんな彼とも、混乱のなか離(はな)れ離(ばな)れになって久しい。
後はもう、無我夢中に駆けた。
目を瞑ることもできず、地獄絵図の中を、二人して死物狂いで駆け抜けた。
「………………」
姫さまの手をキュッと握り、視線をゆるゆると持ち上げる。
気がつくと、当の川辺にいた。
二人して、へたり込んでいた。
周りに人は無い。
よく見ると、いつか紅葉狩りに訪れた場所だった。
「御髪(おぐし)……」
姫さまの髪が、真っ白になっていた。
彼女の目線で、果たして自分も同じ風(ふう)になっている事に気付く。
見たくないものを、多く見たように思う。
見てはいけないものを、たくさん見たような気がする。
“一緒に死のうか?”
いっそのこと、そんな風に提案できれば、どんなにか楽だったろう。
でも、それは出来なかった。
先刻の、彼と交わした約束もある。
何より、主を守る身の上で、彼女を傷つける訳(わけ)にはいかない。
もう、これ以上傷つけたくはない。
「………………」
着物の端(はし)を、適量になるよう千切り取り、よろよろと腰を上げる。
「…………!」
姫さまが、ギュッと縋(すが)りついてきた。
「大丈夫……。 大丈夫ですよ?」
どうにか表情を崩し、安堵を与えようと努(つと)めるものの、彼女の手は一向に離れようとしない。
仕方なく、二人して水辺まで移動し、着物の切れ端を湿(しめ)す。
それを使って、彼女の頬を拭(ぬぐ)ってあげる。
「痛かったら、言ってください」
「………………」
当の頬っぺは言うに及ばず、よく見ると身体のあちこちに、いくつもの引っ掻き傷が出来ている。
木立(こだち)の合間(あいま)を全力で抜けたのが原因だろう。
「痛くないですか?」
「………………」
水分を含んだ布切れが、浅い傷口に及んでも尚、彼女はコクリと頷(うなず)くのみで、眉を顰(ひそ)めようともしなかった。
それが余計に痛々しくて、悲しかった。
彼女と私は、まるで姉妹のようだと、昔からよく言われた。
事実、私たちは仲が良く、小さい時はよく一緒に遊んだものだった。
彼女のお父上──、我らが棟梁(とうりょう)と私の父は、単に主従という関係に納まらず、親しい友付き合いを続けていた。
私が姫さまの警護役・お付きに抜擢(ばってき)されたのには、そういう辺りに理由がある。
割合に自由の利(き)く立場から、女中にも武官にも出来ない仕事を、上手くやり遂げろという事なのか。
まったく、私には過ぎた大役だったと、御家(おいえ)を失って、よく思い知った。
“棟梁から、こんな品まで下げ渡して頂いたのに……”と、自分の左腰に意識を向ける。
当節ではまだ珍しい、反(そ)りのついた湾刀(わんとう)。
大和(やまと)に住む天国(あまくに)なる刀工が、ほんの半世紀ほど前に鍛えた作品だという。
号を“飛鳥川(あすかのかわ)”といった。
宝の持ち腐れ。
そんな言葉を過(よ)ぎらせて、はたと思い当たる。
あの同僚が私に辛く当たったのは、これが原因なのではないか。
以前、この任に就(つ)くに当たって、腕試しを請(こ)われたことがある。
おおよそ通過儀礼的なもので、武官を務めるだけの力量があるのか、それを証明しろという事だった。
観衆は一門のお歴々。
中には姫さまだって居たし、うちの父も居た。
随分と緊張したものだけど、父から仕込まれた武芸には、それなりに覚えがあったので、落ち着いて事に臨(のぞ)むことが出来たように思う。
結果は良好。
並み居る武官を負かし、鼻高々な私と父だったけど、そこで彼が名乗りを上げた。
本来なら、木剣(ぼっけん)を用いる筈(はず)のところを、本身(ほんみ)で参れと言う。
危ない人だなと思った。
彼に対する苦手意識は、そこから始まっていたように思う。
結果は惨敗。
武芸百般の彼には、どうしたって太刀打ちできなかった。
そこで、自棄(やけ)を起こした私は、破れかぶれに太刀を振るった。
当面の撃剣が祟り、握力がすっかりと萎(な)えていたもので、始末が悪い。
見事にすっぽ抜けた一刀は、彼の直刀(ちょくとう)を真っ二つにして、屋敷を囲む堅固な垣(かき)に突入。
これを自重でスルスルと割り始めた。
“なんとも面妖な大刀(たち)”と、事事(ことごと)しい噂が、瞬(またた)く間(ま)に流れた。
そんな中、彼の見解は別のところを見ていたように思う。
力のない者が、こういった利剣を所有している。
まさに、宝の持ち腐れ。
豚に真珠とでも言いたかったのだろう。
あの時、あの刀を彼が持っていたら、果たしてどうなっていたのかなと、現代(いま)でも考えることがある。
一人でも多く、味方を生かすことが出来ただろうか?
一人でも多く、赦(ゆる)し難(がた)い敵方を…………。
「………………」
ふと、嗚咽(おえつ)を聞いた。
見ると、姫さまが泣いていた。
布切れを投げ出し、肩を抱く。
二人して、声を上げて泣いた。
足元に散らばる菓子を見て、また泣いた。
今朝方、彼女のお母上に頂いたものだ。
土地の産物をふんだんに使った、甘い豆菓子。
あの時は、知る由(よし)も無かった。
今日が、こんな一日になるなんて。
今日が、互いに人間として暮らす最後の日になるなんて、思いもしなかったんだ。
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