3-2


 ケディンに連れられて青宮に戻ったところで、ナイティスはクランに出くわした。悄然として言葉もなくケディンの後を歩いていたが、すらりと背の高い騎士の姿を目にし、ぎくりとして立ち止まった。

「青宮にこんな可愛らしい小姓がいたかと、目を疑いました」

 クランは笑いかけてきたが、ナイティスの長い睫には今にもこぼれそうな雫がたまっていた。もの言いたげだったケディンは、向かい合うふたりのそばをそっと離れて行った。

「ケディンとどこへ行かれたか、私は知っています」

 ナイティスはうつむいた。クランも自分の行き先を知ってしまったらしい。青宮の小姓の衣装を借りたことから、情報が漏れたのだろうか。

「あんな怪しげなところまで行って、よくご無事だったことです」

 クランの言葉に、ナイティスは何も返せない。

「実際に目にした光景に衝撃を受けられたのですか?」

「……」

「ケディンに叱られたのでしょうか?」

「……私はケディンを傷つけてしまいました」

 あの館で目にした光景をどう説明してよいか、ナイティスには分からなかった。なぜこんなに胸が痛むのか。種器の青年から投げつけられた言葉のせいなのか。苦しげだったケディンの様子の方なのか。

「ナイティス様はなぜ、あのような宿にいる種器の暮らしぶりを見に行こうとされたのです?」

「私は……自分が本の中の知識しか知らず、何も現実を知らず、頭でっかちにものごとを進めているのではないかと思い、実際に種器の者から話を聞いて――」

 ナイティスは口をつぐんだ。確かに自分は、このソディアにある現実を知らなかった。淫売宿の荒んだ光景、身を売って生きる種器から向けられたむき出しの敵意、そしてケディンの静かな自分への怒り。

「実際にご覧になって、知りたいことは納得がいきましたか?」

 クランの問いかけは優しく、ナイティスを責めるようなところはない。しかし言葉のひとつひとつに胸を刺されるような思いがして、目の奥が熱くなり、目が潤んでくる。ナイティスは必死で涙をこらえた。 

「……自分の思慮の浅さに気がつきました」

 クランは澄んだ褐色の目で続きを促した。

「私が行ったところで、今あの場所にいる種器の者の力にはなれない。むしろ怒りをかき立てるものでした。ケディンにも叱られました」

「それにお気づきになられたのは良いことです。しかし私もまた、ナイティス様をおいさめしなくてはなりません」

 クランは静かな口調のままだったが、笑みは消えていた。

「目的はあるとはいえ、シグレス様に内密に、ケディンとふたりで下町に忍んで出かけられた。しかも行った場所が場所です。それは王子の妃のふるまいとして、いかがなものでしょうか」

 ナイティスは消え入りたいような心地で身を小さくした。

「物騒なところに行く身の危険があるだけではなく、口さがない人々に知られては、騎士との間柄も疑われることになるのです。世間には夫公認で、騎士との仲を隠さない貴婦人もいらっしゃいます。しかしシグレス様は違うでしょう」

「今日のことはシグレス様にすべて打ち明けて、謝罪し、許しをいます」

 しばらくしてか細い声で言ったとき、ナイティスはクランの顔を見ることもできなかった。諫めながらもクランの目が、優しく自分に注がれていることにも気がつかなかった。

 夕方になって青宮に帰ってきたシグレスを出迎えるときにも、ナイティスはいつものように笑顔になれなかった。白王宮から帰ってきたシグレスには、ケディンが付き従っていた。ナイティスは思わず目を伏せた。

 シグレスの居室でふたりきりになったときも、ナイティスは彼と視線を合わせることができなかった。彼がじっと自分を見つめているのを感じ、ナイティスは頬が強ばった。シグレスは厳しい眼差しのまま唇を開いた。

「お前の冒険の話は、ケディンからあらましを聞いた」

 ナイティスの心臓はどくんと大きく音を立てた。

「ケディンは、そんな行動は止めるべきであるのに、自分が連れ出してしまったことを、俺に繰り返し詫びていた」

「お、お詫びしなければならないのは、私です、シグレス様にも、ケディンにも――」

 ナイティスは血相を変えて言った。血の気が引いて指先がどんどん冷たくなっていく。

「お前が種器の者の暮らしをどうしても見たいと言うから、つい連れて行ってしまったけれど、店にいた種器の者の言葉にお前が衝撃を受けて苦しんでいないか、申し訳なく心配でたまらないと言っていた」

「私は自分の意志で行こうとしたのです。巻き込んでしまったケディンが、そんなふうに思う必要はありません。も、申し訳ないのは私で」

 そこまで言うと喉がつまった。胸が刺されるように苦しくなって、涙がこぼれそうになる。

「ケディンは悪くありません。私がシグレス様にお詫びし、お許しを願いたいのです――申し訳ありません」

 ナイティスは膝をついて深く頭を垂れた。とうとう、ぽろりと涙の雫が頬を落ちる。シグレスの手が俯く頬を挟んで、顔を上に向かせた。

「あいつはいつの間にか、心の底からお前の騎士になっているのだな」

 思いがけないシグレスの言葉に、ナイティスははっと視線を合わせた。厳しかった碧い目が幾分か和らいで見えた。

「お前の願いをかなえることに必死になりすぎ、本来の使命を忘れ、お前の身を危険にさらしていたと、あいつはお前をかばう言葉しか口にしない」

 シグレスが自分に対するケディンの想いを知っているのか、ナイティスには分からなかった。今はそれをシグレスに直接訊く勇気も出なかった。

「それにクランからも言われたな。すでに自分からも諫められて悄然としているので、これ以上あまり責めないようにと」

 ナイティスは激しく首を横に振った。

「いえ、悪いのは私です――。私がケディンにあのようなことを強いてしまいました。ケディンに申し訳なく――」

 シグレスも膝をつき、腕を回してぎゅっとナイティスの体を抱きしめてきた。驚きで身を強ばらせていると、低い声が耳元でささやく。

「お互い、かばい合い過ぎるな。俺が嫉妬するぞ」

 シグレスの思いがけない言葉にナイティスは動揺し、耳に触れそうなところにあるシグレスの唇からかかる息に、ぞくりと身を震わせた。

 昼間の種器たちの宿の匂いや淫らな光景に反応するまいと押さえつけていた官能が、ゆっくりとほどけていくような気がした。青ざめていたナイティスの頬に血の色が戻ってくる。

「……シグレス様が嫉妬されるようなことは何もありません……」

「ではそれを証明してくれ」

 証明……? シグレスを見つめたナイティスは、おずおずしながらも、そっとその唇に唇を寄せた。吐息が混ざり合い、呼吸がせわしなくなる。ひそやかな濡れた物音は、晩餐を告げる侍女の声がするまで止まなかった。


   ***


 白王宮の正妃が主催する、王侯貴族の夫人や姫君が集まる午餐の会があるという。その存在を知ったとき、ナイティスは正直なところ出席は遠慮したかった。というより、宮廷の女性たちの集まりであり、王子の妃ではあるが種器の男である自分は招かれないと思っていた。

 ナイティスは白いカードにある、正妃の印である華麗な百合の花の紋章を見つめた。ナイティスをその午餐の会へ招待するものだった。供は連れていくが、おそらく客間の中には立ち入れまい。宮廷中の貴婦人が集まるこの会に出席するときには、自分ひとりになってしまうのだ。

 ナイティスと同じ種器の男である青宮妃レイユスは、この正妃の催す集まりには参加していないと聞く。しかしレイユスは耳と言葉が不自由で、通常の社交の場に出ないことについて周りの人々もとがめはしない。

 それにレイユスはオーラン王家の出身の妃であり、正妃といえども彼には直接意見することはできないであろうと、ナイティスは思う。それに比べると自分は身分も低く、レイユスのように振る舞うことは許されないだろう。

 悩んだ挙句、ナイティスは午餐の会に出てみることにした。自分の我儘(わがまま)で正妃からの招待を断り、万が一、王宮でのシグレスの立場を悪くすることがあってはならない。「無理して出る必要はないだろう」とシグレスは無造作に言うのだが。

 シグレスに様子を聞いてもおそらく分からないだろうとナイティスは判断し、侍女頭のデイラに午餐の会の様子を尋ねた。デイラはつてをたどって、最新の情報を仕入れてきてくれた。

「午餐の会は正午に食前の酒と前菜から始まり、料理を食べ終わると席を変えて、夕刻までお茶を飲みながら話や遊戯をして過ごすのだそうです。遊戯は駒遊びと骨牌かるただそうでございます」

 思わずため息をついた。半日もかかるのだ。それに駒遊びも骨牌もしたことがないので、参加しても楽しめるとは思えない。デイラが気の毒そうな顔をしてナイティスを見る。

「王宮の皆様がいらっしゃるのでしょうか」

「はい。レイユス様以外の妃がたは皆お集まりになり、また貴族の夫人や姫君方もお揃いになるのだそうです」

「このように招待をいただいたのなら、出ないわけにはいかない――」

「途中で退出される方もいらっしゃると思います。レイユス様も最初の頃は出席され、食事が終わったころに途中でお帰りになられていました」

 ナイティスは華やかな席で黙々と料理を食べ、ぽつんとひとりでいる自分の姿を想像した。せっかくのお招きではあるが、中座を前提のように考えてしまう。

 ――それでも最初のお招きくらいは応じなければ失礼にあたり、引いてはシグレス様の王宮でのお立場にも関わるかもしれない。

 ナイティスは出席を決め、使者を遣わした。午餐の会への手土産には花や砂糖菓子を持って行くのだと聞き、デイラはさっそく準備に取りかかっていた。

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