2-3

 図書館の執務室で、ナイティスがタリスのために本の写しを送る手はずを整えていると、第二王子のガイナスが現れた。視界がその鮮やかなマントの朱に染まるような彼の姿に、ナイティスは思わず椅子から立ち上がり、後ずさった。

 ガイナスを見ると、シグレスと結婚する前、その宮へ拉致された忌まわしい記憶が蘇る。好色なガイナスは種器の者を後宮に集めており、ナイティスはその餌食にされそうになったのだ。シグレスの妃となった後も、いまだに彼の姿を見ると異様な緊張にとらわれる。

「お前は俺の姿を見ると、いつもそれだな。何もとって食おうというのじゃない」

 整っているが傲慢そうな笑みを浮かべたガイナスが近寄る。ナイティスは机を挟んでいるとはいえ、また一歩下がった。

「何かご用でございますか」

「そうだ。シグレスから、お前が調べ物が得意と聞いたのだ。ひとつ俺のために調べてほしいことがある」

 ナイティスは安堵のため息をついた。珍しく、ガイナスも図書館で調べたいことがあるらしい。ナイティスは彼に席を勧め、何を知りたいのか聞き取りをしようと紙を広げた。

 猛禽もうきん類を思わせる鋭い眼差しと男らしい顎の張った顔立ち、優れた武人であり王子であるガイナスのたたずまいは立派だった。ただ、ナイティスを見つめるときの目は、いつも好色な色を帯びているので、ナイティスは苦手だった。

 しかし今日は違っていて、ふだんのようにナイティスの体を舐めるように見つめもせず、一枚の紙を取り出した。

「これについて調べてくれ」

 ナイティスが目を走らせると、しっかりと角張った字で、ソディアと隣国であるグレルド、オーランの交易について調べるよう依頼が書いてあった。

 先日、シグレスに頼まれて調べたことは、最近の御前会議でのシグレスの報告に使われた。この依頼はその内容を踏まえ、さらに詳細な品目について調べることを依頼するものだった。

 ナイティスはガイナスを少し見直した。御前会議で陪席するときに見る彼はちゃんと議事を聞いているように見えないが、会議の内容に興味を持って知りたいと思ってくれるのだ。

「分かりました。この品目について、どのくらいの期間分を調べましょうか?」

「期間?」

 ガイナスがきょとんとしたので、ナイティスはいぶかしく思った。

「何年分の記録がお入り用でしょうか」

「あ、ああ、適当でいい」

 は? とナイティスは当惑して変な声を上げてしまった。自分が知りたいことなのに、適当でいいはないだろう。

「ここ五年分ほどでよろしいのでしょうか。もっと長い期間の記録が必要でしょうか」

「あ、ああ、では五年」

 いつも威圧的なガイナスにしては珍しく、しどろもどろになっている。ナイティスは続けて訊いた。今ちょうど一番自分の興味を引く、ニメイのことが書いてあったのだ。

「これはグレルドから輸入されたニメイが、加工した薬種の形で運ばれたのか、加工前の採取された形のままで運ばれたのか、またどこで加工されたかをお知りになりたいのですか」

「あ、う、そうだ」

 ガイナスらしくなく、なんとも歯切れの悪い様子だった。ナイティスはおそらく、彼は誰かから頼まれて図書館の自分の元に来たらしい、と見当を付けた。彼に対して意地悪いようだが、もう少し詳細に知りたいので質問を重ねてみる。

「ニメイについてはグレルドからの輸入だけでなく、他の国からの輸入もございます。その辺りの記録はいかがでしょう?」

「ああ、それもいる」

 うろうろと視線をさまよわすガイナスを前に、ナイティスは「調べてから赤宮にお届けいたします」とにっこり笑った。

「こんなにいろいろ訊かないと調べられないのか?」

 ガイナスがぶつぶつ言ったが、ナイティスは「調べる範囲が分からないと、ちゃんと調べられません」と涼しい顔で答えた。

 ガイナスのための調べ物はそれほど時間がかからなかった。それよりもなぜ彼がこのような質問を持ってきたのか、その背景が知りたかった。自分の質問でないことは明らかだった。自分にとって興味ないことを、わざわざ王宮図書館のナイティスのところに頼みに来た。

 ――赤宮の誰かがこのことを調べたかった、ということ?

 誰だろう? とナイティスは考えたが、赤宮については、いい思い出がなく、親しい人もいない。一番よく知っているのがガイナスなのだ。


 ガイナスからの依頼の調べものはすぐに終わり、赤宮に結果を送ってからのある日、ナイティスが書架で本を探していると、図書館の入り口付近がざわついている。ナイティスが目をやると、豪奢な濃い臙脂えんじの衣装を身につけた背の高い年配の女性が入ってきた。朱や臙脂の赤系統の服を着た者たちが付き従っている。

 ――あれば赤宮妃様! 

 ナイティスは驚いた。今まで王族の女性たちを図書館で見かけたことはなかった。たいていは宮に仕える者が、代理で本の貸し借りにくるのだ。赤宮妃はナイティスのいる書架の方に近づき、ナイティスは緊張して立ちすくんだ。

 赤宮妃はガイナスに似た鋭さのある容貌と、年配の妃らしい気品を備えた女性だった。ガイナスに似ているが穏やかな表情を見て、ナイティスはほっと息をついた。

「ガイナスを使いにしたのだが、要領を得ない。あれは苦手なことは、からきし駄目なようだ。埒(らち)があかぬので私から来たのだ」

 赤宮妃の声は低く心地よかった。ナイティスははっとした。例の調べもの、あれは赤宮妃からの依頼だったのだ。まじまじとその威厳のある面差しを注視した。ガイナスを「あれ」呼ばわりできるのは、目の前のこの人くらいだろう。

「赤宮妃様のご依頼でございましたか」

「さよう。そなたにもう少し調べてほしいことがある」

「なんなりと仰せつけくださいませ」

 ナイティスは奥の部屋へ案内しようとしたが、赤宮妃はここで良いと言い、追加で知りたいことを伝えた。ナイティスは首肯した。

「すぐ調べて明日にでもお届けいたします」

 そして気になっていたことを尋ねた。

「赤宮妃様がこのことをお調べになる理由は何でしょう」

 立ち入ったことを聞いて叱られないか、ナイティスは一瞬緊張したのだが、赤宮妃は鷹揚おうようにうなずいた。

「赤宮の領地がある、グレルド国境辺りの作物は穀物と野菜ばかりでな。その辺りの地に適した換金作物を探しているのだ」

 ナイティスが調べたことはシグレスから御前会議に報告されたが、それに関連する質問は、赤宮妃が初めてだった。

 赤宮妃は御前会議には出席していないため、ガイナスか兄の大臣から会議の議事録を見せてもらったのだろう。

 会議の議事録や話だけから状況を読み解き、自分の考えを持ち実際に動く。赤宮妃はナイティスが知っている王宮の女性たちとは違っていた。赤宮妃の行動力にナイティスは感嘆し、調べた結果を赤宮へ届けることを約束した。

「それとこの辺りの本を貸し出してもらおう」

 赤宮妃はちょうどナイティスが借りようと思って見ていた本を手にとった。赤い革で金の草花のついた装幀にしてある一群の本、それは確かシグレスの姉が好きだったものだ。

 いかにも姫君が好みそうな美しい挿絵のある恋物語の本がたくさんあり、ナイティスもその赤い装幀本を好んで借りていた。「赤宮妃様は、その本がお好きなのでしょうか」と思わず口にした。赤宮妃はいぶかしげにナイティスを見た。

「これが誰のものか知っておるのか?」

「はい。シグレス様の姉君のものだと伺っております」

「姉は姉でもこれは私の娘、ガイナスの姉のものじゃ。赤い装幀は赤宮の図書のしるし」

 ナイティスは大きく目を見張って驚いた。今まで、この本を愛読していた姫は、てっきりシグレスの同母の姉だと思い込んでいたのだ。

 それでもこの赤い表紙がシグレスの姉のものと聞いたときから、ずっと微かな違和感はあった。それが今、はっきりと分かった。赤い革の装幀は赤宮の蔵書本なのだ。

「私の娘は嫁ぐ前に自分が大切にしていたこの装幀の本を、すべてシグレス王子に贈ったのだが――あの者は聡いようでまだ子どもだったのか、青宮でシグレスの身近に置いてほしいという気持ちには全く気づかなかったようだ。贈られた本はすべて、この図書館に収めてしまった」

 赤宮妃は慈しみと寂しさの浮かんだ母親の顔になった。恋物語が好きだった姫が他国へ嫁ぐ前に、異腹の美しい弟に贈った本――ナイティスはそっと同じ赤い装幀の書を手にとった。表紙に押された金の草花がいじらしく可憐に見えた。

「シグレス様は……恋物語をお好みにはならないので」

 小さな声で言うと、赤宮妃は笑った。

「確かに。あの怜悧な王子にはそのような情緒は通じまい」

 では調べものをよろしく頼む、と微笑みながら赤宮妃は去って行った。その堂々とした誇り高い物腰にナイティスは心ひかれた。

 ナイティスはシグレスの妃になってからも、王宮の貴婦人たちとはどこか馴染めず距離があり、親しく話をする人もいなかった。しかし今、赤宮妃と話したとき、これまでになく気を遣わず会話をすることができた。

 ――あの方はあの調べものの結果を、今後どのようにお使いになるのだろう。その先のことまで知りたい。またお話しする機会があれば。


「赤宮妃様か……。父親の大臣が、男に生まれればよかったのにと嘆かれたという話を聞いたことがある。今の大臣はあの方の兄上だが、赤宮妃様の方が思慮に富み、なおかつ豪胆なお方なのだという」

 その日の夜、ナイティスから赤宮妃に会った話を聞いたシグレスは、赤宮妃についてこう語った。ナイティスは赤い本のことを思い出し、赤宮妃の娘の姫がどのような人だったのかもシグレスに尋ねた。

「姉上は父上に似て、黒髪のもの静かな方だった。赤宮妃様やガイナス兄上には、姿も性格も全く似ていない。本がお好きで、それも恋物語がお好きで……そうか、お前が一番似ているのかも」

 シグレスは初めて気がついたかのように、ナイティスを見つめた。シグレスの端正な顔に浮かぶ、自分以外の人に向けられている想いに、胸が少しざわつく。しかし、その人に対して、シグレスは腹違いの姉への懐かしさ以上の気持ちはないようだった。

「王女が図書館に行き、学生たちの前に姿をさらすのははしたない、と言われるので、姉上は図書館に行ったことがなかったのだ。いつも俺に向かって、王宮図書館に行ってみたいと話しておられた。だから嫁がれる前にいただいた本を、すべて図書館に収めた」

 贈られた本を図書館へ置いたのは、シグレスなりに姉の気持ちを慮っていたのだ。心の底にあった彼女の願いには気がつかなかったのだが。ナイティスはシグレスの彫像のような美しい横顔を見つめ、自分と同じように、いとおしく思いながら眼差しを注いだ姫君のことを思った。

「姉上様にはその後、お会いになったことはあるのでしょうか」

「成年の儀の旅でお目にかかったぞ。お元気そうだった。俺が王宮図書館の書の司と結婚することを伝えたら、ひどく驚いたようだった」

 会ったこともない姫君の、寂しげな微笑みが見えるような気がした。

「赤宮妃様とは何の話をしていたのだ。今まで対話したことなどなかったろう」

 本を愛するもの静かな姫の母は、全く雰囲気の異なる、実に闊達な、女王にでもしたいような器に思えた。そんなふうにナイティスが言うと、シグレスは笑った。

「まさにそうだ。あの方こそ女王の風格だな」

「赤宮妃様はシグレス様が御前会議で話題にされた、ソディアの交易に関心を寄せられたのです。赤宮の領地の産物の交易の状況について、さらに詳しい情報が欲しいとの仰せでした」

「さっそく調べたのか」

「グレルドに近い赤宮領地の気候や地質も調べているのです。グレルドで栽培されているニメイは、その地域に近いところで多く栽培されているようです」

「お前の狩りはうまくいっているのだな」

「ええ、もちろんです」

 ふたりは顔を見合わせて笑いあった。ナイティスの胸にはじわじわと温かいものが広がる。

 ――私は幸せだ。シグレス様から、このように理解し支えていただいているのだから。


   ***


 王宮図書館のナイティスの元にタリスが駆け込むようにやってきた。ふだん、学生や書の司の見習いたちに図書館の中で走らないようにと言っている手前、眉を顰めたが、満面の笑みを湛えたタリスの顔にナイティスの胸も希望に膨らんだ。 

「ナイティス様、教えていただいた植物に接ぎ木をしたところ、新しい芽が出てきています! これなら接ぎ木に成功しそうです!」

「素晴らしいです、タリス殿」

「ナイティス様にさまざまにお調べいただいたおかげです。様子をみて、さらに接ぎ木を増やしてみたいと思います」

 ナイティスはタリスについて、王宮内の薬種園に行った。丁寧に接ぎ木され、まるで人間の傷にするような当て布がしてある。

「なるほど、このように継いだところを守ってやるのですね」

 ナイティスが好奇心いっぱいに覗き込んでいると、見知らぬ男がすぐ近くにしゃがみこんできた。ナイティスは驚いたが、男がにこにこと笑っているので警戒を解いた。

「作男に雇いました。植物の世話に長けているのです」

 タリスが紹介すると、朴訥そうな男はぺこりとうなずいて、接ぎ木を指さし、自分を指してみせた。そのしぐさにナイティスははっとした。話ができないらしい。

「丁寧に接ぎ木がしてあるので、きっと上手く育つでしょう。この方が見てくれているなら」

 自分のことを話していると分かったのか、男の笑みは深くなった。いかにも満足そうに何度もうなずいている。タリスも嬉しそうだった。

「言葉は不自由ですが、いい手をしていて接ぎ木をするのが実に上手いのです。私がやるとすぐ萎れてしまうのですが」

 そういうものなのか、とナイティスは面白く思った。きっと茎の切り方、差し込み方にもこつがあり、それが技量の違いとなるのだろう。タリスの植物の知識とこの男の技量が合わさって、ニメイの増産につながったら……ナイティスは青い空を仰いだ。少しは自分の願う未来に近づけるだろうか。

 ナイティスはふたりに篤く礼を言った。ふたりは恐縮していたが、青宮からの心づくしの褒美の金をうけとった。彼らは薬種園の入口までナイティスを送り、いつまでも手を振りながら見送っていた。

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