第二章

2-1


 青宮の居間でシグレスとナイティスがくつろいでいたところへ、侍女頭のデイラが新しい侍女の目通めどおりを願ってきた。デイラのように長く青宮で勤める者もいるが、王宮で侍女の仕事をしたいと希望する者が多く、新参者の目通りは頻繁に行われる。

 王宮や貴族の家で侍女やその見習いをしていたというと、縁談の引き合いが増えるので、良家の娘たちはこぞって勤めたがるのだという。白王宮と赤宮、青宮、三つの王宮のうちどれかだと、ことさら箔がつくと言われているらしい。

「お前も大変だな。次から次へと娘を預かって、侍女として仕込まなければならない」

「青宮に長く勤めてくれるとよいのでございますが」

「ほとんどが嫁入り支度のためなのだろう?」

 シグレスの言葉に、デイラは笑って答えなかった。どの王宮が勤めやすいかまで噂となっていて、しっかりと指導しながらも温和な性格のデイラのいる青宮は評判が良いらしい。

 新参の侍女たちが三人並んで入ってきた。その中の一人にナイティスは目を留めた。見覚えのある顔だった。

「シグレス王子様とお妃のナイティス様です。しっかりお勤め申し上げるように」

 デイラの言葉に三人は深々と頭を下げ、名前を名乗った。

 見覚えのある娘は「アレッサでございます」と言った。他の娘は緊張とともに、端正な王子の妃が男であることに驚きを隠せない様子だが、彼女一人はどこか挑戦的な眼差しをナイティスに向けた。やはり、とナイティスはうなずいた。イクシを訪問するときに泊まった城の城主の娘だった。

「なんだか見覚えのある娘がいたな?」

 彼らが下がった後、シグレスはナイティスに問いかけた。

「はい。イクシに行く途中の領主の娘御です」

「ああ、親父殿がクランとケディンに思い人がいるのかと訊いていたな」

 あの娘はケディンに心惹かれていたのだ、とナイティスはそのときのことを思い浮かべていた。確かに青宮に勤めたいと言っていた。しかし、領主の娘がわざわざ行儀見習いに来るとは思わなかった。まさか本当にケディンを追って、ここまで侍女の奉公に来たのだろうか。

「今の者たちを、おそば近くに上げてもよろしいでしょうか」

 デイラが感想を聞きにきた。ナイティスの中には、ほんの少しだけアレッサに対する違和感があったが、そば仕えを断るほどでもない、とうなずいた。

「ずいぶん遠くから王宮へ勤めをしに来るのですね」

「アレッサのことをご存じでございますか? 確かに王宮からは、ずいぶん離れた州から来たようです。州候からの紹介状がございます」

「イクシに行く途中に泊まった城の城主の娘のはずです」

 ナイティスの言葉にデイラは驚いた様子だった。ナイティスはケディンのことまでは言わなかったが、聡いデイラは何か感じ取ったのかもしれない。

「よく様子を見ておきます」

 デイラが見てくれるなら安心だろう、とナイティスはアレッサを気にしないことにした。

 翌日、王宮図書館へ出勤する支度を整えたナイティスのところへ、ケディンが参上した。濡れたような艶やかな黒髪を後ろで一筋にまとめている黒ずくめの騎士装束の姿を、ナイティスはつくづくと眺めた。引き締まった全身に無駄な動きがなく、禁欲的な姿は彫像のように美しい。

 うら若い娘がひと目で恋して追いかけてきても、おかしくはない姿だった。見つめるナイティスを、いぶかな黒い双眸が見返した。

「俺の様子に何か、おかしなところでも?」

 ナイティスは慌てて首を横に振った。

「ケディンは黒以外の装束も似合うのでは思っただけです」

「俺はこの色でいいのです」

 ケディンと言葉を交わしながら、ナイティスは侍女たちが控えているところからの強い視線を感じていた。アレッサは食い入るようにケディンを見つめているようだった。彼と連れ立って青宮を出る自分の背にも視線を感じる。

「新しく入った侍女の中に、イクシを訪問したときの城主の娘がいます」

 ケディンは何の感興(かんきょう)もなさげに「覚えていません」と言った。

「城主の娘がわざわざ侍女として勤めたいのは、宮廷生活や……騎士に憧れているのでしょう」

「そうですか」

 ケディンはふだんからあまり口数は多くないが、いつも以上に素っ気なく感じ、ナイティスもこれ以上アレッサについて話す気を失った。


   ***


 シグレスの愛馬ギリは、純白の毛並みにわずかに葦毛が混じる美しい馬だった。その鞍上でシグレスは、よろい胸当むねあてだけ身に付け、金の髪を風になびかせている。それは青空を背景にして、一枚の絵のように美しい光景だった。

 槍を手に持ち、馬を走らせる。向かう先には黒馬にまたがり黒一色の塊となって威圧感を漂わせるケディンが、同じく槍を構えて素晴らしい勢いで走ってくる。

 鍛錬の一部といっても、馬場で見守るナイティスは緊張で苦しくなるほどだった。馬上槍試合に使う槍の穂先は飾りではあるが、まともに食らえば怪我をするのではないか。

 勢いよく馬が行きかい、打ち合いの鋭い響きがするとナイティスは息を呑んだ。馬上の人物はすれ違った先で馬を止め、双方が槍を持ち直した。

 同じく馬上からクランが声をかけた。彼も槍を持っている。栗毛の馬はクランの髪の色と同じで、燦々とした日の光にその毛並みがつややかに輝いていた。

「今はケディンの槍が先に来ておりました。本気を出せばシグレス様の胴を突き破ります」

「もう一度だ、ケディン。今度は俺の槍がお前を倒すぞ」

 再度、騎馬の人物たちは間合いをとった。ナイティスは深く息を吸い込んだ。接近しぶつかりあう一瞬は、息をつめて見入ってしまう。馬と一体となった騎士の輝かしいまでの美しさと迫力に圧倒されていた。

 ――騎士というのが馬に乗った戦士だということを忘れていた。ケディンたちの本分はそれなのだ。それにしてもシグレス様も、騎士に負けず劣らず勇ましい……。

 クランやケディンに比べれば体格や威圧感で負けるが、その姿勢のよい姿は、磨かれた鋼の刃のように力強く凜として美しかった。

「シグレス様の勇ましく華やかなこと」

「私はクラン殿の騎士ぶりの見事さに目を奪われます」

「いえ、ケディン殿の鋼のごときたたずまいこそが、騎士の美なのでは」

 後ろで侍女たちが、ひそひそと男たちの品定めをしている。ナイティスが馬場へ誘うと、大勢の侍女たちが一緒に見物に来たのだ。ナイティスはつい耳をそばだててしまい、そんな自分に苦笑した。

 王宮では夏に、馬上槍試合の大会が開かれる。シグレスは成年を迎えたので、初めて出場する権利を得た。槍術に関してもクランは突出していて、昨年の勝者の花冠を得ている。何事にも負けず嫌いのシグレスは、ケディン、クランとも闘って勝利したいと思っているようだった。

 再び動き出した騎馬がすれ違う。その一瞬に槍が交わされる。一瞬、シグレスの姿が馬上でぐらつくのが見え、ナイティスは思わず悲鳴のような声を放った。

 馬場の中に駆け出そうとしたが、体勢を立て直したシグレスの姿に立ち止まった。遠目にも鋭くケディンを睨む、その眼差しが見てとれる。

 クランの審判でケディンの勝ちが決まった。シグレスは悔しそうに馬を降りた。ナイティスはシグレスのそばへ行った。

「槍は難しい」

 憮然とした表情でシグレスは言う。

「馬と一体になってやらねばなりませんから」

「俺とギリの相性もかなり良いと思うのだが、あいつのエマーは侮りがたい馬だな」

 黒々と聳えたつ山のように見える黒馬が近寄ってきた。その上の黒騎士は槍を手に、さすがに息を乱している。

「さて、次は私が相手だ」

 颯爽とクランが馬を走らせた。まるで人馬一体になった生き物のような軽やかさだった。黒い騎馬との闘いはあっけなく勝負がついた。

「ケディンは疲れていたからな」

 シグレスは言ったが、クランは稲妻のように懐に入り込んで、一瞬のうちにケディンの槍を飛ばしてしまったのだった。クランは毛筋ほども息を乱していない。

 優れた騎士はまるで風の精のようだ、涼しげに笑う彼の顔を見てナイティスは思うのだった。

「いつか必ず倒してみせます」

 穂先の折れた槍を持ったケディンが、ナイティスのところへ来て重々しいまでに真面目な口調で誓った。

「見事勝利を収めることを心待ちにしています」

 ナイティスの言葉に、黒騎士はわずかに微笑を浮かべた。

 ケディンを従え、シグレスとともに青宮へ帰ろうとするナイティスは、ぞくりとするほど強い誰かの視線を感じた。振り返っても侍女たちの集団しかいない。そんな不穏な視線をよこすものは……ナイティスは自分に背中を見せている女の姿に気が付いた。アレッサだ。

 ナイティスは隣に立つ巌のような黒ずくめの騎士を見た。ナイティスの視線にはケディンは敏感に心づき、言葉をかけられるのを待っている。

「侍女たちが大勢、あなたを見に来たのですよ」

 ケディンに何と言ってよいか分からず、ナイティスは適当な言葉を取り繕った。

「そうでしょうか」

 ぶっきらぼうな返答にナイティスは困った。

「俺のことは見に来ていないのか」

 反対側からシグレスに突っ込まれ、ナイティスはさらに戸惑った。

「も、もちろん、シグレス様のことも」

「付け足しのような言い方だな」

 笑みを含みながら意地悪く言うシグレスに、「そんなことはありません!」と言い返しながら、ナイティスは痛いような視線を再び感じた。

 はっと目をやると、今度は鋭い眼差しのアレッサとはっきり目が合った。まるで自分に向かって宣戦布告しているように、ナイティスには思えた。

 

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