第2話

第2章:家族の真実


半年に一度、田中は薄暗い小部屋に連れて行かれた。パイプ椅子が一脚、正面には古びたモニターがある。

「本日は特別面会日です。」。職員が機械的に告げた。「ご家族からメッセージが届いています」。

画面が点灯すると、見慣れた我が家のリビングが映った。妻の美恵子が、6歳の娘の手を握って座っている。二人とも痩せて見えた。

職員は言った完全面会謝絶の瀕死の山田さんに声をかけてあげてください。「お父さん…」。

美恵子の声は震えていた。「ゆいちゃん、お父さんにお話しして」。

娘のゆいは下を向いたまま、小さな声で呟いた。

「お父さん、学校でね…みんなが『ゆいちゃんのお父さんは電車に飛び込んだんでしょ』って言うの。でもね、『先生はそれは違うよ、転落しそうになった人を助けた英雄なんだよ』って言ってくれたの。パパかっこいい。もう会えなくて、もう抱っこしてくれなくて、いやだけど…」。

田中の胸が締め付けられた。

美恵子が続けた。「啓二さん、あなたがいなくなってから、私…夜中に目が覚めるたびに『また悪い夢を見てしまった』って思うんです」。

彼女は涙を拭いながら言った。「パートを増やしました。ゆいの習字とピアノはやめさせました。でも『お父さんが帰ってきたら続けようね』って約束してるんです。嘘かもしれないけど…希望がないと生きていけないから」。

「お父さん、私ね、毎日駅まで迎えに行ってたんだよ。7時43分の電車から降りてくるお父さんを待ってた。でも先月からやめた。まだ、ずっと帰ってくるのが先だから」。

ゆいの言葉に、田中は声にならない嗚咽を上げた。毎日、娘が迎えに来てくれていたなんて知らなかった。

画面が一瞬揺れ、美恵子がカメラに近づいた。

「でも…でも生きててくれて、ありがとう。最初は恨みました。『なぜ私たちを置いて』って。でも今は…どんな形でも、あなたが生きていてくれることに感謝しています」。

「お父さん、待ってるからね」。ゆいが顔を上げた。目は腫れぼったかったが、微笑んでいた。「ずっと、ずっと待ってるから」。

画面が暗くなった。

田中は頭を抱えて泣いた。40年生きてきて、こんなに激しく泣いたのは初めてだった。

職員が戻ってきた。「田中さん、お疲れさまでした。なお、こちらでの勤務による給与の一部は、ご家族への『生活支援金』として年に一度お送りしています」。

「僕の…僕の弱さのせいで」。田中は震え声で言った。「僕が勝手に諦めたせいで、あの子たちが…」。

「でも今のあなたなら大丈夫です」。職員は優しく言った。「電車を止めようとした人が、今度は電車を守る人になった。きっとご家族も誇りに思われるでしょう」。

田中は袖で涙を拭いた。あの一瞬の絶望が、どれほど多くの人を傷つけたのか。そして今、どれほど多くの人に支えられているのか。

その夜、田中は初めて鉄男先生の授業を真剣に聞いた。家族のために、もう一度強くなりたかった。

「皆さん、人身事故は単なる技術的問題ではありません」。鉄男先生がいつもより静かに語った。「それは誰かの人生であり、残された人々の痛み、そして社会全体の課題なのです」。

田中は頷いた。自分がその痛みの加害者だったことを、今更ながら理解していた。

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