5 どうするべきか
「――メーテの本、メーテの、本……っ」
王宮に忍び込むにはなるべく身軽な方がいいと、王宮近くの建物の屋根にメーテはリュックを置いていた。ボロボロと涙を地面に
作戦を練っていた一年の間、メーテが錬金術のやり方を本にメモしていた。
「あった!」
僕はそれを掴むと自分のリュックに入れる。メーテのリュックごと持っていきたい気持ちはあれど、少々重い。必要そうなものだけを取って早急に離れなければ、追っ手が来るかもしれない。
涙で殆ど前が見えない中、彼のリュックを引っ掻き回す。淡いピンク色をした癒しの石、フェーレを見つけると、またそれを自分のリュックに詰め込んだ。この二つがあれば、何とかやりたいことは出来るだろう。
僕は胸に手を当てメーテのことを想うと、建物を後にした。
人の些細な目線や手の動きにも、びくりと反応してしまいそうになりながら、落ち着かない心臓を抱えて僕は都市部を抜け出す。ハイノールが消えたその数日間は襲撃がなかった。
南に進み、人のいない荒野の木陰に座り込んだところでやっと僕は一安心することができた。
リュックからメーテの本を取り出す。錬金術のやり方が書いてある筈だ。僕だけでも、やり遂げなければ。……でも
「何語だ、これ……」
全く読めなかった。意味の分からない単語が沢山書いてあって、それを調べる為の辞書も持っていない。メーテが合成方法を考えている間、僕は邪魔にならないようにそっとしていた。どういう原理なのかとか聞いたこともあったけど、難しくて分からなかった。あの時、もっとちゃんと勉強していれば役に立っただろうか。
荒野に置いたままの本のページが、黄色い砂と共に風にめくられる。
「もっと色々持ってくるんだった……」
落胆するも、今更そんなことを言ったところでどうしようもない。焦っていたのだから仕方ない。
かと言って、今から辞書を求めてまた都市部に戻ることは出来ない。「ハイノールが消えた」と騒ぎになり始めていた。検問が発生する前に街を抜け出せてよかった。……でも、これからどうしよう。
リュックの中には、きっと世界の運命さえも動かせてしまう真っ白な強い石。それから、メーテからお礼にと貰ったメイカラットとポプラテの元。それとトーマと作った、少し不恰好なカチューシャ。彼に貰った貝殻。少しの食料、僕が作った薬や香油、紅茶……。
本来なら、二人で王宮を抜け出した後ファルヅ国に行く予定だった。そこでメーテがポケットに入れていたフェーレと、僕のリュックのハイノールを合わせて、新しい石を作る予定だった。でも、メーテはいなくなった。僕には技術はない。
荒野に、一人ぼっちだ。
何をしたらいいのか分からない。どうすれば世界を平和に出来るのか分からない。とにかくハイノールをどうにか……。でも、とにかくって何だ? 僕に出来ることって何だ? どうしたらいい。
ぽたりと、涙が落ちた。
「何、泣いてるんだ僕は。仕方ないだろ、泣いたって。泣いたって何も変わらない。何も進まない。メーテは、帰ってこないし。トーマだって、みんなだって、もういないのに……」
トーマやルスタル国のみんなのお墓参りには行った。でもメーテは……彼はきちんと埋葬もしてもらえないだろう。
「こんな石が、なけりゃ……」
ハイノールがなければ、争いは起きなかった。力が弱くならなければ、均衡は崩れなかった。戦争は起きなかったんだ。誰も死ななかった。誰も……。
「――ねえアスタ、石って不思議なのよ。女神様が分けてくれた、魔法の力なの。どの子もとっても綺麗で、強かったり優しかったり個性は色々だけど、愛の塊なの。わたしが触れると共鳴してくれて、力が増してくれるの。『物だ』って言う人もいるけど、寿命だってあるし、ちゃんと生きてるのよ」
ふと、レイラの言葉を思い出した。
『生きている』。
僕はリュックの中のハイノールに目を向ける。
「君は、何か思ってる? 何を感じてる?」
耳を澄ませてみた。……聞こえるのは、風の音と自分の心音。それだけ。彼が何か言っているのか、もしくは何も言っていないのか……それはやっぱり僕には分からない。
メーテがいれば、石を合成して世界を癒しに包むことが出来たかもしれない。物知りで器用なトーマがいれば、助けてくれたかもしれない。レイラがいれば……彼女なら、この石の力で世界を平和に治めることも出来たのかな。でも、僕には何もない。
『見た目通りの天使なんだよ』。
そう言ってくれた、メーテのことを思い出す。僕達は、女神様の子。天使という別名を持った、彼女の子だ。……なのに何で、戦争をする奴がいるんだ。
溜め息を吐いて、側にあった木にもたれかかる。
どうすればいい。何をすれば、ここから世界は平和になってくれる?
……あ、思い出した。一年に一度、世界が生まれたとされる日に女神の泉からは光が出る。癒しの光が。女神様なら……女神様の泉に行けば、この石を……この世界を、もっと安心できるものにしてくれるんじゃないだろうか。もし彼女に会えなくても、ハイノールを泉の底深くに沈めて誰も触れないようにしたのなら、もう力を悪用する人間は出てこない筈……。そう信じたい。
何が変わるか分からない。効果があるのかも分からない。だけど、僕は一筋の望みをかけて、レイスターの先にある森を目指すことにした。その地下洞窟にある、女神の泉を。
――久しぶりに帰ってきたレイスターは、僕が出た時とあまり変わっていなかった。賑やかさが減ったような気もするけど、都市部にいた時と比べると随分穏やかに感じる。このまま、この街を過ぎて森に行く。そして女神の泉に。
「……」
街の端を歩いていた。見えるのは、数階建ての白いアパートがいくつか。森の近くに僕の家はある。ここから見える。あのアパートの一室に、レイラが……。
会いたい。
そう思うと、抑え切れなかった。
早く女神の泉に行かなきゃいけない。誰かにハイノールの存在を気付かれちゃいけない。僕に出来ることを、せめて、やらないと。
そう思うのに、僕の足は勝手にアパートに向かっていく。その内走り出して、地面を離れた足。僕は宙に舞い上がる。
少しだけ。少しだけだから。会ったらすぐに、役目を全うしに行くから。
どうしても会いたくなってしまった。
彼女は今、どんな顔をしているだろうか。
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