1 レイラ

 僕は元々、レイスターの出身だ。植物を採取して紅茶や香油、薬なんかを作って売っていた。ある時遠出して、そこの友人に手伝いを頼まれてルスタル家の屋敷に忍び込んだ時、彼女に出会った。


 塀の隙間から隠し通路を通って出た先は地下牢だった。薄暗い照明の中進んでいくと、ある牢の中に少女がいた。ワンピースも、銀の髪も翼もボロボロだ。

 牢の中にあるのは固そうなベッドと簡素なトイレ。それからいくつかの石とそれを置く為なのだろう、少しだけ豪華で質の良さそうな布で覆われた棚と低い机。机の左側には曇ったもの、右側には磨かれたもの……布を片手に彼女は地べたに座って石を磨いていた。


「人がいるとは思わなかった」


 気付かれないよう身を隠して、トーマが小さく呟く。

 彼が落とした腕輪を拾ったルスタル家に、返してほしいと言ったら「そんなもの知らない」と言われた為、仕方がないからこうして不法侵入している。


「見張りか?」

「違うでしょ。もしそうだったら牢の中に入ってる訳がない」

「だよな。……あれ、あの子ここの娘さんじゃなかったか? 病気だとかで全然出てこなかったけどまさかこんな……」


 トーマの言葉に僕は耳を疑った。

 彼女がルスタル家の娘? 貴族の娘だって? 綺麗な服も着せてもらえないで、こんな地下牢に閉じ込められている彼女が?


 少女は黙々と石を磨き続けている。

 放っておけなかった。


「ねえトーマ、彼女を助けようよ」

「はぁ? いつルスタル家の奴らが帰ってくるか分かんねえんだぞ。腕輪の位置も」

「でも僕は助けたいんだ」


 僕と、牢の中央辺りに座り込む彼女を交互に見て、トーマは溜め息を吐く。


「お前のお人好しには困るぜ。分かったよ。分かった。助けよう。ただ、お前がちゃんと面倒見ろよ」

「分かってる」


 僕はお礼を言うと、石を磨いている彼女に近付いた。


「こんにちは」

「……誰?」

「いきなり悪いな。俺達はちょっと野暮用でね」

「ねえ、そこから出たくない?」


 彼女は石を磨くのをやめてこちらを見ていたのに、また下を向いて作業を再開してしまう。


「出たら、罰を受けるわ。お父様はわたしがここで石を磨いて力を強めることだけがお望みなの。わたしは、その為に生きているのよ」


 自分の為に生きることを諦めたような顔と表情で彼女は言う。けれど作業が終わったのか、彼女は磨いていた青い石を手に取ると僅かな照明に透かした。少しだけ、その口元が綻ぶ。


「君がいつからここにいるのかは分からないけど、こんな地下牢に閉じ込められてるのは普通じゃないよ」

「……十の時からいるわ。普通じゃないのも分かってる。でも、お父様が追いかけてくるんだもの」

「追いかけてくる?」

「逃げたら絶対に見つけるって。怒ったらとても怖いの。この間も……鞭で打たれて……」


 彼女は口を結んでぎゅう、と膝を抱えた。


「じゃあ僕と、絶対に見つからない場所まで逃げればいい。レイスターを知ってる?」

「……田舎街?」


 確かにそうだけれど、少し複雑な気分だ。


「まあ、そうだね。ここから一番遠いと思う。この辺りの黒や濃い灰色の翼と違って、周りはみんな白い翼だからそんなに目立たない筈だよ。僕が匿うから」

「同じ家に住むってこと?」

「そうなる」


 彼女は少し顔を逸らした。そしてちらりとこちらを向いて、出てきた言葉は……。


「け、結婚するってこと? わ、わたしえっと、レイラと言います。あの、あ、あなたのお名前は……」

「え? えっと……僕の名前はアスタだけど、その、それは結婚とは――」

「いいじゃねえかアスタ。それに箱入り娘に一々説明してる時間もねえ。レイラ、出んだろ?」


 彼女はこくんと頷く。

 トーマが懐からピッキングの為の道具を出し、数秒かかり鍵を開けた。


「おし、これで後は俺の腕輪を……」

「腕輪?」


 レイラは首をかしげると「もしかして……」と棚へ向かった。戸を開けて、ふかふかの布の上に置いてあるものを掴むと持ってくる。


「これのこと?」

「え、そうだ。これだ。持ってたのか、ありがとう」


 トーマは言うと、急いでそれを左腕に付けた。彼の父から貰ったものらしく、ある程度情報を記録しておける魔法石が使われている。普通は地図や思い出の記録に使われるが、トーマの家は装飾品を売っているからその設計も記録されていた筈だ。


「はぁ、やっと落ち着いた。これがないとなんか安心できないんだよな。……ん?」

「どうかしたの?」

「記録容量が増えてる」


 腕輪が壊れていないか確認していたトーマが驚いて、レイラを見た。

 元々彼の腕輪にはいい魔法石が使われていて普通のものより性能がいい。だからルスタル家にネコババされたのかもしれないけど……。


「何かしたか?」

「えっと……」


 彼女は説明してくれた。生まれつき自分は特別な能力を持っていて、石に触れるとその石の力を増大させることができるのだと。おまけに石の気配を察知する能力にも長けていて、どんなに小さくても見つけることができる、と。


「この家はそんなお嬢さんの力を使おうと、こんな場所に監禁してたって訳か。胸糞悪いぜ」


 その言葉に彼女は俯く。


「……それより、目的を果たしたのなら早くここを出たいわ」

「そうだね。見つかっちゃいけない。早く行こう」

「あ、少しだけ待って」


 彼女はそう言うと、棚にあった石を少しだけ持って出てきた。


「腕輪だけなくなっていたらトーマさんが疑われてしまうわ」

「おっと、そりゃそうだ。俺もいくらか貰ってっていいか? 店の商品に使うか売るかしたい」

「どうぞ」

「よっしゃ、ありがとな」


 楽しそうに棚の中を物色しているトーマを横目に、レイラはある石を見せてくれた。ぼんやりと白が霞んでいて水晶に似ている。


「それは?」

「ゴーストストーン。透明になれるから、屋敷を出る時に役立つかと思って」

「それ高ぇだろ。流石は金持ちだな」

「ええ。一説によると、透明になっている間は死んだ人と距離が近くなるそうよ」

「へぇ、そんな神秘的な話があるんだ」


 草のことはよく知っているけれど、石についてはあまり知らない。ぼくはそっとそれに触れてみた。


「うわっ⁉︎」


 僕の手がない。いや、あるんだけど透けて見えなくなった。すごく違和感がある……。


「用事は済んだから早く出ようぜ」

「あ、うん」


 戻ってきたトーマの声で、レイラはもう一つ持っていたゴーストストーンを彼に渡した。僕達は二人で手を握ることで、一つの石の力を分け合っている。


「……ん? そういえばどうしてレイラはさっき、石を持ったままなのに姿が透明にならなかったの?」

「力の具合をコントロールできるの。石と一つになれるって思ってもらえたら分かりやすいと思うわ」


 普通は石に特殊な機械を付けないと能力のコントロールは出来ない。彼女の力の貴重さを体感した。


 そのまま僕達は簡単にルスタル家を脱出できてしまって、屋敷から少し離れた場所でトーマとは別れた。「売れ行きが楽しみだぜ」とにこにこ顔で店に帰っていったのを覚えている。


 それから僕はレイラと共に超特急でレイスターへと戻った。ルスタル家に見つかる訳にはいかなかったから。ただでさえ僕とレイラの翼は白と銀で、黒や次いで青の翼が多い西の地域では目立った。人の家の屋根を勝手に借りて寝たりもしたけど、レイラは文句一つ言わなかった。六年ぶりだという外の世界に、ずっと目を輝かせていた。


「ありがとう、わたしを連れ出してくれて」


 夜、レイラの背中に薬を塗っていたら不意に彼女が言った。


「本当はあそこから逃げ出したかったの。誰かに助けてほしかった。でも怖くて……」

「レイラ……」


 服を前で抱える彼女の二の腕にぎゅうと力が入った。背中の傷はまだ治り切っておらず、痛々しい。六年もそんな扱いを受けてきた彼女が不憫でならなかった。


「だから、今とても嬉しいの。ありがとう」

「……うん」


 初めてみたレイラの笑顔はとても可愛くて、月明かりの下で輝いていた。僕は微笑んで、彼女が幸せでいられるように頑張ろうと思ったんだ。


 結婚の誤解は……解いておこうと話をしてみたけど、上手く伝わらなくて結局そのまま。

 僕は彼女を好きになったけど、手を出すのも何というか、悪い気がして……四年、同じアパートで暮らした。その間、一度もルスタル家には気付かれていない。


 レイラはブレスレットやネックレスを作って売った。彼女が触れれば、道端の石も力強いエネルギーを放った。女神様が石に力を宿して魔法石にするように、彼女は石の力を増大させることが出来た。北部出身だった母親が同じく銀の翼だったと彼女は教えてくれたけれど、きっとその力を持っているから、女神様に似た銀の色を受け継いだんだろうと思った。僕にはそんなレイラが天使に見えた。僕達種族の別名通りの。

 その内彼女と一緒に仕事がしたくなって、手伝いたくなって、装飾を学ぶ為にトーマの元へ行くことにした。

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