第38話 孤城落日

太陽が夫婦月に隠れる日蝕は、そこまで珍しい現象ではない。

だが、三つが一直線に並ぶ《大いなる日蝕》となれば話は別だ。

過去の百数十年の歴史を紐解いても、その記録はわずか数えるほどしかない。


近年の技術発展により、その原理や周期は解明されつつある。

だが、そこで引き起こされる現象――《黒の月》については、今もなお謎に包まれている。


神話に語られる幻の月の名を冠したこの現象は、《大いなる日蝕》の数分間、世界の”制御下に無い魔力”の流れを止めてしまう。

魔導具も結界も、常時残留している魔力が途絶えることで異常をきたすのだ。


些細な不具合に見えるかもしれない。

だが、転移妨害結界、感知阻害結界、純魔力除外結界……アルセタリフ王立英鳳学園を守るセキュリティは、すべて残留魔力に依存している。

未来の為政者を守るための防衛網であり、同時に“魔王封印の楔”を隠すための盾でもある。

それらが機能を停止するとなれば、問題視しない方がおかしい。


とはいえ、生徒を避難させて休日にするという選択肢は存在しなかった。

それはすなわち「怯えによる敗北」を認めることに他ならず、武力が権威を裏付けるこの国で、その決断を下せる貴族はいない。


結果、取られた対策は表向きにも裏向きにも――警備強化のみ。


領軍より派遣された騎士、金級冒険者たちが結集し、かつての戦国の世を思わせるほどの防衛体制が築かれていく。

生徒たちは不安を抱えつつも、その光景に一時の安堵を覚えた。


――すべては杞憂に終わると、誰もが信じていた。


だがその願いは、結界陣の要部が爆砕する轟音と、頭上に広がる無数の転移魔法陣によって粉々に砕け散る。


現れたのは、鉄錆色の肌に蝙蝠のような翼を持つ魔族の群れ。

その数、百を超える。

中には脅威度の高い飛竜種の姿さえ混じっていた。


――これはもはや、ただの襲撃ではない。

戦争だ。



学園へ急ぐ途中、空を仰ぐと、金環日蝕特有のダイヤモンドリングが輝いていた。

同時に、《黒の月》の現象が解除されていく。


神話から名を得たこの現象――ゲーム内では魔王が使う「全体バフ・デバフ解除」技だった。

天体すら操る表のラスボス。常識外れもいいところだ。

そんな怪物退治の物語は主人公に任せて、常識人は関わらないのが一番。


もっとも、魔王は次元の違う存在としても、その眷属である魔族たちはそこまでではない。

訓練された精鋭騎士と同等の力、とゲーム知識でも歴史でも裏付けられている。

だからこそ――正面から戦えば領兵や冒険者でも渡り合えたはずだ。


だが、どれほど強固な防衛陣を築いても……

内側に転移されれば意味はない。

現代戦術が生んだ転移妨害は、それまで猛威を振るった奇襲転移を、あっさりと「使えない古臭い戦術」に貶めた。

だが、それは転移戦術そのものが弱体化したという意味ではない。


人はどうしても――なぜ技術が進歩したのか、その過程を忘れ、対策を怠ってしまう。

いや、これはこの状況を作り出した奏者が上手だっただけかもしれない。




学園内は、想像通りの乱戦だった。

組織立った抵抗はなく、高位魔法が飛び交い、防衛櫓は炎上し、防壁が内側から崩れていく。

人間が魔物に勝る唯一の強み――組織力が崩れ落ちている。


「……ゲームじゃ語られてなかったけど、護衛は全滅してたんだな」


そうでなければ、教師が戦線に立つ必要はなかったはずだ。


ラシュティアと共に、崩れた防壁から学園へと進入する。

周囲を警戒するが、既に戦闘は収束したのか、不気味な静けさが広がっていた。


半刻も経っていないはずなのに――この有様だ。


「……生き残りは、いないね」


ラシュティアの悲しげな声が耳に残る。

転がるのは魔族の死骸ばかり。人間の姿はほとんどない。


人間が優勢だったのではない。

仲間が傷つき血を流し倒れるほど、連鎖的に動けなくなる。

――それが人間の弱さなのだ。


だが、その弱さを切り捨てれば、魔物に堕ちるだけ。

少し前の僕なら「非合理」と断じただろう。

けれど今は、そうは思わない。


「行こう、ラシュティア。生徒の避難先に、教師陣もいるはずだ」


学園の地図を思い浮かべる。

有事には籠城戦が基本――ならば恐らくは大広間。

周囲ではまだ激しい戦闘音が響いているが、とりわけ強い衝撃音が聞こえるのも、その方向だ。


……だが、僕がそこに行っていいのか。

スキルによって魔族が強化される危険は避けたい。

もし拮抗しているなら、無理に介入するべきじゃない。


それよりも、別の場所が気になる。

今しがた、戦闘音が唐突に途絶えた。

学園は広い。全員が大広間に避難できたとは思えない。

もし避難所で音が止んだのなら――敵を排除したのか、それとも……。


「……聖堂だ。急いだほうがいい」



僕たちが聖堂にたどり着いたのは、まさに魔族の集団が石柱を破城槌代わりに、正面扉を叩き割ろうとしている瞬間だった。

聖堂の周囲には、領兵や冒険者たちの亡骸が転がっている。


結界が展開されているようだが、今にも砕けそうなほどヒビだらけだ。

この距離からでは、破城槌を止めることはできない。


「くそ、間に合わない!乱戦は避けられないか……」


上級生だったとしても、生徒に魔族は荷が重い。絶望的だ。

そう思った瞬間――事態は動いた。


聖堂の屋根から三つの影が飛び降り、魔族へと立ち向かう。

二人は生徒。そして一人は……フルメイルに双剣を携えた小人――いや、あれはゴーレムか?

よく見れば、生徒とゴーレムは無数の糸で繋がれていた。


正面扉へと一直線に突撃する破城槌だが、タワーシールドを構える生徒のもとへ、不自然に軌道が吸い込まれる。


魔族四体が支える石柱を受け止めるシールドの生徒と、ゴーレムを巧みに糸で操る生徒が魔族の猛攻を捌いている。

見覚えのあり過ぎる二人組だ。


「ノッディ! デーヴ!」


凄いじゃないか……!

凄腕の騎士に匹敵する魔族を相手に、互角に渡り合っているなんて。

一緒に冒険したころとは比べものにならないほど、強くなっている!


――だが、数で押されれば限界は近い。


「キ、キース様!? な、何故ここに……!」

「た、助かっただすか? ああ、キース様の幻が見えるだすよ……」


考えるまでもない。

二人の戦いに割って入り、迫る魔族を切り伏せる。


「キース、知り合い? ……直ぐ終わらせよう!」


ラシュティアも加わり、一気に優勢となると、ノッディとデーヴはその場にへたり込んだ。

勇敢に戦っていたが――ギリギリだったのだ。


安堵と同時に、怒りがこみ上げる。


「……よくも、僕の友達を虐めてくれたな。死をもって償え!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る