第7話 ヒロインの本質
「さあ、マドモアゼル。我が商店自慢の職人たちの傑作をご覧あれ。どれも貴女の美しさを、さらに引き立ててくれることでしょう!」
ジョーカスの口上はまるで舞台俳優のように大仰に聞こえるが、並べられた商品を見れば、その自信も誇張とは言い切れない。
どれも確かな技術と美的感覚が融合した見事な逸品ばかりだ。
エマミールは目を輝かせながら、それらを一つひとつ丁寧に見て回っていた。
「まあ、どれも素敵なネックレスね。このネックレスなんて、大人気で手に入らないと聞いていますの!」
彼女が真っ先に手に取った一つは、たしかにデザインが秀逸だった。
大胆さと古典美を両立させた、バランスの取れた仕上がりだ。
「お目が高いですね。まさしくこちら、ただいま当店で一番の人気を誇る品です。少々値は張りますが、それだけの価値はありますよ。そして、こちらの商品などは、今日のドレスにより一層映えるデザインかと……」
ジョーカスが流れるように、まるで歌でも口ずさむように商品の説明を始める。
エマミールと出会ってからもう二年が経つけれど、彼女が僕にプレゼント選びの相談をしてきたことは、一度もない。
だから今は、黙って彼女の表情や仕草を観察することにした。
彼女はこの世界の「ゲーム」のヒロインの一人で、貴族社会にあっては珍しく平等と博愛を重んじるキャラクターだった。
落ち着いていて思慮深く、どこか姉のような存在感があった。
ゲームの物語が始まるのは、三年後の学園入学から。
だから今は小学六年生にあたる年齢で、そこから高校入学に至るまでの数年間、性格や価値観を形成する重要な時期と言える。
つまり、まだ"変わる余地がある"はずなのだが、どうにもモヤる気持ちが残っている。
僕の周囲の大人たち、信頼できる人々は、皆揃って彼女との婚約に対して警鐘を鳴らしてくる。
政略婚約という背景を考えれば、そう簡単に覆るものではないはずなのに。
けれど彼らは「それは君自身の問題だ」と言って、あくまで一歩引いた立場を取る。
確かに、そうなのだ。これは僕の問題。
ゲームや未来の展開はさておき、一人の婚約者として向き合わねばならない現実。
でも……それでも、僕はまだ"子供"だ。
たしかに夢の中では色々と経験したし、貴族として高度な教育も受けてきた。
ノブレス・オブリージュの精神も理解しているし、実際に収入だってある。
リュシアーナ教授(どういうわけか万年助教授から今年昇格したらしい、ちょっと何を言っているかわからない)とジョーカスを引き合わせて、ビジネスルートを確立したおかげで、非公開の収入は大人顔負けだ。
それでも僕は、形式上も中身も、まだ子供だ。何の権限も持っていない。
なのに、都合のいい時だけ大人扱いされるのは本当に腹立たしい。
だから僕は、開き直った。子供なら子供らしく、子供の「特権」を最大限に使ってやろうと。
要するに、泣きついたのだ。大人たちに。「もう無理、わかんない」と。
──結果、ジョーカスの思惑どおりに動き始めた舞台の上に、僕は立っている。彼の言う、“現状を把握する”ために。
*
「こんなに高価なものだとは知らなくて……やっぱり、やめておきますわ」
購入する品が決まり、いざ会計に進んだその時だった。
僕が提示された金額に内心ギョッとした瞬間、彼女はさも困ったように、そう言った。
確かに桁が一つ多いのには、僕も驚きを隠せなかった。
だが──侯爵家の嫡男として支払えない額ではないにせよ、さすがに手痛い出費であることも事実だ。
それでも「買わない」という選択肢は、貴族としてあり得ない。
会計まで進んだ品を、値段を理由に取り下げるなど、礼儀知らずと受け取られても仕方のない行為だ。
彼女は、貴族としての立場を重視しなくてはならない僕を誘導して、まんまと目的の品を手に入れた。
けれどこの場では、彼女はあくまで「僕に負担をかけた」と悔やむ、慎ましい淑女にしか見えない。
設定だけを信じていたなら、きっと僕もそう信じ込んでいた。「予想外の出費に戸惑って、しょんぼりする可愛いヒロイン」だと。
けれど、もう騙されない。
ああ、わかっているよ、ジョーカス。そんな目でこちらを見なくても。
君の狙いが最初からそれだったことくらい、今ならよくわかる。
僕は夢の内容を、あまりにも主観的に、都合よく解釈していた。
“未来を知っている”というだけで、登場人物たちを理解したつもりになっていた。
彼女の言動に何度か引っかかりを覚えたこともあったのに、それを深掘りすることはなかった。
いや、そもそもする気すらなかったのだ。
少し前、ジョーカスが僕との「エマミール人格評価」の食い違いに決着をつけるため、ひとつの提案を持ちかけてきた。
「キース様、こちらのネックレスは“相場の四倍でも、それ以上に美しく見える”と評判の商品でして、社交界の令嬢の間では知らぬ者のない逸品です」
スキル鑑定で見出した職人に特注で作らせたというそのネックレスは、確かに、一目見て価値の高さがわかるデザインだった。
「ですが、ここまでの価格帯になると、いかに家柄が良くとも、ご令嬢本人の手には届きません。もしこれを着けて社交界に出たら、たちまちその夜の主役となるでしょう」
彼特有の芝居がかった言い回しに僕が続きを促すと、ジョーカスは静かに言った。
「この商品がある場で、私は商品の説明以上のことは致しません。他の品を全力でおすすめしますが……それでもキース様がこの品を選ばれるなら、それは私の勝ち、ということで」
結果的に、その“勝負”は想定より早く成立した。
ジョーカスは賭けに勝ち、僕はエマミールの“演技”を目の当たりにすることになった。
考えてみれば、当然の話だ。
恋人未満の段階で、誰が素をさらけ出すだろう?
ハーレムゲームの主人公が、好意を向けてくるヒロインの裏の顔をわざわざ暴こうとするだろうか?
僕は、キャラクター設定をそのまま鵜呑みにしていた。
自分をよく見せるための演技の可能性なんて、想像すらしていなかった。
……経験のなさ、というやつだろう。
今、僕の目の前にいるのは“ゲームのヒロイン”ではない。
自由恋愛を望み、家の意向を嫌い、優雅で慎ましい仮面の奥に何を秘めているかわからない、ひとりの少女だ。
設定なんて、その人間のほんの一断面にすぎない。
それを理解していなかったのは、他でもない、僕自身だった。
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