第5話 助教授が教授に成れるわけないだろ
「それでお小遣いの大半を使ったのか!? キャハハ! ウケるー、完全にカモじゃないか!」
バカ笑いしながら茶化してくるのは、退色したブロンドをざっくり結んだ白衣姿の女性――僕の家庭教師、魔導科学担当のリュシアーナだ。
僕も十歳になり、王立学園への入学に向けて家庭学習が本格的に始まっている。
王立学園とは、貴族子女にとっての最高峰の教育機関。
ゲームの――“あの物語”が幕を開ける舞台でもある。
「ちっ……まあ、そういう見方も……なくはない、かもしれませんね」
エマミールとの会話を思い出しながら、僕は思わず唇を噛む。
「キース君。君はね、婚約者の手綱をしっかり握っておくべきだよ」
「手綱って……馬じゃないんですよ」
「いやいや、そこは大事だよ。奥方が浪費家だとね、領地が荒れるから」
「浪費家……って、ただ婚約者を着飾るのは義務というか、当然のことでしょう?」
「はー、分かってないね、キース君。よし、今日は特別講義だ! “女の怖さ”を、リュシアーナ教授が直々に伝授してしんぜよう!」
自分で“教授”と名乗ったリュシアーナは、笑いながら胸を張る。
本名はリュシアーナ・マードレック。
マードレック子爵家の次女にして、女性として初めて“塔”の助教授に就任した人物だ。
“塔”とは、この国における高等教育機関であり、研究の最前線でもある――いわば大学と研究所を併せたような場所だ。
「……え? 助教授じゃなかったんですか?」
「キャハハ、何を言ってるんだい、キース君。来年には私は教授になる予定だよ? なら、今から名乗っても問題なし!」
そんな予定は無いですよ、と言うツッコミは心の中だけに留める。
この妙な理屈も彼女らしい。
そのキャラの濃さはゲームでも印象的で、しかも世界崩壊後に登場していた。
つまり彼女は、あの地獄を生き延びた強者ということだ。
ただ、未来の彼女も助教授だったから、結局あと六年か七年は出世しないらしいけど。ちなみに、現在26歳・独身。
「まあいいですけど……今日の授業、長距離通信魔導具の実験をやるって言ってませんでしたか?」
「おお、そうだった! そうとも、もちろんやるよ!」
僕が本題に戻すと、リュシアーナは目を輝かせた。
本来なら侯爵家の嫡男に対して、子爵家の令嬢がとる態度とは思えないが――
彼女は社会的な地位や礼節など気にも留めていない。
「この仕事を受けたのは単に箔付けだよ」と公言してはばからない性格だ。
だからこそ、変に気を使う必要もない。
この世界で数少ない、“信頼できる大人”のひとりだと思っている。
*
「失敗ですかね」
「うん、失敗だね」
長距離通信魔導具、つまりトランシーバーのようなものの実験は、あえなく失敗に終わった。
携帯通信があると便利だと思い立ち、魔導科学の授業中に通信原理をうろ覚えで披露したところ、「面白そうだね」とリュシアーナが食いついてきた。
その一言で、遊びが講義課題になってしまったのだから恐ろしい。
オシレーターだの、ミキサーだの、そんな精密な構造までは覚えていない。
なんとなく記憶にある仕組みと感覚だけを頼りに、魔法陣と魔力の組み合わせで再現しようとしたのだ。
魔導具とは、魔法陣の構文を組み合わせ、魔石から引き出す魔力で起動する道具。
電子回路に似ているが、実際はプログラムに近い。
関数や変数のような働きを持つ呪文式を駆使して、現実を書き換え、願望を実現する。
「組み合わせが悪かったか? 音声増幅部分か? ……いや、難しかった変調波の処理が怪しいな」
僕が唸りながら試作プレートを眺めていると、横からすっと白く長い指が差し込まれた。
リュシアーナだ。
彼女の指が指したのは、魔法陣の初歩構文――教わったばかりの、まさに基本中の基本だ。
「この手の失敗の原因は、意外と凡ミスが多いものさ」
耳元で囁かれたその声に、一瞬だけ意識を持っていかれた。
「!?」
「キース君。君は視野が狭くなりがちだね。思い込みには気をつけたまえ」
香水をつけていないのか、彼女からは自然な香りがふわりと漂っていた。
意識してしまった自分が情けなくて、僕はその残り香を追うように――いや、助教授の話をきちんと聞こうとして顔を向けた。
「君は面白い発想を持っているが、少々“科学”に寄り過ぎている。魔導科学とは、科学と魔法、二つの常識を融合することだよ」
いつの間にか僕の手から試作プレートが取り上げられていた。
リュシアーナはそれをくるくる回しながら、得意げな笑みを浮かべている。
そんな子どものような表情を浮かべるリュシアーナに、一瞬でも気を取られたのが負けた気分で腹立たしい。
「どんな時でも視野は広く持たなくちゃいけない。魔法の自由さを、もっと楽しんでごらん」
「ちゃんと広く見てますよ」
子ども扱いされたような気がして、ついぶっきらぼうに返してしまう。
「本当に? 私から見れば君は、進む道を見失った迷子のように見えるけどね。……属性魔法が使えなくて、悩んでるのだろう?」
「……え、なんでそれを」
確かに属性魔法が苦手なのは悩みの種だ。でも、周囲にはほとんど話していないはず。
「キャハハ。世の中には口の軽い人間もいるのさ」
試作プレートに刻まれた魔法陣のフロー図を愛おしそうに撫でながら、リュシアーナは唐突に言った。
「本来なら縮小刻印まで進んだものしか取引しないんだが……今回は特別に、この未完成プレート、私が買い取ろう」
リュシアーナが提示した金額を見て、思わず目を疑った。
侯爵家嫡男の僕ですら驚く、破格の金額だった。
「これは投資さ、キース君。状況が変われば、世界の見え方も変わる。よく見て、よく考えて、そして――楽しみたまえ」
その最後の囁きはまたも耳をくすぐったが、僕はただ、前を向いて立ち尽くしていた。
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