第4話 雨宿り

「あ、、、ごめんなさい勝手に喋って、

 勝手に言葉が喉を通り越してしまって、」


小さく首を振りながら珈琲の香りを口に運んだ彼は、私の目を見て、優しく微笑む。



『何の映画観たの?』

「あ、WICKEDって映画です。

 もとはミュージカルで」

『ミュージカル好きなの?』

「というより、、本が好きなんです。

 今日見た映画も、童話が基になったお話で」




起きて、着替えて、歯を磨いて

会社に行って、働いて、

帰宅して、ご飯を食べて、お風呂に入って


布団に入って一日をお仕舞にすれば

恵まれているけど、

ずっと曇ってるみたいな毎日。



本を読んだり映像を観たりして、

現実にはない物語に入り込むことが

曇った毎日で少しずつ溜まっていく空虚感や無力感から逃げ出せる、大切な時間。



『雨宿りが上手な人なんだね』

「え?」


『満たされない何かに限界が来た時に、どうや

 って凌いでいけばいいか知ってる人だ』




少しぬるくなってしまったカプチーノを握り直しながら彼を見ると

吸い込まれそうなくらいに綺麗な瞳に捕まる。



『ずーっと曇ってるみたいな毎日に雨が降った

 とき、そうやって雨宿りしてるんでしょ?』



私の心を読んでるみたいに話す彼は

笑っているようで、

どこか虚ろな目をしていた。



『自分の欲や夢を知ってる人も素敵だと思うけ

 ど、そういう生き方を知ってるお姉さんみた

 いな人、俺は憧れるよ』



言葉のひとつひとつが、

自分の内側で静かに、深く反響していく。




少しだけ鼓動が速くなっていくのを感じながら

誤魔化すようにカプチーノを飲み干して

口元についてしまったミルクを、

急いで拭った。





視線を彼に戻すと、

私の様子を見ていた彼は優しく目を細めていて



珈琲を一口飲んだ後、

視線を落としながらほんの少しだけ首を傾ける仕草に、

胸の奥がじんわりと熱を帯びるのを感じた。




 

『今日、雨が降ってくれてよかった』

「え?」


『雨宿りに寄ってくれたおかげで、

 俺に会えたでしょ?』





改めて見てみれば、

切れ長な目元や、綺麗に通った鼻筋

頬杖を突きながら輪郭に添えられる指は長くて綺麗で




たった1回

たった1杯


彼に心を奪われてしまうには、

十分な時間なのかもしれないけど





『はるか』

「はるか?」

『俺の名前。漢字はね、』



って、私の手首を掴んで自分の方に寄せて

私の手のひらに、

彼の長い指で「遥」って描かれる。




「遥、くん」

『お姉さんは?』

「ゆかり、です」

『漢字は?』



今度は自分の手のひらを差し出してきて

私はその大きな肌色に、「紫」って描く。



『紫ちゃんね』



私の名前が、彼の声で静かに音を持ったとき



それまで耳に染みていた雨の音が、

ふっと遠のいた気がした。




『また来てね、雨宿りだけでもいいから』




彼のその声はどこか寂し気で

私は言葉にならない想いを込めて、

小さく頷いた。

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