第19話:黒いローブの男

翌朝早く、僕とアルフィリアは村の外れに向かった。


「昨日の情報だと、あの森の奥で黒いローブの人物が目撃されたそうです」


アルフィリアが地図を確認しながら言った。


「気をつけましょう。相手がイグナスの関係者なら、危険です」


僕たちは慎重に森の中を進んだ。朝霧が立ち込める中、時々不自然に薬草が摘まれた跡を見つけた。


「この辺りですね」


森の奥の開けた場所に、簡易的な実験台が設置されているのを発見した。


「誰かが本当に実験をしていますね」


机の上には様々な薬草と、見慣れない薬瓶が並んでいる。


「これは...記憶に関係する薬草ばかりです」


アルフィリアが薬草を確認した。


「メモリーフェード、フォゲットグラス、マインドハーズ...全て記憶操作に使われるものです」



――― その時、茂みから足音が聞こえた。


「誰かが来ます」


僕たちは急いで近くの大木の陰に隠れた。


現れたのは、確かに黒いローブを着た人物だった。フードを深く被っているため、顔は見えない。


「実験の進捗はどうかな」


その人物が独り言のように呟いた。その声には聞き覚えがあった。


「村の薬草師たちの記憶操作は成功している。特に、ルリィとの記憶の消去は完璧だ」


僕の血の気が引いた。やはり、この人物が犯人だったのだ。


「しかし、ルリィ本人はまだ村にいる。予定よりも早く戻ってきたようだな」


黒いローブの人物が実験台の薬瓶を手に取った。


「今度は直接、ルリィの記憶を操作する必要がある」


その時、アルフィリアが小枝を踏んでしまった。


パキッ!


「誰だ!」


黒いローブの人物が振り返った。


「逃げましょう!」


アルフィリアが僕の手を引いたが、もう遅かった。


「フフフ、隠れていても無駄だよ」


黒いローブの人物が薬瓶を投げつけてきた。


シュッ!


紫色の煙が辺りに立ち込める。


「まずい!息を止めて!」


でも、完全に避けることはできなかった。意識が朦朧としてきる。


「ルリィ...」


アルフィリアが倒れた。僕も膝をついてしまう。


「ようやく捕まえたぞ、ルリィ」


黒いローブの人物がゆっくりとフードを取った。


現れたのは、40代前半と思われる男性だった。整った顔立ちだが、目に冷たい光を宿している。見たことのない人物だった。


「誰...ですか?」


「初めまして、ルリィ。私はマルクス・フェンネル」


男性が丁寧にお辞儀をした。


「隣町の薬草師をしている...いや、していた、と言うべきかな」


「マルクス・フェンネル...」


その名前には聞き覚えがあった。確か、優秀な薬草師として評判の人物だったはず。


「君を騙すのは簡単だった。善良な田舎の薬草師を演じれば、疑われることもない」


マルクスが不気味に笑った。


「私は15年間、薬草師として真面目に働いてきた。多くの患者を救い、研究に励んできた」


「なぜ...なぜこんなことを」


「なぜだと?」


マルクスの表情が急変した。


「私のような努力家が、君のような小娘に劣るなど屈辱でしかない。特に腹立たしいのは、君の特別な力だ」


マルクスが薬瓶を振りながら続けた。


「生まれ持った才能だけで、私たちの努力を無にする」


「そんな...私だって努力しています」


「黙れ!」


マルクスが怒鳴った。


「君の力を奪い、私が手に入れる。それが私の目的だ」


「力を奪う?そんなことができるんですか?」


「イグナス様から教わった秘術でな」


やはり、マルクスはイグナスの手下だったのだ。


「君の記憶を操作し、力の源である絆を断つ。そして最終的には、君の能力そのものを私に移植する」


マルクスの狂気じみた計画に、僕は恐怖した。


「村の仲間たちの記憶を操作したのは、君を孤立させるためだった」


マルクスが説明を続けた。


「特別な力は、愛と絆から生まれる。それを断てば、君の力は弱くなる」


「卑劣です」


「卑劣?才能に恵まれたものはそうでないものに何も言う資格がないのだよ!」


マルクスが新しい薬瓶を取り出した。


「これは『記憶完全消去薬』だ。君の全ての記憶を消し去る」


僕は必死に抵抗しようとしたが、睡眠ガスの影響で体が動かない。


「安心しろ。苦痛はない。ただ、君という存在が消えるだけだ」


その時、僕の心の中で何かが燃え上がった。


仲間たちの顔が浮かんだ。リリア、カイル、エレーナ、師匠のバジル、そしてアルフィリア。


記憶を失っても、心の繋がりは残っている。それを昨日確認したばかりだった。


「僕は...負けない」


僕の体から淡い光が放たれ始めた。


「何だと?」


マルクスが驚いた。


「君の力は弱くなっているはずだ!」


「確かに弱くなったかもしれません」


僕は立ち上がった。身体の自由を奪っていたガスの効果が光によって浄化されていく。


「でも、それでも私には大切なものがあります」


「馬鹿な!『パラライズ・ボム』!」


ドンッ!マルクスが麻痺薬の爆弾を投げつけてきた。


僕は咄嗟に『ピュリファイ・ウォール』で防御する。


パシィッ!光の壁が麻痺薬を中和した。


「不可能だ!そんな浄化力があるはずがない!」


マルクスが立て続けに攻撃薬草を投げつけてくる。


「『ポイズン・ニードル』!」


シュシュシュッ!毒針が雨のように飛んでくる。


「『ライト・ステップ』!」


僕は光に包まれて素早く移動し、毒針を回避した。


「『アシッド・スプレー』!」


ジュウウウ!強酸の霧が僕を包もうとする。


「『ホーリー・ブリーズ』!」


フワァッ!浄化の風が酸の霧を払いのけた。


「くそっ!なぜこうも簡単に無効化される!」


マルクスの動揺が見て取れた。


「記憶がなくても、愛は残る。絆は消えない」


光がだんだん強くなっていく。


「最後の手段だ!『メモリー・オブリタレーション』!」


ゴオオオ!マルクスが記憶完全消去薬による攻撃を放った。


それは僕に向かって一直線に飛んでくる。避けられない。


しかし、そんな危機的状況の中で何故か僕は恐れを感じなかった。


キイイイン...体の奥から、これまでとは次元の違う光が湧き上がってきた。


パアアアッ!虹色の光が記憶消去薬を包み込む。


薬は空中で無害な水滴に変わって、キラキラと輝きながら地面に落ちた。


「そんな...私の最高傑作が...」


マルクスが愕然とした。


「これが...私の本当の力」


僕は理解した。この力は、”憎しみや妬みを愛に変える力”なのだ。


光がマルクスを包み込む。


「やめろ!何をしている!」


「あなたの心の痛みも癒やしてあげます」


マルクスの中にある妬み、劣等感、怒り...それらが光によって浄化されていく。


「私は...私は何をしていたんだ」


マルクスの表情が変わった。狂気が消え、困惑した普通の薬草師の顔に戻っている。


「すまない...ルリィ、私は取り返しのつかないことを」


「大丈夫です」


僕は優しく答えた。


「人は過ちを犯すものです。大切なのは、それに気づくことです」



――― 光の効果で、アルフィリアも目を覚ました。


「ルリィさん、大丈夫ですか?」


「はい、もう大丈夫です」


僕はマルクスを見つめた。


「マルクスさん、村のみんなの記憶を元に戻してくれませんか?」


「もちろんだ」


マルクスは深く頭を下げた。


「私が作った記憶封印薬の解毒剤を作ろう。必ず元に戻す」


「ありがとうございます」


「いや、お礼を言うのは私の方だ」


マルクスが涙を流した。


「君に心の闇を浄化してもらった。これで、やっと本来の自分に戻れる」



――― 数時間後、マルクスが作った解毒剤によって、村の人々の記憶が戻り始めた。


「ルリィさん!」


リリアが駆け寄ってきてくれた。


「思い出しました!私たちの大切な思い出、全部思い出しました!」


「リリアちゃん...」


僕は涙が出そうになった。


「ルリィ」


カイルも笑顔で近づいてきた。


「君への気持ち、思い出したよ。愛してるって言ったこと、覚えてる」


「カイルさん...」


「研究のパートナーシップも復活ですね」


エレーナも嬉しそうに言った。


「今度こそ、中断されることなく研究を続けましょう」


みんなの記憶が戻った。でも、記憶を失っていた間に感じた心の繋がりも、同じように大切だった。


「本当の絆は、記憶よりも強いんですね」


アルフィリアが微笑んだ。


「あなたがそれを証明してくれました」


僕は頷いた。この経験で、僕は大切なことを学んだ。


愛と絆は、どんな困難にも負けない。それこそが、僕の力の真の源なのだ。


そして、その力は憎しみを癒やし、人の心を浄化することもできる。


マルクスさんのように、道を誤った人でも救うことができるのだ。


「これからも、みんなで一緒に歩んでいきましょう」


僕は仲間たちを見回しながら言った。


新たな試練を乗り越えて、僕たちの絆はより深くなった。

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