第7話:選択の時

「アルフィリア様、お話があります」


翌朝早く、僕は宿屋にアルフィリアを訪ねた。一晩中考えた末に、ようやく答えを出すことができた。


「おはようございます、ルリィさん。もうお決めになったのですね」


アルフィリアは僕の表情を見て、すぐに察してくれた。


「はい。王都でお勉強させていただきたいです」


「それは素晴らしい決断です」


彼女は温かく微笑んだ。


「ただ、一つお願いがあります」


「何でしょうか?」


「村のみんなにお別れの時間をいただけませんか?急に決めたことなので、ちゃんと説明したいんです」


「もちろんです。私も午後までは滞在する予定ですから」


アルフィリアの理解に、僕は安堵した。でも同時に、本当にこれで良いのかという不安も残っていた。


――― 昼前に、リリア、カイル、エレーナを薬草店に呼んで、決断を伝えることにした。


「みんな、大切な話があるの」


三人が揃ったところで、僕は深呼吸をした。


「実は...王都に行くことにしました」


「やっぱり」


リリアが小さくつぶやいた。


「アルフィリア様のお誘いを受けるのですね」


エレーナも複雑な表情を見せた。


「そうです。薬草師として、もっと勉強したいんです」


「それは...素晴らしいことだと思います」


カイルが言ったが、その声には明らかに落胆が含まれていた。


「でも、寂しくなりますね」


リリアが正直に言った。


「私も寂しいです。でも、きっといつか帰ってきます」


「本当ですか?」


「はい。この村は私の大切な故郷ですから」


そう答えながら、僕の胸は痛んだ。嘘をついていることの罪悪感と、本当にここが故郷と呼べるのかという疑問が混在していた。


「ルリィさん」


カイルが真剣な表情で言った。


「僕は待っています。王都で立派な薬草師になって帰ってきてください」


「カイルさん...」


「そして、その時は...僕の気持ちを受け取ってください」


カイルの告白に、僕の頬が熱くなった。でも、それと同時に胸が締め付けられるような感覚もあった。


「私も、ルリィさんを応援しています」


エレーナが言った。


「きっと王都でも、その知識と優しさで多くの人を助けることができるでしょう」


「ありがとう、エレーナさん」


「でも、時々は手紙を書いてくださいね。研究の成果も聞かせてください」


「もちろんです」


最後にリリアが口を開いた。


「ルリィさんと出会えて、本当に良かったです」


「リリアちゃん...」


「ライリィに会えなくなったのは寂しいけれど、ルリィさんと友達になれたから、その寂しさも少し和らぎました」


リリアの言葉に、僕の心は複雑に揺れた。彼女はライリィを諦めて、ルリィとの友情に心の支えを見つけていたのだ。



――― 午後、アルフィリアと共に出発の準備をしていた時、村に異変が起きた。


「大変だ!子供たちが倒れた!」


村人の一人が慌てて薬草店に駆け込んできた。


「何ですって?」


師匠が驚いて立ち上がる。


「朝から熱を出していた子供たちが、急に意識を失って...」


「すぐに見に行きましょう」


アルフィリアが立ち上がった。僕たちも急いで後に続く。


村の治療所には、5人の子供たちが横たわっていた。全員が高熱を出し、時々うわごとを言っている。


「これは...」


アルフィリアが子供たちを診察して、眉をひそめた。


「普通の病気ではありませんね」


「どういうことですか?」


リリアが心配そうに聞いた。


「何らかの毒によるもののようです。しかし、この症状は見たことがありません」


アルフィリアは困惑していた。


「毒?でも、子供たちは何も変わったものは食べていないはずです」


リリアの母親が言った。


僕は子供たちの症状を詳しく観察した。紫色の斑点が皮膚に現れ、呼吸も浅い。そして、一種独特の甘い匂いがする。


「この匂い...」


僕は何かを思い出そうとした。どこかで嗅いだことがある匂いだ。


「ルリィさん、何か心当たりが?」


アルフィリアが僕を見つめた。


「いえ...でも、この匂いに覚えがあるような」


その時、僕の頭に一つの記憶がよみがえった。イグナスの実験室で嗅いだ匂いだ。


「まさか...」


「どうしたの、ルリィ?」


リリアが心配そうに声をかけてきた。


「いえ、何でもありません」


僕は慌てて首を振った。でも、心の中では確信していた。これはイグナスの仕業だ。


「とりあえず、解毒を試みましょう」


アルフィリアが言った。


「一般的な解毒薬から始めて、効果を見てみます」


数時間にわたって様々な治療を試したが、子供たちの容態は改善しなかった。むしろ、徐々に悪化している様子だった。


「このままでは...」


アルフィリアの表情が暗くなった。


「他に何か方法はないのですか?」


カイルが必死に聞いた。


「申し訳ありません。この毒の正体が分からない限り、有効な治療法を見つけるのは困難です」


その時、村の入り口から黒い煙が上がった。


「あれは何だ?」


カイルが外を見て叫んだ。


煙の中から、見覚えのある黒いローブの人影が現れた。イグナスだった。


「久しぶりだな、ルリィ」


彼の声が村中に響いた。


「あの人は...」


アルフィリアが警戒の表情を見せた。


「知り合いですか?」


「いえ...」


僕は答えることができなかった。イグナスとの関係を明かすわけにはいかない。


「子供たちの毒を治したければ、ルリィを我が元に渡すがいい」


イグナスの要求に、村人たちがざわめいた。


「何ということを!」


「子供たちを人質にするなんて」


「そんな要求、飲めるわけがない!」


カイルが剣を抜いて前に出た。


「ルリィさんを渡すわけにはいきません!」


でも、イグナスは笑っただけだった。


「時間がないぞ。毒は時間が経つほど深く体に回る。もうそれほど時間は残されていない」



――― 僕は子供たちの苦しそうな顔を見つめた。彼らは僕のせいで苦しんでいる。イグナスの狙いは最初から僕だったのだ。


「みんな」


僕は立ち上がった。


「私が行きます」


「何を言ってるの!」


リリアが僕の腕を掴んだ。


「そんなことはさせません」


カイルも反対した。


「でも、子供たちを見捨てるわけにはいきません」


「ルリィさん」


アルフィリアが僕を見つめた。


「確かに子供たちを救うことは大切です。でも、あなたを犠牲にするのは間違っています」


「でも、他に方法が...」


「あります」


アルフィリアの言葉に、みんなが振り返った。


「一人で立ち向かうのではなく、みんなで立ち向かうのです」


「みんなで?」


「そうです。あなたの薬草の知識、私の経験、みんなの力を合わせれば、きっと解決策が見つかります」


アルフィリアの提案に、僕の心に希望の光が差した。


「俺たちも一緒に戦います」


カイルも剣を構え直した。


「私たちも」


エレーナとリリアも覚悟を決めた表情を見せた。


「みんな...」


僕の目に涙が浮かんだ。一人じゃない。みんなが一緒に戦ってくれる。


「それでは行きましょう」


アルフィリアが立ち上がった。


「ルリィさん、あなたの本当の力を見せてください」


「本当の力?」


「あなたには、まだ自分でも気づいていない力があります。それを信じて」


アルフィリアの言葉に、僕は勇気をもらった。


「分かりました。みんなを守るために、私も戦います」


こうして、僕たちはイグナスとの戦いに挑むことになった。ルリィとして生きてきた数日間で築いた絆が、今、試される時が来たのだ。


「私は私。みんなを守りたい」


その気持ちだけは、確かだった。男性でも女性でもなく、ただ大切な人たちを守りたいという純粋な想いが、僕の心を満たしていた。


新たな世界への扉は、戦いの中で開かれようとしていた。

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