第93話 青光の小箱

 王城の一角にある研究室は、昼の喧騒から切り離された静けさに包まれていた。

 分厚い石壁と魔術紋章で守られた空間。壁一面の書棚には羊皮紙と分厚い書物が積まれ、机の上には解体された魔術制御盤と金属片が散らばっている。窓から差す光が天球儀に反射し、床の魔術陣を淡く照らしていた。


 その静謐を、やや甲高い声が突き破った。


「ユリウス! 今日の研究はなに!? 僕も手伝うから早く教えてよ!」


 机の向こうからひょいと顔を出したのは、金の髪を跳ねさせた小柄な少年――第三王子エリオン=フェルマティア。

 彼は本を読み散らかした跡をそのままに、期待で瞳をきらきらと輝かせていた。


 ユリウスは手にしていた羊皮紙を軽く伏せ、苦笑を浮かべる。

「……エリオン、また勝手に来てたんだね」


「“また”って何さ! 僕は王子なんだから、ここにいるのは当然だろう? それに、君の研究を見られるなんて、この世で一番面白いことだ!」

 胸を張って言い切るその様子は、王子というよりはしゃぐ少年そのものだった。


 ユリウスは深く息を吐き、机上に置いてあった試作品の魔術模型を手に取った。

「今日はね……保存のための魔術具を考えているんだ」


「保存?」

 首を傾げたエリオンは、瞬きしながらユリウスに身を乗り出す。

「食べ物の保存? それとも魔力の保存? あ、まさか時間を止める魔術!? すごい! 僕、そういうの大好きだよ!」


 矢継ぎ早にまくしたてるその勢いに、ユリウスは思わず肩を震わせる。

「……そんな大げさなものじゃないよ。名付けて【恒圧封函エア・シール・ボックス】」


「エア……なに?」

 子犬のように首をかしげる王子。


「簡単に言えばね――箱の中の空気を“閉じ込めて”一定に保つ装置だ」

 ユリウスの銀の瞳が、静かに光を宿す。

「魔術的に内圧を一定にすれば、湿気や酸化を防ぎ、外気の影響を受けずに品物を守れる。食品だって、薬だって、書物だって。……遠くの街まで腐らせずに運べるんだ」


 エリオンの口がぽかんと開き、数秒後、子供のような歓声が上がった。

「なにそれ! 宝箱みたいじゃないか! でも、普通の宝箱よりずっと役に立つ! だって、遠い国の果物だって、山奥の薬草だって、そのまま届けられるんだ!」


 少年の金の瞳が、興奮のあまりさらに輝きを増す。

ユリウスはその様子に小さく笑みを浮かべつつ、手元の模型を回した。


「……うん、物流にとっては確かに大きな変化になるかもしれない。

転移門が出来て少しは改善できたけど、設置できる数には限りがあるしね。

その点、この箱なら場所を選ばずに使えるし、応用の範囲も広いんだ」


 エリオンは椅子の背に身を乗り出し、机に肘をついたまま興奮を隠さずに身を揺らした。

「それってつまり……転移門が届かない地方でも、新鮮なまま食べ物を運べるってことだろ!? 山奥の薬草だって、遠い国の果物だって、そのまま届けられる!」


 声はどんどん高くなり、最後には椅子から立ち上がっていた。

「うわぁ……! それなら商人たちだけじゃない! 各地の家庭でも重宝されるし、国外との貿易だって桁違いに便利になるよ!」


 その無邪気な興奮に、ユリウスは苦笑しながらも首肯する。

「そう。だからこそ“安全に、安価に作れる”ようにしなければならない。王国が軍事的に不利にならず、それでいて誰もが恩恵を受けられるように」


「なるほど……!」

 エリオンの瞳がさらに輝きを増した。

「ねえユリウス、どうやって空気を閉じ込めるんだい? ただの箱に蓋をするだけじゃ、時間が経てば隙間から漏れてしまうだろう?」


 問いかけは子供のように無邪気でありながら、核心を突いていた。

 ユリウスは小さく笑みを浮かべ、手元の羊皮紙をめくった。そこには精緻な図面と数式――彼が新たに定義した《流体場圧平衡式》が記されている。


「確かに、普通の容器なら長くはもたないね。だから箱の内側に《等圧符》を刻んで、魔力場を極薄の膜のように展開するんだ。外の気圧が変化しても、この膜が自動的に反応して、内部を常に一定の圧力に保つ」


「膜……?」

 エリオンは両手を広げ、空中に見えない壁を作る仕草をした。


「うん。瓶詰めや――ほら、前に君に話した“真空保存”と同じ発想だよ。中の空気を抜いて密閉してしまう方法さ。ただ、完全な真空だと食品や薬品はかえって劣化してしまう。だから僕は“適正な圧と湿度”を魔術で固定することにしたんだ」


「真空……あっ、覚えてる! 空気をなくした空っぽの空間だよね! あれ、本当に不思議で面白いって思った!」

 エリオンはぱっと瞳を輝かせ、身を乗り出した。


 ユリウスは微笑みを浮かべつつ、模型の小箱を開いて見せた。内壁には細かな符号が刻まれ、淡い青光が脈打つように瞬いている。


「さらに湿度制御符を組み合わせてある。水分子を一定量だけ保持し、それ以上は吸収して逃がす仕組みだ。言うなれば――魔力で作った“乾燥剤”ってところかな」


 エリオンの金の瞳がきらりと光った。

「じゃあ、中の空気は外と混ざらず、しかも乾きすぎず湿りすぎない。魚でも果物でも、薬草でも……長い旅や国外の交易でも、そのまま届けられるってことだ!」


「その通り。紙の文書や魔術書を守るのにも役立つはずだよ。熱や湿気に弱いものほど、保存の価値は高いからね」


 ユリウスはそう締めくくり、小箱をそっと閉じた。


 エリオンは息を呑み、身を乗り出す。

「……やっぱりすごいよ、ユリウス! ただの“便利な箱”じゃない。人の暮らしを根っこから変えてしまう道具になる!」


 その純粋な賛辞に、ユリウスはわずかに目を伏せ、苦笑を滲ませた。

「まだ“構想”の域を出ていないけどね。けれど……実用化できれば、アゼルの商会を通じて広められるだろう」


 少年王子は机を叩くほどの勢いで頷いた。

「やろうよ! 僕も手伝う! この目で“革命”を見てみたいんだ!」


 ユリウスは小さく笑みを返し、手元の羊皮紙を整えた。

「じゃあ――まずは小型の試作品を組み立ててみよう。理論が形になれば、改良点も見えてくる」


「本当に!? やった!」

 エリオンは椅子を蹴るように立ち上がり、机の上の散らばった部品を両手いっぱいに抱えた。

「ねえユリウス、どれから組み合わせるの? 僕、金属加工は下手だけど、符号を刻むのは得意なんだ!」


「助かるよ。じゃあ、結晶制御核に《流体場圧平衡式》を刻む作業を頼もうかな。少し繊細だから、焦らずゆっくりね」

 ユリウスは銀の瞳を細め、青白く光る小さな結晶を差し出した。


 エリオンは宝石を受け取るように大事そうに両手で包み込み、にっこり笑った。

「ふふん、任せてよ! こういう作業、大好物なんだから!」


 少年の金の髪が揺れ、興奮にきらめく瞳が結晶の青光を映す。

研究室の片隅、石壁に刻まれた魔術紋章が淡く反応し、二人の影を伸ばしていた。


 ――やがて、この日生まれる小さな箱が、王国の暮らしと交易を静かに変えていく。

 小さな結晶の青光は、確かにその未来を予告する灯のように揺れていた。

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