ケース2:芳美 「コーヒー、紅茶、それからコーヒー(1)」
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──春先から、すみれ先輩の服が可愛くなった。特に刺繍入りのワンピースが素敵で、レインブーツとよく似合っていた。彼氏とは別れたのだろうか、このごろはよく食事に誘ってくれるようになった。
「ねえ、よっちゃん……。うちの職場って、振るわない男ばっかりだよね?」
バーのカウンター席で、すみれはため息をついた。その隣で、芳美は眉をひそめた。「模範的なパパがいっぱいということで良いじゃないですか?」
「それは良いんだけども。未婚男子が少ないのって、どうなのかなって、ねぇ?」
「社内恋愛したら、うまくいかなくなったとき大変ですよ」
「その通り!」
すみれは何度も頷いた。今日は妙に芝居がかっている。
「──ね。よっちゃんって、いま彼氏いる?」
「いません。欲しいとも思わないし」
「そう? よっちゃんモテるのに」
「そんなことないですよ。先輩の方が可愛いし」
「あたしは最高にいい後輩をもって幸せだよ」
すみれは、よしよしと頭をなでくり回してきた。「よっちゃんは、絶対いい人と付き合って欲しいよ」
「お節介な親戚のおばちゃんみたいになってますよ」
「だってー、よっちゃんって心配になるんだもん。すっごく恋愛の深みにはまって、落ち込んだりしないかって。お姉さん切に思うよ」
「お姉さんになりましたか」
「お姉さんに話してごらんよ」
そして、ぱっと手を離した。「彼氏はいなくても、好きな人はいるんじゃない?」
こちらを覗き込むすみれの目は真剣だった。酒の席での冗談ではなく、本当に心配しているようだった。なにを知っていて、どう心配しているのかは読みとれないけど……。
「──好きなひと……よく判らないですね。付き合うっていうのも、学生以来ありませんから」
「えっ‼ そうだったの?」
「先輩……酔ってるから聞き流しますけど、職場でこんな話したら許しませんよ」
「よっちゃん怖い。ごめん、ほんと意外だったから」
すみれは両手を合わせた。「でも、たまには誰かとデートしたいとか思わない? ちょっと付き合うだけとか」
「たまにデートしたり、ちょっと付き合ったりするだけで終わる相手であればいいですけど。深く関わって人間関係ぐちゃぐちゃになるのって、嫌なんです」
すみれは静かに、腕を組んだ。
「恋愛は嫌いじゃないですけど、わたし、面倒くさい人付き合いが苦手なので」
「よっちゃん……あたしは、面倒くさい人付き合いこそが、恋愛ではないかと思うのだが」
「……そっか。わたしは恋愛が不要な人間なんですね、きっと」
「不要って結論にいっちゃうのか!」
すみれは天井を仰いだ。芳美はカクテルを喉に流しこんだ。すでにこの話だけで面倒くさかった。察したのか、すみれは笑いながら背中を叩いた。
「そんなことないよ、大丈夫。きっとね、恋しちゃえば面倒くさいことも楽しめるんだって……」
目を伏せて、彼女はつぶやいた。「……まあでも、ぐちゃぐちゃになるのは、なるべく避けたいよね」
「先輩……水飲みますか?」
「そんな面倒くさがりなよっちゃんに~、とってもいい話があります」
「はあ?」
「よっちゃんが嫌がる『面倒くさい人間関係』が、一切無い人を、あたし知ってまーす!」
「はあ」
「どうよっちゃん。その人に会ってみない?」
そのキラキラした瞳に、芳美は眉間を寄せた。
「先輩……旨いことは二度考えよっていいますが、そんな人いないって今話したばっかりでしょう」
「普通だったらね」
「……先輩、ホストの紹介とかやめてくださいよ」
「こら。ホストに謝れ」
「ホストを好きか嫌いか決めるくらい、わたしの自由です」
「わかった。ホストじゃないよ。ホストじゃないけど……無料じゃ会えないんだ」
「やっぱりそっち系だ」
「そっち系ってなんよー」
ふいに、カウンターが薄暗くなった。見おろすように店長が立っていて、おつまみの皿をわたしたちの前に置いた。
「サービスです」
「……ありがとうございます」
「出た! 彼がエージェントだよ、よっちゃん!」
「すみれちゃん、勝手に話を進めないで欲しいな」
「店長、この子は『よっちゃん』こと、芳美ちゃんです。よっちゃんにも、アレを紹介してくれませんか」
すみれが両手を合わせて店長を拝む。ぜんぶ放って帰ろうかな。すると、笑いをこらえながら、店長が一枚の名刺を差し出した。
「実は俺、こういう者でして」
名刺には、『アトリエ KUROSE』とある。
そこからは、話を呑み込むのに時間はかからなかった。
① ホスト顔負けの綺麗な男性が、肖像画家をしている。
② 肖像画の注文をすれば、アトリエを訪問して彼と話すことができる。
③ 絵が完成するまで、モデルとして二人きりの蜜月を過ごすことができる。
④ 完成まで期間は大体、二か月。訪問日数は週一回程度。一回につき約3時間。
⑤ 料金、一枚一〇万円也。
「こんなのがあるんですか……」
それなりにシステマティックな受注をしているようだ。こちらも週一くらいなら、仕事に支障はないだろう。
「料金は後払いでいいよ。一回目は無料だし。もし途中で嫌になったら、絵が完成するまでに断りの連絡を入れてくれたら、半額でいいよ」
一〇万か……ホストに貢ぐより全然いいけど……。そもそも蜜月になる関係って? 絵はそんなに詳しくないし……。てか、そんな画家の稼ぎ方もあるんだな……。
突然、すみれが背中を叩いた。
「ダイジョブだって、よっちゃん! なんてたって、面倒くさくないんだから!」
すみれの後ろで、棚に片付けられたワイングラスが輝いていた。
……そうだな、確かに気分転換にはいいのかも。職業が「画家」なんて、今まで会ったことがないし、一度だけでも話してみるか。
店長が、目を細めて会計のレシートを渡してきた。
芳美は肩をすくめた。
「じゃあ、とりあえずお試しで」
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