ガラクタと百色の光 ~しゃべる万華鏡と、記憶を映す夏休み~

☆ほしい

第1話 色のない私と蔵の中の光

「桜井さん、よく描けてるわね。構図も丁寧だし、色の塗り方もムラがない。評価は『A』よ」

美術の先生の声が、少し遠くに聞こえた。

私の名前は桜井七緒。中学一年生。手元に返ってきたのは、〈私の好きな風景〉というテーマで描いた水彩画だ。描いたのは、通学路にある公園の、ありふれた風景。ブランコがあって、滑り台があって、隅っこに水道がある、どこにでもある公園。

先生の言う通り、そこに描かれた絵は、とても「丁寧」だった。線の歪みも、色のムラもない。でも、それだけ。隣の席の美咲さんの絵みたいに、夕焼けの赤が燃えるように鮮やかなわけでもない。前の席の拓也くんの絵みたいに、雨上がりの地面がキラキラ光っているわけでもない。私の絵には、心臓をドキッとさせるような特別な「何か」がなかった。

「そつなくこなせる」

それが、いつからか私の代名詞になっていた。勉強も、運動も、絵を描くことも。だいたい平均より少し上。でも、それだけ。誰かの記憶に強く残るような、鮮やかな色を持った人間じゃない。私は、色のない、透明な存在なんだ。そんなことを、ずっと感じていた。


夏休みが始まってすぐ、私は一人で電車に乗り、おばあちゃんの家に向かっていた。海沿いの、少し古い町。駅に降り立つと、潮の香りがふわりと鼻をくすぐる。おばあちゃんの家は、駅から歩いて十五分ほどの、古い家屋が立ち並ぶ一角にあった。

「七緒、よく来たね」

おばあちゃんは、いつも通り優しく笑って迎えてくれた。昔はよく遊びに来ていたけれど、中学生になってからは久しぶりだ。おばあちゃんの淹れてくれた麦茶は、カラカラに乾いた喉に優しく染み渡った。

「少し、大きくなったんじゃないかい」

「そうかな。あんまり変わらないよ」

当たり障りのない会話。おばあちゃんは優しくて大好きだけど、少し距離があるような気もしていた。何か、大切なことは話してくれていないような、そんな不思議な感じ。


その日の午後、私は家の中を探検していた。昔と変わらない柱の傷、少し軋む廊下。すべてが懐かしい。ふと、庭の隅にぽつんと建っている、古い蔵が目に入った。昔、おじいちゃんが亡くなる前は、よくあそこで何か作業をしていたっけ。でも、入っちゃだめだと、いつも言われていた。

好奇心がむくむくと頭をもたげる。おばあちゃんは、昼寝をしているみたいで、家の中は静まり返っている。私はそっと仏壇の置いてある部屋に行き、小さな引き出しを開けた。そこには、古びた、黒光りする鍵が一本だけ入っていた。これだ、と直感が告げていた。

鍵を握りしめ、私は蔵の前に立った。重たい木の扉に、錆びついた錠前がついている。鍵を差し込むと、ぎこちない音を立てて、錠が開いた。ゆっくりと扉を押す。

キィィ……という軋む音と共に、蔵の中の空気が流れ出してきた。それは、古い木と、乾いた土と、長い時間の匂いがした。高い場所にある窓から、一筋の光が差し込み、空気中に舞う無数の埃をキラキラと照らし出している。まるで、光の道みたいだった。

足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。中は、思ったよりも広く、古い家具や、何が入っているのかわからない木の箱が、壁際に積み上げられていた。

その中で、一つだけ、私の目を引くものがあった。部屋の隅に置かれた、桐の箪笥。その一番上の引き出しが、ほんの少しだけ開いていた。何かに呼ばれるように、私はその引き出しに手をかけ、そっと開けた。

中には、古い布に大切に包まれた、何かがあった。布をめくると、現れたのは一本の筒だった。

「万華鏡……?」

それは、私が知っているプラスチックのおもちゃとは全く違っていた。使い込まれて飴色になった木の筒に、真鍮の飾りがついている。ずしりと重く、ひんやりとした感触が手のひらに伝わってくる。それは、ただの道具ではなく、一つの芸術品のようだった。

私は、吸い寄せられるように、その筒を手に取った。そして、埃っぽい光が差し込む窓の方へ向き、そっと覗き口に目を当てた。


次の瞬間、私の世界は消えた。

目の前に広がっていたのは、光の宇宙だった。

赤、青、緑、金色。無数の色の欠片が、完璧な調和をもって、次々と形を変えていく。それは、雪の結晶のようでもあり、教会のステンドグラスのようでもあり、見たこともない花のようでもあった。筒をほんの少し回すだけで、世界は音もなく崩れ去り、そして新しい完璧な世界が生まれる。息をするのも忘れて、私はその光の洪水に見入っていた。

きれい、という言葉では足りなかった。これは、魔法だ。バラバラの欠片が、こんなにも美しい模様を紡ぎ出すなんて。色のない私の中に、鮮やかな光が流れ込んでくるようだった。

どれくらいの時間、そうしていただろう。夢中になって覗き続けていた私は、ふと我に返り、万華鏡から目を離した。名残惜しい気持ちで、その美しい筒を眺める。

すると、その時だった。

「おい」

静かな蔵の中に、しゃがれた声が響いた。男の子のような、でも年老いているような、不思議な声。

え? と思って、私はあたりを見回した。蔵の中には、私以外誰もいない。おばあちゃんは、まだ寝ているはずだ。

空耳……?

そう思った、その時。

「人の顔を、じろじろ覗き込んでおいて、挨拶もなしか」

声は、今度ははっきりと聞こえた。そして、その声がどこから聞こえてくるのか、私は信じられない思いで理解した。

声の主は、私の手の中にあった。

この、アンティークの万華鏡から、声がしている。

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