第27話 想いの重さ、絆の力
光の橋の上は不思議な感覚だった。
足元は確かな感触があるのに透き通っていて、はるか下には崩壊していく幻灯祭の世界が広がっている。
奈落の底へと吸い込まれていく屋台の残骸や提灯の光。
一歩でも足を踏み外せば僕たちもあの終わりのない闇の中へと落ちていくのだろう。
吹き荒れる轟音と悲鳴のような風。
その中を僕と海斗はただひたすらに走り続けた。
しかし祭りの理は僕たちがたやすくご神木へとたどり着くことを許してはくれなかった。
橋を半分ほど渡ったその時だった。
僕たちの目の前にゆらりと黒い影が現れた。
それは人の形をしている。
しかしその顔はのっぺらぼうで表情がない。
そしてその影が僕たちの脳内に直接語りかけてきた。
それは僕たちの番弱い部分、触れられたくない後悔の記憶をえぐり出してくる声だった。
最初に試練が訪れたのは海斗だった。
彼の目の前に次々といくつもの黒い影が現れる。
それは彼が呪いを受けていた時に冷たく突き放してしまったサッカー部のチームメイトたちの姿だった。
『……おい、海斗』
影が語りかけてくる。
『お前だけが特別でいいのか?』
『俺たちのこと忘れたとは言わせないぜ』
『お前は仲間を捨てたじゃないか』
その声は海斗の罪悪感を容赦なく刺激する。
影たちはその黒い腕を伸ばし、海斗の体を掴み光の橋から引きずり下ろそうとしてきた。
「くっ……!」
海斗の足がぴたりと止まる。
彼の顔が苦痛に歪んだ。
一瞬 彼の心に迷いが生まれたのだ。
そのせいで僕たちが走る光の橋が一瞬ぐらりと大きく揺れ、その光が弱くなった。
「海斗!」
僕は思わず彼の腕を強く掴んだ。
僕のその温かい感触に海斗ははっと我に返った。
彼は隣を走る僕の真剣な顔を見た。
そしてその向こう側にいる僕たちを信じて待ってくれている結衣と暁人くんの顔を思い出した。
そうだ俺はもう一人じゃない。
「……うるせえっ!」
海斗が叫んだ。
「俺はもうお前たちから逃げねえ! ちゃんと帰って謝るって決めたんだ! だからどけえええっ!」
彼の力強い魂の叫び。
その言葉が黒い影たちを吹き飛ばした。
影は断末魔の叫びを上げて闇の中へと消えていく。
光の橋が再びその輝きを取り戻した。
「……悪い水希。助かった」
「ううん。僕たち二人で行くんだろ?」
僕がそう言って笑うと海斗も力なく笑い返した。
しかし試練はまだ終わらない。
今度は僕の番だった。
僕の目の前に現れたのはたった一つの黒い影。
しかしそれは誰よりも僕が恐れている存在だった。
それは昔の僕自身の姿だった。
クラスの隅でうつむいて誰とも目を合わせようとせず、いつも何かに怯えていた弱くて情けない僕。
『……ねえ』
過去の僕が僕に語りかけてくる。
『あなたなんかに何ができるの?』
『今までだってそうだったじゃないか。いつも海斗と結衣の後ろに隠れていただけ。あなたが前に出るとろくなことにならない』
『どうせまた誰かに迷惑をかけるだけだよ。やめておきなよ』
その声は僕の心の一番奥深くにある自信のなさを的確に抉ってくる。
足がすくむ。
体が動かない。
怖い。
また失敗するのが怖い。
誰かを傷つけるのが怖い。
僕のその恐怖に呼応するように光の橋が今までに一番激しく明滅し始めた。
今にも消えそうだ。
「水希!」
隣から海斗の焦った声が聞こえる。
もうだめかもしれない。
僕にはやっぱり無理なんだ。
そう思いかけたその時だった。
ぎゅっと僕の手が強く握られた。
海斗の大きくてゴツゴツした温かい手だった。
「水希! 前を見ろ!」
彼の必死な声。
「お前が何て言おうと俺は知ってる! お前がいたから俺たちはここまで来れたんだ! お前が俺と結衣を繋ぎとめてくれたんじゃねえか!」
海斗の真っ直ぐな言葉。
「お前は弱くなんかねえ! 俺が俺たちが一番よく知ってる! お前は俺たちの自慢の仲間だ!」
その言葉が僕の心の一番深い闇に光を灯した。
そうだ。
僕はもう一人じゃない。
僕はもうあの頃の僕じゃないんだ。
僕は顔を上げた。
そして目の前にいる過去の自分をまっすぐに睨みつけた。
「……ありがとう。でももう大丈夫だよ」
僕は静かに告げた。
「僕はもう一人じゃない。僕には信じてくれる仲間がいる。だからもう怖くない」
そして僕は今まで出したこともないような力強い声で叫んだ。
「僕は行くんだ! みんなと一緒に僕たちの夏を取り戻しに!」
僕のその宣言に目の前の黒い影は驚いたように目を見開いた。
そして満足そうに少しだけ微笑んだように見えた。
やがてその影は光の粒子となって僕の体の中へと溶けるように消えていった。
僕は僕の弱さを乗り越えたのだ。
光の橋が今までで一番力強くそして美しく輝いた。
僕と海斗はもう何も言わなかった。
ただ強く握り合った手の温かさだけを頼りに最後の目的地へと走り続けた。
幾多の幻影を振り払い。
いくつもの心の試練を乗り越え。
僕たちはついに光の橋の終点へとたどり着いた。
そこは崩壊していく世界の中で唯一その形を保っている、ご神木がそびえ立つ小さな浮島だった。
僕と海斗がその聖なる地面に足を踏み入れたその瞬間。
僕たちの背後にあった光の橋はその役目を終えたかのように音もなくすうっと静かに消え去ってしまった。
もう戻る道はない。
僕たちの目の前には天を突くようにそびえ立つ巨大なご神木。
その幹には無数の古い提灯がまるで血管のように絡みついている。
そしてその幹の中心には巨大な一つ目のような光の塊がゆっくりと明滅していた。
それがこの幻灯祭の理の本体。
そのご神木から直接僕たちの頭の中に荘厳でしかしどこまでも冷たい「声」が響き渡ってきた。
『――よく来たな人の子らよ』
ついに僕たちはたどり着いた。
この世界の中心へ。
祭りの理との最後の交渉が今静かに始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます