第17話 大灯籠の絶望的な力

目の前に立ちはだかる『大灯籠』は、まさに絶望という言葉が形になったかのような存在だった。

見上げるだけで首が痛くなるほどの巨体。

その表面は古い岩石のようにごつごつとしていて、長年の風雪に耐えてきたかのような威圧感を放っている。

そして僕たちを見下ろす二つの巨大な目は、まるで溶岩のようにどろりとした赤い光をたたえていた。

ゴオオオオオ……。

大灯籠がただそこにいるだけで、空気がビリビリと震える。

まるで巨大なエンジンの真横に立っているかのようだ。

その体から発せられる熱風が、僕たちの髪を、服を、激しく揺さぶった。


「……でたらめな、大きさだな」


隣で海斗が乾いた笑いを漏らしながら呟いた。

彼の顔からはいつもの自信が消え、代わりに本能的な恐怖と、それを超えるほどの闘志が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。


「今までの化け灯籠とは、格が違う。あれは、この祭りの理そのものが直接干渉しているほどの、強力な番人だ」


暁人くんが苦々しい声で言った。

彼の額にも、うっすらと汗が滲んでいる。

僕たちはあまりの威圧感に、一歩も動くことができなかった。

金縛りにあったかのように、足が地面に縫い付けられてしまっている。

その硬直を破ったのは、大灯籠の方だった。

グオオオオオッ!

咆哮。

それは先ほどまでの地鳴りのような唸り声とは違う、明確な怒りと敵意が込められたすさまじい雄叫びだった。

鼓膜が破れそうなほどの轟音に、僕たちは思わず耳を塞ぐ。

そして大灯籠の二つの目が、カッと燃え盛るような赤い光をさらに強くした。


「まずい、何か来るわ!」


結衣が叫ぶ。

彼女の言葉と同時だった。

大灯籠は、その巨大な口をゆっくりと、しかし無慈悲に開いた。

その奥に太陽と見紛うほどの、眩い光の渦が生まれる。

エネルギーが収束していく、キイイインという耳障りな高周波。


「伏せろ!」


海斗の叫び声。

次の瞬間、大灯籠の口から灼熱の光線が、すさまじい勢いで放たれた。

それは巨大なレーザービームのように、僕たちが立っていた場所を一直線に薙ぎ払っていく。


「うわっ!」


海斗が僕と結衣の背中を、力強く突き飛ばした。

僕たちは地面を転がり、間一髪で光線の直撃を免れる。

暁人くんも驚異的な身のこなしで、その場から飛びのいていた。

ドドドドドドンッ!

僕たちがさっきまで立っていた場所で、耳をつんざくような爆発音が連続する。

地面がえぐられ、屋台の残骸が木っ端微塵になって吹き飛んだ。

土埃と焦げ臭い匂いが、あたりに立ち込める。

もしあの攻撃をまともに受けていたら、僕たちは跡形もなく消し飛んでいただろう。


「……あぶねえ……」


屋台の鉄骨の影に隠れながら、海斗が息を吐く。

彼の背中は僕たちを庇ったせいで、熱風で少し焦げていた。


「大丈夫か、二人とも」

「う、うん。ありがとう、海斗」

「ええ、助かったわ」


僕たちが頷くのを確認すると、海斗は再び大灯籠へと視線を向けた。

その瞳は恐怖を完全に振り払った、戦士のそれに変わっていた。


「暁人! お前のあの鈴は、効かないのか!」


海斗が叫ぶ。


「試す価値はある!」


暁人くんは懐から神楽鈴を取り出すと、それを力強く振った。

シャランッ!

清浄な音色が戦場に響き渡る。

しかし、大灯籠はびくともしない。

それどころか、その音色を嘲笑うかのように二つの目を、不気味に細めただけだった。


「くっ……! 小手先の技は通じん、ということか!」


暁人くんが悔しそうに顔を歪める。

小さな化け灯籠には効果があった清めの音も、この迷宮の主にまでは届かない。

絶望的な状況。

攻撃手段がない。

あれほどの破壊力を持つ光線を、何度も避け続けることなど不可能だ。

誰もがそう思いかけた、その時。


「……待って」


静かな、しかし凛とした声が響いた。

結衣だった。

彼女は瓦礫の影から冷静に、大天灯を観察していた。

その瞳は恐怖に揺らぐことなく、目の前の巨大な敵をただの分析対象として、正確に見据えていた。


「あいつの目を見て。攻撃の直前、光の色が赤から、一瞬だけまぶしい黄色に変わるわ。そして、光線を吐ききった後、ほんの数秒間だけ目の光が、明らかに弱くなってる。あれが、エネルギーを溜めるチャージ時間と、攻撃後のクールタイムよ!」


結衣の言葉に、僕たちははっとした。

確かに言われてみれば、そうだ。

あの絶望的な攻撃にも、法則性があったのだ。


「チャージ時間と、クールタイム……」


海斗がその言葉を繰り返す。

彼の頭の中に、一つのあまりにも無謀な作戦が、形作られていくのが僕にはわかった。


「結衣、あいつのクールタイムは、正確に何秒だ?」

「目測だけど、おそらく三秒。長くても四秒がいいところね」

「……そうか。なら、なんとかなるかもしれねえ」


海斗は不敵な笑みを浮かべると、立ち上がった。


「海斗、まさか……」


僕が言いかけるのを、彼は手で制した。


「俺が、囮になる」


その言葉は、あまりにもはっきりとしていた。


「俺が、あいつの注意を引きつけて攻撃を誘発させる。その隙に、お前たちはあいつを倒す方法を考えろ。いいな」

「無茶よ! いくらあなたでも、あの攻撃を何度もかわしきれるわけが……」


結衣が悲痛な声を上げる。


「無茶じゃねえ。俺の願いは、誰にも負けない最強のエースになることだった。その呪われた力が、今役に立つ。皮肉なもんだよな」


彼はそう言うと、僕たちの返事を待たずに瓦礫の影から、広場の中央へと一気に飛び出していった。


「おい、でくのぼう! こっちだぜ!」


海斗は、大灯籠に向かって挑発するように叫んだ。

グオオッ!

大灯籠の怒りの目が、完全に海斗を捉える。

その目が再び、黄色い光を放ち始めた。

チャージが始まったのだ。


「海斗!」


僕は思わず叫んでいた。

海斗はまるでサッカーの試合で、相手ディフェンダーと対峙するように軽くステップを踏んでいる。

その全身の筋肉が、バネのようにしなやかに躍動しているのが見えた。

光線が、放たれる。

海斗はまるで未来が見えていたかのように、光線が放たれるほんのコンマ数秒前に、地面を強く蹴った。

彼の体は弾丸のように、真横へと跳ぶ。

灼熱の光が、彼のすぐ横を轟音と共に通り過ぎていった。


「す、すごい……」


常人では決して真似のできない、神業のような回避。

呪いによって得た彼の超人的な身体能力が、今僕たちの命を繋いでいる。


「まだだ!」


海斗は着地と同時に、再び大灯籠に向かって駆け出す。

大灯籠のクールタイムは、もう終わる。

二度目のチャージが始まった。

海斗は、大灯籠の周りを、目にも留まらぬ速さで走り回りながら攻撃を誘発させる。

その動きはまるで、相手を翻弄するドリブルのようだった。

しかし、大灯籠もただの的ではなかった。

二度目の光線をかわされた直後、大灯籠はその巨大な体を、ぶるぶると激しく震わせ始めた。

するとその体の表面から、ボコッ、ボコッといくつものコブのようなものが生まれ、それが次々と小さな化け灯籠となって、地面へと剥がれ落ちていったのだ。

あっという間に、十数体もの化け灯籠が広場に出現する。


「分裂しただと……!?」


暁人くんが驚愕の声を上げる。

分裂した化け灯籠たちは、一斉に海斗へと襲いかかった。

四方八方から影を喰らおうと、その細い腕を伸ばしてくる。


「くそっ、うっとうしい!」


海斗は小さな化け灯籠たちを蹴散らしながら、走り続ける。

しかしその動きは、明らかにさっきよりも鈍っていた。

無数の敵に囲まれ、彼の逃げ場が少しずつ失われていく。

そして、ついに。

一体の化け灯籠が、海斗の足元の影をがしりと掴んだ。


「しまっ……!」


影を掴まれた瞬間、海斗の体がまるで地面に縫い付けられたかのように、ぴたりと動きを止めてしまった。

その絶好の機会を、大灯籠が見逃すはずがなかった。

三度目のチャージが完了する。

巨大な二つの目が黄色く爛々と輝き、その狙いは完全に、動きを封じられた海斗へと定められていた。

時間が、止まったように感じた。

灼熱の光が今、まさに僕たちのかけがえのない仲間を、飲み込もうとしている。


「海斗っ!」


僕の悲痛な叫びだけが、絶望的な広場に虚しく響き渡った。


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