第49話 予測不能の協力者

夜明け前の、まだ深い青に包まれた王都。その静寂を破るように、王宮の裏門が音もなく開かれた。

私とレオン様、そして彼が選び抜いた十名の騎士団の精鋭たちが、馬上の人となる。私たちの服装は高価な旅装ではない。目立たぬよう地味な色合いの革鎧と、深く顔を隠せるフード付きのマントだ。これから始まるのは国家間の公式な交渉ではなく、敵の懐に潜り込む極秘の潜入任務なのだから。


「ミカ嬢、準備はいいか」


隣に並んだ馬の上から、レオン様が低い声で問いかけた。その横顔は夜明け前の薄明かりの中でも彫刻のように美しく、そして鋼のように硬い決意に満ちていた。


「はい、いつでも」


私は力強く頷く。胸に下げた彼から貰ったお守り袋を、ぎゅっと握りしめた。その温もりが、私の不安を静かに和らげてくれるようだった。

私たちは誰に見送られることもなく、静かに王都を後にした。これから始まる過酷な旅路と、その先で待ち受けるであろう熾烈な戦いを前に、私の心は不思議と穏やかだった。隣に彼がいる。その事実だけで、どんな困難も乗り越えられる気がした。


旅は、予想通り過酷なものだった。

私たちはオリオン商会の監視の目を避けるため、主要な街道を避け獣道や険しい山道を選んで進んだ。

昼間はひたすら馬を走らせ、夜は野営で短い休息を取る。食事は携帯用の干し肉と固いパンだけ。貴族令嬢としての生活からは、およそかけ離れたサバイバルな毎日だった。


しかし、私は全く苦ではなかった。むしろ、前世で培った社畜根性がこんなところで役に立つとは思わなかった。連日の徹夜や休日出勤に比べれば、野営など快適なキャンプのようなものだ。


「ミカ嬢……君は本当に、貴族の令嬢なのか?」


焚き火の前で私が手際よくテントを設営し、携帯食料を調理しているのを見て、若い騎士の一人が呆れたように呟いた。他の騎士たちも皆、同じような顔をしている。


「ええ、一応は。ですが私の実家は貧乏貴族でしたから。これくらいのことはできて当然ですわ」


私はにっこりと微笑んで答えた。

そんな私を、レオン様はどこか誇らしげな、それでいて少しだけ心配そうな目で見守っている。

彼は旅の間、常に私のそばを離れなかった。険しい山道では私が足を滑らせないよう、さりげなく手を差し伸べてくれる。冷たい川を渡る時は何も言わずに私をひょいと軽々と抱き上げ、対岸まで運んでくれた。


そのたびに彼のたくましい腕の感触や、間近で感じる彼の体温に私の心臓はうるさいくらいに高鳴った。

騎士たちはそんな私たちを、生暖かい目で見守っている。その視線が、なんだか気恥ずかしかった。


旅の七日目の夜。私たちは深い森の中で野営をしていた。

その夜はひときわ冷え込みが厳しかった。私が焚き火の前で寒さに身を縮めていると、レオン様が自分のマントを私の肩にかけ、そして私のすぐ隣に腰を下ろした。


「……眠れないのか」


「少しだけ。考え事をしていたものですから」


私はライナスから送られてきた古代遺跡の地図を広げていた。そこには複雑怪奇な罠の数々が、びっしりと書き込まれている。


「この遺跡、想像以上に厄介ですわ。物理的な罠だけではなく、人の精神に直接干渉する古代の呪術のようなものまで仕掛けられているようです」


私の言葉にレオン様は地図を覗き込み、険しい顔をした。


「……古代の呪術。俺たちの剣や魔法が通用する相手ではないかもしれんな」


「はい。だからこそ私の出番なのです。これらの罠は全て情報の組み合わせでできています。その構造を解析し無力化する。いわば大規模なパスワード解読のようなものですわ」


私が自信満々に言うと彼はふっと息を吐いた。


「君は本当に頼もしいな。だがミカ嬢、決して一人で背負い込むな。君の隣には俺たちがいることを忘れるな」


彼はそう言うと、私の頭を大きな手で優しく撫でた。

その不器用な、しかし心からの労りの言葉と温もりに、私の胸の奥がじんわりと熱くなる。


「はい、レオン様」


私は素直に頷いた。この人と一緒ならきっと大丈夫。どんな困難な罠も、どんな古代の呪いも、きっと乗り越えられる。


その時だった。

森の闇の中から、微かな物音が聞こえた。

私たちが顔を見合わせた瞬間、レオン様は音もなく立ち上がり剣の柄に手をかけていた。他の騎士たちも瞬時に臨戦態勢に入る。


「敵襲か……!?」


緊張が走る。

闇の中から現れたのは、一人の意外な人物だった。


「やあ。こんな森の奥でキャンプとは、随分と優雅なご身分だねえ、クラインハルトの皆さん」


軽薄な口調で現れたのは、あのガルニア帝国の第一皇子ジークフリートだった。

彼もまた旅の商人風の地味な服装をしていたが、その身から放たれる王者の風格は隠しきれていない。彼の背後には、同じように屈強な雰囲気を纏った十数人の部下たちが控えていた。


「ジークフリート王子……!なぜあなたがここに!」


レオン様が敵意をむき出しにして問い詰める。


「まあまあ、そう殺気立たないでくれたまえよ、騎士団長殿。言っただろう?我々は『同盟』相手だと」


ジークフリートはひらひらと手を振って見せた。


「俺たちもカルヴァン公国に向かっているところさ。君たちだけの手柄にさせるわけにはいかないからねえ」


「抜け駆けか、汚い手を」


レオン様が吐き捨てる。


「人聞きの悪い。これは共同戦線だ。我々が先陣を切り、敵の注意を引きつけてやる。その隙に君たちは本丸である遺跡を目指せばいい。合理的な役割分担だろう?」


彼の言うことにも一理あった。オリオン商会の傭兵部隊はすでにカルヴァン公国の主要な都市を制圧している。私たちが遺跡にたどり着くには、彼らの目をかいくぐる必要があった。ジークフリートたちが陽動を引き受けてくれれば、私たちの任務は格段に楽になる。


「……信用できるとでも?」


「信用できなくとも利用すればいい。ビジネスとはそういうものだろう?ミカ殿」


ジークフリートは私に向かって挑戦的にウィンクした。

私は彼の真意を探るように、その瞳をじっと見つめた。彼の瞳の奥には野心と計算高さ、そしてほんの少しだけ私に対する純粋な興味の色が揺らめいていた。


「……分かりました。その提案、お受けしましょう」


私はきっぱりと答えた。

「ですが王子、一つだけ条件があります」


「ほう、何だ?」


「私たちの作戦の指揮は、全て私が執ります。あなたは私の指示に完全に従っていただく。よろしいですわね?」


私のあまりにも不遜な要求に、ジークフリートの部下たちが色めき立った。

しかしジークフリート本人は、面白そうに喉を鳴らして笑った。


「はっはっは!面白い!いいだろう!このジークフリート、一時的にだが君という稀代の軍師の駒となってやろうではないか!」


こうして私たちは、敵国であるはずの帝国王子と奇妙な共同戦線を張ることになった。

翌日、私たちは二手に分かれた。ジークフリート率いる帝国部隊は公国の首都へと向かい陽動を開始する。そして私たちはライナスが示した古代遺跡へと、最短ルートで向かう。


カルヴァン公国に入ると空気は一変した。街はオリオン商会の傭兵たちによって完全に支配され、人々は怯えたように息を潜めて暮らしている。あちこちで小競り合いが起き、火の手が上がっていた。

私たちはそんな街を駆け抜け、目的の遺跡が眠る険しい山岳地帯へと足を踏み入れた。

ライナスの地図によれば、遺跡の入り口は巨大な滝の裏側にあるという。


轟音と共に流れ落ちる水のカーテン。その向こう側に、古代文明の入り口が私たちを待ち受けている。

私はごくりと喉を鳴らした。これから始まるのは、未知との遭遇だ。


レオン様が私の手を強く握った。

「行くぞ、ミカ」


「はい」


私たちは意を決して、滝の中へと飛び込んだ。

水の壁を抜けた先。そこに広がっていたのは、人間が作ったとは思えない、壮大でそして不気味な地下空間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る