第31話 語られる真実と皇帝の決断
「……妹、だと?」
ライナスと名乗る青年から放たれた言葉に、レオンは思わず問い返した。目の前の男が持つ銀色の髪と整った顔立ちは、確かにミカの面影を宿している。点と点が繋がり、一つの信じがたい結論が彼の脳裏を駆け巡った。
「そうだ。ミカ・アシュフィールドは我が妹。アッシュフォードの血を引く、ただ一人の肉親だ。もっとも、彼女自身は何も知らぬようだがな」
ライナスは楽しそうに唇の端を吊り上げた。
「彼女は本来、我らと共にこの国の真の改革を成し遂げるべき存在だった。それを貴様ら、偽りの王とその犬が、甘い言葉で誑かし道を誤らせた。その罪は万死に値する」
その言葉にはミカへの歪んだ愛情と、彼女を奪った者たちへの底知れぬ憎悪が渦巻いていた。
「さて、騎士団長。貴様がどれほどのものか、試させてもらおうか」
ライナスは剣を抜くでもなく、ただ優雅に一歩前に出た。
その瞬間、彼の足元から黒い魔力のオーラが奔流のように溢れ出す。金庫室の空気が震え、壁に積まれた金貨がカタカタと不気味な音を立てた。
「総員、構えろ!」
レオンが叫んだが、遅かった。
ライナスが指をぱちんと鳴らす。すると騎士たちの足元の石床が突然泥沼のように変化し、彼らの動きを完全に封じ込めてしまった。
「なっ……!錬金術か!?」
主席魔法使いが驚愕の声を上げる。
「ただの錬金術ではないさ。この修道院の石の一つ一つ、壁の染みの一滴まで、全てが俺の魔力と繋がっている。この空間において、俺は神に等しい」
ライナスはこともなげに言った。
レオンだけが、その卓越した身体能力と魔力抵抗でかろうじて拘束を免れていた。しかし、信頼する部下たちは完全に無力化されてしまった。
「さあ、一対一だ、騎士団長。思う存分もがいてみせろ」
ライナスはレオンを挑発する。
しかし、レオンは動かなかった。彼はただ冷静に状況を分析していた。
(おかしい。これだけの力がありながら、なぜ俺をすぐに殺さない?まるで何かを待っているような……時間稼ぎか?)
そのレオンの懸念は、正しかった。
王宮の作戦室で戦況を見守っていた私は、ある致命的な異変に気づいていた。
「陛下!いけません!これは罠です!」
私は叫んだ。
「どうした、ミカ!」
私の切羽詰まった声に、陛下が鋭く問い返す。
「ライナスの目的は戦闘ではありません。レオン様たちを金庫室に閉じ込めているのは、ただの陽動です。彼の本当の狙いは……!」
私はスキルで感知した王都全体の魔力の流れを、スクリーンに表示する。
そこに映し出されたのは信じられない光景だった。
王都の地下を走る無数のマナ・ネットワーク。いわばこの都市の全てのライフラインを支える魔力の供給網だ。その流れが、全てあの古い修道院の地下へと吸い寄せられるように集まっていた。
「まさか……。彼はこの修道院の地下に眠る古代の魔道具を再起動させたのです。それは王都全体のマナ・ネットワークを強制的に掌握し、その制御を奪うための巨大な『魔力制御システム』……!レオン様たちを足止めしている間に、システムの起動を完了させるつもりだったんだわ!」
私の言葉に、アルベルト陛下と宰相閣下の顔から血の気が引いた。
王都の魔力を掌握される。それは、この都市の心臓を敵に握られるのと同義だった。
明かりも水道も、そして王宮の防御結界さえも全てが機能を停止する。そうなれば、王都は完全に無防備なただの石の塊と化してしまう。
その時だった。修道院の地下で、ライナスが満足げに呟く声が通信機から漏れ聞こえた。
「……間に合わなかったな」
彼の黒いオーラが収束し、その手の中に一つの黒い水晶の玉が現れる。
「システム、起動完了。王都の魔力は、今この瞬間より我がアッシュフォード家が管理する」
その声は魔法によって増幅され、王宮の作戦室にいる私たちの耳にもはっきりと届いた。
『――聞こえるか、偽りの王、アルベルト・フォン・クラインハルトよ』
水晶から響くライナスの声は、絶対的な勝利を確信していた。
『今、この都市の命運は俺の手の中にある。賢明なる君なら、どうすべきか分かるな?』
それは事実上の降伏勧告だった。
『要求は一つ。速やかに玉座を明け渡し、退位せよ。さもなくば、この王都の全ての魔力を永久に停止させる。民が闇と寒さの中で苦しみ死ぬのを見たいか?選びたまえ』
あまりにも傲慢で、そしてあまりにも効果的な脅迫。
宰相閣下はその場にへたり込み、ただ震えている。
「ひ、陛下……。ど、どうなさいますか……」
絶体絶命の状況。
武力では解決できず、交渉の余地もない。まさにチェックメイトだった。
しかし、アルベルト陛下は驚くほど冷静だった。
彼は玉座からゆっくりと立ち上がると、うろたえる宰相ではなく私を真っ直ぐに見つめた。その金の瞳には微塵の絶望もなかった。そこにあるのは、ただ私への絶対的な信頼だけだった。
「ミカ」
陛下が私の名を呼んだ。
「君なら、どうする?」
その問いは、王が臣下に下すものではなかった。
絶望的なバグを前にしたプロジェクトリーダーが、唯一信頼する天才プログラマーに助けを求めるような、対等なパートナーに向けられた問いだった。
(……ああ、この人は)
私は改めて、自分が仕える王の器の大きさを知った。
彼は最後まで諦めない。そして、私を信じてくれている。ならば私が応えないわけにはいかない。
私の脳細胞が、前世のデスマーチの時のように猛烈な速度で回転を始める。
敵のハッキング、魔力ネットワークの掌握。その全ての情報を私のスキルで分解し、再構築し、その脆弱性を探す。
そして、私は見つけ出した。
たった一つだけ残された、逆転の可能性を。
私は顔を上げた。私の瞳にはもう迷いはなかった。
絶望の淵でこそ燃え上がる。それこそが、社畜SEとして培ってきた私の本当の強さなのだから。
「……陛下。一つだけ、方法があります」
私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「ですが、それは私の全てを賭ける、あまりにも危険な賭けです。成功の保証はありません。失敗すれば、私は……おそらく、戻ってこれないでしょう」
私の言葉に、陛下の穏やかだった表情が初めて揺らいだ。通信機を通してその言葉を聞いていたであろうレオンの、息を呑む気配が伝わってくる。
それでも、私は続けるしかなかった。
この国を、そして私を信じてくれるこの二人の英雄を、救うために。
私の最後の『お片付け』が、今、始まろうとしていた。
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