第4話 初めての報告と想定外の褒賞
「君は……一体、何者なんだ?」
最適化が終わった『星詠みの羅針盤』を前に、レオン様が絞り出すように言った。
その声には、もはや私を「新人」として見る響きはなく、理解を超えた存在に対する畏怖のようなものが混じっていた。
「ただの、ミカ・アシュフィールドです。スキルは《完璧なる整理整頓》」
「整理整頓で、伝説級魔道具の性能が向上してたまるか……」
彼は深くため息をつくと、銀色の髪をがしがしと掻きむしった。
厳格な騎士団長の、初めて見る人間らしい仕草だった。
「ミカ嬢。君が何をしたのか、本当に理解しているか?」
「ええと……古い備品を見つけて、少し手直しをしただけですが……」
「違う!」
レオン様は強い口調で私の言葉を遮った。その蒼い瞳には、今まで見たこともないほどの熱が宿っている。
「この『星詠みの羅針盤』は、我が国の生命線だ。特に、海軍にとってはな」
彼は羅針盤を大切そうに手に取ると、まるで遠い戦場を思うかのように目を細めた。
「王国の西に広がる『霧の海』は、常に濃い霧と荒れ狂う磁場に閉ざされている。通常の羅針盤では全く役に立たず、航行は不可能だった。これまで何人もの優秀な船乗りたちが、その海の藻屑と消えた。俺の部下の中にも、偵察任務で行方知れずになった者がいる……」
彼の声に、苦い痛みが滲む。
この人はただの騎士団長ではない。部下の命を預かり、その死を悼む、本当のリーダーなのだ。
「だが、これがあれば。これさえあれば、我々は未踏の航路を開拓できる。海の向こうの新大陸との交易すら可能になるかもしれん。これは、この国の歴史を変える発見なんだ。何百年も停滞していた、この国の未来を切り開く、希望そのものなんだぞ」
彼の言葉には、騎士としての、国を思う強い熱がこもっていた。
なるほど。そんなに重要なアイテムだったのか。どうりで、おとぎ話とまで言われながら必死に探していたわけだ。
「それは……お役に立てて何よりです」
「『何より』どころではない!」
レオン様は、私のあまりに軽い返事に少し苛立ったように眉を寄せた。
「君の功績は計り知れない。陛下も、どれほどお喜びになるか……」
「いえ、そんな大したことは。言ってみれば、ただの不良資産を掘り出して、ちょっとした改修案を付けただけですので……。プロジェクトのフェーズ1が完了したに過ぎません」
(ああ、ダメだ。この人には通じない。前世と今世の常識が違いすぎる。でも、どう説明すればいいんだろう。この国を変える大発見と言われても、私にとっては期限内に課題を一つクリアしただけの話なのに)
「ぷろじぇくと……ふぇーず?」
まただ。私の社畜用語が、騎士団長の思考を停止させてしまった。
彼の蒼い瞳が、困惑したように私を見つめている。この真面目な人に、現代日本のビジネス用語は難易度が高すぎるらしい。
「こ、こちらの話です。それより、この羅針盤はどうしますか? 私がアイテムボックスで保管しておきましょうか?」
「……いや、これは私が責任を持って陛下のもとへ届ける。君も来てもらうぞ。報告は、君の口から直接してほしい」
そう言うと、レオン様は羅針盤を慎重にビロードの布で包み直し、懐にしまった。
そして私に向き直ると、今までとは明らかに違う、どこか敬意のこもった眼差しを向けた。
「行こう。君をこんな埃っぽい場所に、これ以上置いておくわけにはいかない」
レオン様は、まるで要人を警護するように私の少し前を歩き、倉庫の出口へと向かう。
埃まみれの私を気遣ってか、自分のマントを差し出そうとして、しかしその手が私の身分と彼の立場を考えたのか、慌てて引っ込められる。その不器用な仕草が、少しだけ微笑ましかった。
その広い背中を見ながら、私は心の中でガッツポーズをした。
(よし、これで任務完了! きっと『ご苦労だった、もう田舎に帰ってよい』って言われるはず! 穏やかなスローライフが私を待っている!)
前世では叶わなかった、のんびりとした田舎暮らし。
お父様と畑仕事を手伝って、お母様とお菓子を焼いて。弟には、私が稼いだお金で新しい本をたくさん買ってあげよう。
もう、あんな過酷な労働とは無縁の、穏やかな毎日がすぐそこに。
そう思うと、自然と足取りも軽くなった。
倉庫の外に出ると、久しぶりに浴びる太陽が目に眩しかった。
レオン様は私を王宮の一室に案内すると、「ここで待っていてくれ。すぐに陛下への謁見の手筈を整える」と言い残して足早に去っていった。
通されたのは、賓客をもてなすためであろう、上品な調度品が置かれた豪華な待合室だった。
壁にかけられた風景画一枚で、実家が百年は暮らせそうだ。
ふかふかのソファに腰を下ろし、私は大きく息を吐く。
(ああ、疲れた……。でも、これで全部終わり)
あとは皇帝陛下に報告して、褒美に少しばかりの金貨でももらって、実家に帰るだけ。完璧なシナリオだ。
(でも……)
ふと、レオン様のあの熱のこもった瞳を思い出す。
自分の仕事が、誰かの、そして国の未来に繋がる。そのことを、あんなにも真剣な顔で語ってくれた。
前世では、感じたことのない種類の達成感だった。
私の整理整頓が、誰かの役に立つ。
あの騎士団長の、あんな顔を見られるなら、もう少しだけ頑張るのも悪くない、なんて。
(……いやいやいや! 何を考えてるの私! 社畜根性がまだ抜けてないんだわ! 誘惑に負けちゃダメ!)
私はぶんぶんと頭を振って、邪念を追い払った。
私の目標は、あくまでスローライフなのだ。
私がそんな甘い未来と、ほんの少し芽生えた未練の間で揺れていた、その時だった。
部屋の扉が、静かに開かれた。
入ってきたのはレオン様ではなく、いかにも位の高そうな、豪奢な衣装をまとった初老の男性だった。侍従長、といったところだろうか。
彼の顔には、貴族特有の傲慢さはなく、むしろ純粋な興味と敬意のようなものが浮かんでいた。
彼は私の前に進み出ると、深々と、恭しく頭を下げた。
「ミカ・アシュフィールド様。陛下が、直々にお目通りを願っておられます」
その、あまりにも丁寧な物腰と、「様」付けの敬称。
それは、私がもはや「田舎から出てきた役立たずの新人」ではないことを、明確に示していた。
私のスローライフ計画に、無慈悲な終了宣告が突きつけられた瞬間だった。
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