第三話 浮つく視点
「呪われた答案」事件の調査は、完全に行き詰まっていた。
生徒会長である桐谷澪を恨んでいるであろう生徒は、正直なところ、片手では足りないほどいる。彼女の完璧さは、周りの人間の劣等感を鋭く抉るナイフにもなり得るからだ。
私は、自室で今回の事件の情報を、改めてノートに書き出していた。
事実1:星野あかりの、赤点を取った答案が、何者かによって「完璧に」添削されて机に戻された。
事実2:桐谷澪の、封筒に保管されていたはずの答案が、ある部分から白紙にされ、机に「うそつき」と書かれた。
二つの答案用紙を巡る、奇妙な事件。無関係だと考える方が不自然だろう。
では、この二つの事件を繋ぐものは何か。犯人は、同一人物なのか?
桐谷澪への攻撃は、明確な「悪意」だ。
しかし、星野あかりへの「完璧な添削」はどうだろう? 嫌がらせとも、お節介な善意とも取れる。質が違う。
考えられる可能性は、ふたつほどある。
ひとつめ。犯人は、星野あかり本人。
彼女が自作自演で答案を添削し、同時に自分を馬鹿にしたであろう桐谷澪に復讐した、という線だ。だが、彼女に「完璧な添削」ができるほどの学力があるとは思えない。それに、あの気の弱そうな彼女が、生徒会長の机を漁るような大胆な行動に出るだろうか。……逆にいえば、愚かで気の弱い生徒を装えば、犯人像から一番遠ざかることができるとも考えられる。
ふたつめ。犯人は、第三者。
この第三者は、星野あかりに同情し、桐谷澪に悪意を抱いている人物だ。この線の方が、可能性としては高いだろう。星野を助けようとお節介を焼き、その裏で桐谷への個人的な恨みを晴らした。……表舞台に決して姿をみせない、沈黙のヒーロー気取りといったところか。
思考は蜘蛛の巣のように絡まり、出口を見失ってしまう。どちらの可能性を考えても、動機や人物像がぼやけて、明確な輪郭を結ばない。
結局、この事件のキーパーソンは、間違いなく星野あかりだ。彼女が口を開いてくれれば、状況は大きく変わるはず。だが、先日図書室で話を聞こうとした時も、彼女は固く口を閉ざしたままだった。「分からない」の一点張りで、瞳は怯える小動物のように揺れていた。あれ以上、無理に問い詰めることはできなかった。
「はぁ……」
ペンを置き、大きくため息をついた。手詰まりだ。
「──だめだ。だめだ、葵!」
ベッドの上で、死んだセミみたいに沈黙していた暦が、突然、頭を抱えて呻き始めた。
「どうしたんですか、急に」
「この事件は、ノイズだらけだ! 憎悪、嫉妬、劣等感……ぐちゃぐちゃで、全くもって美しくない。 僕の脳が、綺麗なパズルを求めている……。純粋で、ロジカルで、美しい、謎のパズルを……!」
暦はベッドの上でのたうち回る。これがセミなら、こちら目掛けて飛んでくるような勢いだ。
「要するに、集中力が切れたんですね」
私が冷静に指摘すると、暦はむくりと起き上がり、窓の外へ視線を向けた。その瞳が、不意にきらりと輝く。
彼女の視線の先にあるのは、普段は誰も近づかない旧校舎の屋上。
「……! あ、あれは……!」
次の瞬間、彼女の表情が歓喜へと一変する。
「見てくれ葵! あの鳩たち……一斉に同じ方向を向いた!」
「……はい? 鳩?」
暦の指差す先、旧校舎の屋上には、確かに、たくさんの鳩が集まっていた。
言われてみれば、たくさんの鳩が一様に向きを揃えている……気がする。
「……まあ。向いていますね」
「もっとよく見るんだ葵。彼らの間隔……ほら。不自然なほど、均等に空いている。等間隔だ!」
やけにしっかりと整列している……ように、見えなくもない。
「たまたまでは」
「偶然じゃないとも! 誰かが、あの鳩たちを、見えない力で操っているんだ! 磁力か? 音波か? あるいは……もっと、芸術的な何かで!」
念のため。暦の顔を、まじまじと見つめた。頬を紅潮させていて、目線がどこか遠いところにいっている。
「……調査が行き詰まって、現実逃避。田中先生に大見得を切った手前、下手な事は言えなくなっている、と」
「やめたまえ葵くん! 僕は正常だ! 今目の前にあるこの謎を、君は美しいとは思わないのかい!?」
暦は私の手首を、がっしと掴んだ。
その力は、普段のだらしない彼女からは、想像もつかないほど、強い。
「この謎を解き明かしたい! この完璧な芸術の正体を、突き止めなければ!」
「ちょっ……暦! どこへ行くんですか!」
「決まっているだろう! 事件現場さ!」
彼女は、私の抵抗などお構いなしに、部屋を飛び出した。
「この、あまりにも美しく、そして、あまりにも馬鹿馬鹿しい事件の真相を、この目で見届けるんだ!」
彼女に引きずられるようにして、廊下を走る。
もうどうにでもなれ、という気分だった。
やがて私たちは、旧校舎の一番端にある、屋上へと続く階段へたどり着いた。
古びた鉄製の扉には「関係者以外、立ち入り禁止」という色褪せたプレートが、かかっている。
暦はその錆びついたドアノブに、何の躊躇もなく手をかけた。
ぎ、と。嫌な音が階段に響き渡る。
扉の隙間から、生暖かい夏の匂いが流れ込んできた。
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