勇者が来なかった異世界で、俺(整備士)がなぜか救世主として扱われてる件について

三日坊主の遺言

第一章

勇者のいない召喚台

金属が焼けるような匂いが鼻をついた。

 鈍く赤く点滅する警告灯の下、篠崎遼司(しのざきりょうじ)は狭苦しい配線孔に身体をねじ込み、呼吸を殺してコードと格闘していた。


「……また断線かよ。ふざけんな、世界の命運がかかってる装置が、このザマかよ」


 国家召喚研究所――。世界で唯一、異世界召喚装置を保有する日本の極秘機関。遼司はその保守整備班の末端だった。もちろん、選ばれし者ではない。モニターと配線と、夜勤のカップ麺に囲まれた、冴えない29歳の整備員にすぎない。


 今日も今日とて、召喚装置の点検だ。

 だがその夜は、ほんの少し、いつもと違っていた。


「……なあ篠崎、マジで今日“やる”らしいぜ。勇者、召喚するってよ」


 仮眠室で一緒になった同期が、薄笑いを浮かべながら言った。


「マジかよ。ついにアレが動くのか」


「おう。しかも今回は、前回と違って“日本人限定召喚”だとか。勇者の魂が日本人にしか合わないとかで」


「ふぅん……そりゃまた、都合のいい話だな」


 遼司は苦笑した。魂が合う合わない、なんて信じてはいなかった。だが数時間後――自分が“間違って”その魂を背負わされることになるとは、夢にも思っていなかった。


 ――異常発生。

 モニターの警告音が響いたのは、深夜2時13分。


 【対象生命体:脳幹損傷。即死】

 【召喚補正:不完全。代替対象へのリンクを試行中……】

 【転送対象:作業員 ID:SZ-117】


「……あ?」


 目の前が白く弾けた。

 稲妻のような光が視界を裂き、世界が音もなく反転する。


 「うわあああああッ!!」


 遼司の悲鳴は、誰にも届かなかった。


* * *


 視界に、光の破片が浮かんでいた。

 重力が、ふわりと遠のいていた。気づけば、遼司は床に仰向けに倒れていた。いや、床ではない。土。硬くて湿った、異世界の土だった。


 「っ……ぅ、うそだろ……」


 辺りは、赤い空と、黒く爛れた大地。瓦礫。炎。獣のうなり声。戦場の、死の匂い。


 「よくぞ……お越しくださいました、“勇者様”」


 声がした。


 見上げた先に、ひとりの女性が立っていた。


 白銀の鎧。豊かな金髪。形のいい胸元が、装甲の隙間からのぞいている。いや、というか……のぞきすぎじゃないか。


 「……あ、あの、見えてますよ、胸」


 「え?」


 彼女が自分の胸元を見下ろし、慌てて布地を引き寄せた。その仕草がいちいち色っぽく、遼司はなぜか目をそらせなかった。


 「っ! ち、違う! これは魔力収束のために必要な開放部分で――って、なに言わせるんですか!」


 ぷいとそっぽを向く彼女の頬が、ほんのり赤く染まっていた。

 だがすぐに、その表情は険しくなる。


 「……あなたが、“勇者”なのですね?」


 「ちょ、待ってくれ。誤解だ。俺は勇者じゃ――」


 「いいえ。あなたが誰であれ、召喚の光に包まれてこの場に現れたのなら、それが何よりの証拠です」


 彼女は、膝をついて深く頭を下げた。


 「どうか……この滅びかけた世界を、お救いください……!」


 背後で、誰かが嗚咽を漏らした。

 そこには、召喚台の上に横たわるひとつの“遺体”があった。

 首が折れ、血に濡れた男の死体――本来召喚されるはずだった、本物の勇者。


 そしてその代わりに、ここに立たされているのが――

 整備員・篠崎遼司だった。

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