第30話「あなたに、ふれてもいいですか」

 海沿いの帰り道。夜風は冷たく、すこしだけ頬を刺すようだった。

 潮の香りは淡く、波の音がさざめいている。


 双葉と並んで歩くのが、いつもより少しだけぎこちない。


 沙良の心の中では、何かがせめぎあっていた。

 (この手を……)

 (つないでも、いいのかな……)


 足元を見ながら、沙良は歩幅を小さくした。

 けれど、手は震えていた。


 ***


 「寒いね」

 双葉の何気ない一言に、沙良はびくんと肩を揺らした。


 「うん……」

 かすれる声で、ようやく返す。


 (手を……つないでしまえば、少しは温かいかな)

 (そんなこと、きっとわたしが言っちゃいけないのに)


 勇気は、まだ足りない。

 でも、想いだけが胸をいっぱいにしていた。


 沙良はそっと、自分の手の甲を見た。

 その隣にある、双葉の手。


 指先がふれる。――一瞬。


 沙良は慌てて引っ込めた。


 (ごめんなさい……)


 顔を上げられなかった。けれどその時、双葉がゆっくり歩みを止めた。


 沙良も立ち止まる。


 ***


 「……ふれても、いい?」

 声は震えていた。小さな、か細い声だった。


 でも、それは今の沙良が出せる精一杯の“気持ち”だった。


 双葉は、驚いたように目を見開いた。

 けれどすぐに、やさしく笑って、言った。


 「もちろん」


 その一言と一緒に、双葉がそっと手を差し出す。


 沙良は、おそるおそる、重ねた。


 ――あたたかい。


 ただそれだけで、涙がにじみそうになった。


 好き、という言葉は、まだ言えない。

 でも、“この手の温度”が、すべてを伝えてくれていた。


 ふたりは、そのまま何も言わずに歩き出した。


 静かな夜の道を、並んで歩く。

 ふたりの影が、ぴたりと寄り添って、伸びていった。



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