第26話「距離が近づくと、戸惑いも生まれて」

 喫茶店のカウンターには、今日も変わらず潮の香りが漂っていた。

 窓の外ではセミの声が、ややけたたましく響いている。


 けれど――沙良はふと気づく。

 昨日までとまるで違う。

 双葉の隣に立つだけで、どうしようもなく緊張してしまうのだ。


「えっと……テーブルの水、替えてくるね」

「あ、うん。ありがとう」


 会話は交わしている。

 それなのに、どこかぎこちない。

 いつものテンポじゃない。

 ふたりの間に、妙な“間”ができていた。


 (わたしが変に意識しすぎてる……?)


 いや、きっと双葉も同じだ。

 昨日のことを思い出せば、顔が熱くなる。

 好きって伝えた。

 双葉も手を重ねてくれた。

 それはたしかに、嬉しかったのに――。


「沙良ちゃん、元気ないじゃない」

 ふいに、優佳の声がした。


 沙良はびくっとして顔を上げた。

 優佳はカップを磨きながら、優しく微笑んでいる。


「ううん、大丈夫です……たぶん」

「たぶん、は大丈夫じゃないって証拠ね」

 優佳は言って、カウンターの奥に沙良を促した。


 小声で、優佳が言う。


「ねえ。無理に“いい感じの空気”を作ろうとしなくていいのよ。

 何も変わらないふりも、変えようとしすぎるのも、どっちも疲れるでしょ?」


 沙良はうなずいた。

 胸の奥に刺さる言葉だった。

 「今までどおり」って簡単に言えるほど、気持ちは整理できていない。


 夕方。仕事が終わった帰り道。

 セミの声も静まって、風だけが二人の間を抜けていく。


 「……今日は、なんか変だったね」

 双葉がぽつりと口を開いた。


 「うん……でも、きっとそれって、変わったんじゃなくて、近づいたからだと思う」

 沙良がゆっくり言うと、双葉が目を丸くして、そして笑った。


 「そっか。じゃあ、うちらしいやり方で、少しずつでいいよね」

 「うん、ゆっくりでいい……ちゃんと、歩いていけるなら」


 ふたりは、手をつなぐわけでもなく、肩を寄せ合うわけでもない。

 でも、その歩幅は、今までよりもほんの少しだけ、揃っていた。

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