第24話「この気持ちに、名前をつけたなら」

 心の奥で、何かがじんわりと滲んでいる。

 それは痛みではないけれど、優しさとも少し違って。

 ただ、胸の奥で静かに揺れていた。


 沙良は授業中も、喫茶店の仕事中も、ふとした拍子に双葉の顔を思い出す。


 笑ってくれたこと。

 見つめ合ったこと。

 ドキドキしたこと。


(……“好き”って、こういうことなのかな)


 でも、その言葉を口に出すのは、まだ少し怖かった。

 だって、言葉にしてしまったら――もう、戻れなくなってしまう気がしたから。


 


 * * * 


 


 その日の閉店後、海風がゆるやかに吹いていた。


「ねえ、ちょっと散歩しない?」

 片付けを終えた双葉が、沙良に声をかけてきた。


「……うん」

 断る理由はなかったし、何より、その言葉が少しだけ嬉しかった。


 二人で並んで歩く海辺の道。

 潮の香りと、波の音が、言葉を包み込んでくれるようだった。


「沙良さ、最近ちょっと変だよ?」


「え……?」


「なんか、ぼーっとしてるし、目が合ってもすぐ逸らすし……。わたし、なにか嫌なことした?」


 双葉の問いに、沙良は思わず立ち止まった。


「ち、違う……そういうのじゃなくて」

 どうしてか、胸がぎゅっと苦しくなった。

 こんなふうに心配してくれることさえ、優しすぎて、涙が出そうになる。


「だったら、どうしたの?」


「……双葉のこと、考えてて」

 言った瞬間、自分で驚いた。

 でも、言わなきゃいけない気がした。


「なんで、そんなに気になるんだろうって。なんで、笑ってるのを見ると安心するんだろうって……ずっと考えてて」

 声が震えた。足元の砂を見つめながら、沙良は続ける。


「それって、きっと“好き”ってことなんじゃないかって……思って」

 夕陽が、遠くの水平線を照らしていた。


「まだ、よくわかんないけど。

 でも、もしこの気持ちに名前をつけるなら……きっと、それしかないんだと思う」


 沈黙が落ちる。


 でも、双葉は何も言わず、そっと沙良の隣に立った。


 その距離が、何よりの答えのように思えた。


 


 潮風が吹く中、沙良は初めて、恋という名前を心の中で囁いた。



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