第15話「この手紙が届く頃には」

 月曜日の朝。薄い雲が空を覆い、陽の光はまだ優しく、世界を静かに包んでいた。


 制服に袖を通しながら、清水沙良はふと昨日のことを思い出していた。

 双葉と一緒に過ごした、あの喫茶店の静かな午後。

 カップを持つ指先、何気ない笑顔、そして――「そばにいてもいい?」と囁かれたあの一言。


 頬がわずかに熱を帯びる。鏡に映った自分の顔は、どこかふわりと柔らかく見えた。


「……行ってきます」


 小さな声でそう呟き、沙良は玄関を出た。

 街は週の始まりにしてはまだ静かで、風の音が心地よい。

 白い花の咲く道端を通り過ぎながら、沙良は胸の奥にある“なにか”を、形にできずにいた。


 


 放課後、いつもと変わらない教室。だが、沙良の心だけが少しだけ浮いていた。

 喫茶店でのアルバイトがある月曜日。気がつけば制服のまま、店の扉を開けていた。


 ドアの鈴が鳴る音に迎えられ、奥のカウンターで準備をしていた小谷優佳が顔を上げる。


「ごきげんよう、沙良さん。今日も、よろしくお願いしますね」


「……よろしく、お願いします」


 相変わらず声は小さい。けれど、その語尾にはほんのわずかに力がこもっていた。


 やがて、制服姿の春日双葉が扉を押して入ってきた。

 いつものように明るい笑顔――ではなく、どこか少し探るような、そんな表情。


「沙良、お疲れさま。……今日、顔がちょっと優しく見えるかも?」


「……そう、かな」


 沙良はごまかすようにうつむいた。


 双葉と話したい。ちゃんと伝えたい。

 でも、口にすると言葉が詰まってしまいそうだった。


 


 休憩時間。厨房の隅で、沙良はペンと小さな便せんを取り出していた。

 胸の内にあるものを、どうしても言葉にしたくて。


 ペン先が便せんに触れた瞬間、手が止まる。

 何を書けばいいのかわからない。だけど、伝えたい想いだけは確かにそこにある。


 ――最初は、ありがとう、でいいかな。


 震える手で書き出す。ゆっくり、ゆっくりと、心をなぞるように。


 春日さんへ


 この手紙が届くころ、わたしはきっとまたあなたの前で言葉に詰まっていると思います。

 でも、それでも伝えたくて――こうして、手紙を書くことにしました。


 あのときの「そばにいてもいい?」という言葉、いまでも頭の中で何度も響いています。

 わたしは、うれしかった。驚いたけど、でも……うれしかったんです。


 あなたが笑ってくれるだけで、ちょっとだけ強くなれた気がします。

 だから、これからも――


 ……えっと、

 また、いっしょに……いられたら、いいなって。


 清水沙良


 


 翌日。教室の窓際にて、沙良は緊張した面持ちで便せんを小さく折りたたみ、胸ポケットにしまっていた。


 放課後、階段の踊り場。

 誰もいないその空間で、沙良は双葉を呼び止める。


「春日さん……あの、少し、いい……ですか?」


「うん。どうしたの?」


 沙良はぎこちなくポケットから手紙を取り出す。

 深呼吸。鼓動が速くなる。けれど、逃げない。


「……これ、読んでください」


 小さな手が、双葉に差し出された。

 双葉は一瞬目を見開いたあと、穏やかに受け取り、微笑んだ。


「うれしい。ありがとう。読むね、ちゃんと」


 沙良は言葉を返せず、ただ頷いた。

 けれど、背を向けて去ろうとしたそのとき――足が止まる。


 ほんの少しだけ、勇気を出して、振り返らずに言った。


「……読んだら、教えてほしい。……あなたの、気持ち」


 


 薄曇りの空が、やわらかく光を投げていた。

 手紙は、風に揺れながら、双葉の胸にそっとおさまっていた。


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