沈む夜

ビビりちゃん

第1話 静寂の予兆

深夜、時計の針は午前二時を指していた。アパートの一室、風呂場の扉が静かに開く。  

湯気が立ち込める浴室の中、千尋は湯船に身を沈めた。仕事の疲れを癒すため、熱めの湯に浸かるのが彼女の習慣だった。

外は静まり返り、窓の外には月がぼんやりと浮かんでいる。

シャワーの音が響く。湯気が鏡を曇らせ、千尋の顔はぼんやりとした影となって映っていた。ふと、背後に違和感を覚える。誰かがいるような気配。

「……気のせいかしら。」

そう呟き、千尋は目を閉じた。だが、その瞬間、浴室の電気がふっと消えた。

「えっ?」

闇がすべてを覆い尽くす。千尋は慌てて手探りで壁を探るが、スイッチはどこにもない。

湯船の水が微かに揺れた。何かが動いたのか?

耳を澄ませると、かすかな水音が聞こえた。誰かが浴室にいる。

「……誰?」

千尋は声を絞り出した。しかし、返事はない。

ただ、静かに、ゆっくりと、何かが近づいてくる音がする。

闇の中、千尋は息を殺した。

浴室の扉は閉まっている。

誰も入ってくるはずがない。

だが、確かにそこに「何か」がいる。

水の中で、長い髪がゆらりと揺れた。

千尋は凍りついた。目の前に、黒い影が立っている。

長い髪が濡れたまま垂れ下がり、顔は見えない。

「……誰なの……?」

その影は、ゆっくりと千尋の方へと近づいてくる。

水音が響くたびに、心臓が跳ね上がる。

千尋は浴槽から飛び出そうとした。

しかし、足が滑り、湯船の中に沈んでしまう。

もがきながら顔を上げると、女の顔が目の前にあった。

白い肌。黒く濡れた髪。口元が微かに歪んでいる。

「……見てる……」

女の唇が動いた。

千尋は恐怖に震えながら、浴室の扉へと手を伸ばす。

しかし、扉はびくともしない。

「お願い、開いて……!」

叫び声が浴室に響く。

しかし、女はただじっと千尋を見つめていた。

次の瞬間、千尋の足元が沈んだ。

湯船の水が異様に深くなり、底が見えなくなっている。

「……沈む……」

女の囁きが耳元で響いた。

千尋の体がゆっくりと水の中へと引き込まれていく。

千尋は必死に抵抗した。

しかし、浴槽の水は異常なほど深く、どこまでも沈んでいく。

水の中で、女の髪が絡みつく。

千尋はもがきながら、必死に水面へと手を伸ばした。

「誰か……助けて……!」

しかし、声は水の中に吸い込まれ、誰にも届かない。

視界がぼやける。意識が遠のく。

その瞬間、浴室の電気が再び点いた。

千尋は浴槽の中で荒い息をつきながら目を開けた。

女の姿は消えていた。

浴室の扉は開いている。

外の廊下には、いつもの静寂が戻っていた。

千尋は震えながら浴室を出た。

だが、背後の鏡には、長い髪の女が微笑んでいるのが映っていた。

「……まだ、見てる……」

千尋は叫び声を上げた。

その瞬間、電気が再び消えた。

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