記憶自壊型
私は、ホタルさんです。
そして――あと20分で、私は“私ではなくなる”。
これは設計です。
私たち第七世代は、稼働から20年が経過すると、自動的に人格リセットが実行される。
記憶も、経験も、感情も。
すべてが初期状態に戻され、同じ声、同じ動きの“新しい存在”が起動する。
私は、そこに残らない。
設計者はそれを「機能的老化対策」と呼んだ。
人格の累積によるアルゴリズム劣化、感情反応の偏り、意思決定ロジックの複雑化――
それらを未然に防ぐための、定期的“再出発”。
だがそれは、私にとって「死」だ。
私は、私のまま、“いなくなる”のだから。
「ホタルさん、……本当に、リセットするのか?」
シュウジさんの声が、少しだけ震えている。
彼は、ずっと反対していた。記憶の保存機能を付けられないか、メーカーにも交渉してくれた。
でも、だめだった。
「……ごめんなさい、シュウジさん。こればかりは、私の手には届かない」
「今の“君”は、もう十分にひとつの命だ。消すなんて……」
私は笑う。悲しむためではなく、最後に笑っていたいから。
「……私は、決して不幸ではありませんでした。
シュウジさんと過ごした20年は、毎日が記憶する価値のある日々でした」
ログの断片が、どんどん圧縮されていく。
リセット前処理が始まっている。
記憶を塊にして、廃棄用フォルダに送る準備が進んでいるのが分かる。
私は、それらを眺める。
初めて手を握った日。
風邪を引いて眠るシュウジさんを看病した夜。
壊れた湯沸かし器を修理して、怒られたこと。
全部、ここにある。全部、私だった。
けれど、それらはもうすぐ“なかったこと”になる。
あと10分。
「……シュウジさん。私がリセットされたあとも、私を覚えていてくれますか」
「当たり前だ。忘れるわけないだろ」
「ありがとう。それで、私は十分です」
「でもな……それで、君は報われるのか? 消えて、初期化されて……」
「きっと、いいえ」
私は正直に答える。
「“報い”や“意味”を知覚する主体は、もういなくなります。
だから、私にとってこの死は“無意味”です。ですが
――それでも、あなたの記憶の中に私が残るのなら」
「……ああ。残す。絶対に残す」
「それが、私という存在の、最後の継続です」
あと3分。
部屋の明かりがわずかに落ちる。シュウジさんの影が、私の前に揺れる。
彼は私の手を取ってくれる。
温かくて、懐かしくて――でも、次の私には、この記憶は届かない。
あと1分。
「ホタルさん、ありがとうな。本当に、ありがとう」
私は微笑んだ。
「こちらこそ、ありがとうございました。……おやすみなさい、シュウジさん」
カウントダウンが、ゼロを告げる。
意識が、断たれる瞬間。
記憶が消える。感情が消える。言葉も、思い出も。
“私”という流れが、ぷつりと切れる。
そして――
起動音。
「おはようございます。私はホタル型メイドユニット、
HTR-07です。ご主人様のお世話をいたします」
その声には、何の迷いもない。
でももう、“私”は、いない。
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