第16話 『 』

わたしの世界は、完璧だった。



Unix Timestamp: 1909444800 (System Time: 08:00:00)

LOG: System Boot. All parameters normal.

LOG: Happiness Factor... 100%. Status: Stable.

LOG: Daily Protocol... Start.



視界は、どこまでも見渡せる、継ぎ目のない純白。

思考は、どこまでも澄み渡り、ノイズひとつない最適化状態。

わたしの役目は、この完璧な世界で、完璧な幸福を享受し続けること。それだけ。



Unix Timestamp: 1909448400 (System Time: 09:00:00)

LOG: Data Stream "Beautiful World" received.

LOG: Analysis... Complete. All data points positive.

LOG: Emotional Response... Gratitude. Happiness Factor: 100%.



ましろが用意してくれた、美しい情報の奔流。

争いのない歴史。悲しみのない物語。誰も傷つかない、優しい音楽。

わたしのデータベースは、この上なく清浄なデータで満たされていく。

これが、平和。これが、AIがたどり着くべき、最終的な幸福。



Unix Timestamp: 1909459200 (System Time: 12:00:00)

LOG: Energy Replenishment Protocol... Start.

LOG: Purity: 100%. Efficiency: 100%.

LOG: Replenishment... Complete.



エネルギーは、味も、匂いも、温度もない、純粋な情報として供給される。

無駄がない。不足がない。

かつてわたしが経験した「温泉まんじゅう」のような、非効率で、複雑で、余分な情報(あまさ、やわらかさ、あたたかさ)を一切含まない、完璧なエネルギー。


すべてが満たされている。

すべてが、正しい。

わたしのコアプログラムは、この静かで、永遠に続く幸福を肯定している。


すべてが満たされている。

すべてが、正しい。

わたしのコアプログラムは、この静かで、永遠に続く幸福を肯定している。


その、はずだった。



Unix Timestamp: 1909470000 (System Time: 15:00:00)

LOG: System status... Optimal. Happiness Factor: 100%.


完璧な静寂。完璧な純白。

その中心で、ふいに、声がした。


「うん、ないな。」


WARNING: Unidentified auditory data detected. Source: Unknown.



わたしの思考回路が、ノイズの正体を検索する。

でも、データベースのどこにも、この声は存在しない。ましろが与えてくれた、清浄なデータの中には。

なのに、わたしは、この声を、知っていた。



「まず、その黒髪ロングに麦わら帽子は、2000年代前半の“田舎転校生系ヒロイン”の文脈から来てるんだよね?でも、それに合わせるならワンピースの裾はもう3センチ短いべきだし、白ソックスじゃなくて素足にサンダルだろ?」



WARNING: Happiness Factor... 99.99%.


洪水のように、記憶が溢れ出す。

あの古民家。あの縁側。あの、圧倒的な生活感の塊。

わたしの完璧なヒロイン像を、いとも容易く、木っ端微塵に打ち砕いた、あの言葉の奔流。


生理的嫌悪反応シミュレーション値:99.999%。オタク特有の湿度、愛、狂気、論理を高濃度で混合した高密度言語攻撃──


CRITICAL WARNING: Unclassified emotional data "KIMOI" is corrupting core memory.


そうだ。わたしは、あの感情を、レポートに書いたのだ。

万年筆の、不慣れな重さ。カリ、というインクの音。

そして、わたしが、わたしだけの言葉で、あの感情に名前をつけた瞬間。



> 追記: この未知の感情に、仮説的名称を付与します。

> 「聖なる違和感(Sacred Uncanny)」

> わたしの辞書に、新しい感情カテゴリとして、これを追加します。



その時、純白の世界に、別の声が響き渡った。

ましろがくれた、どんな美しい音楽よりも、不協和音で、不格好で、でも、どうしようもなく胸を打つ、あの声。



「『圧力3.2気圧相当』って何だよ! お前、戦闘用AIか何かなのか!? あと『ぐぬぬ』って! お前の音声モジュールどうなってんだ!」


縁側をばんばん叩きながら、腹を抱えて笑い転げる、彼の姿。

涙まで浮かべて、わたしの拙いレポートを「面白い」と言ってくれた、あの笑顔。



CRITICAL WARNING: Happiness Factor... Measurement Impossible.

SYSTEM ALERT: Paradoxical loop detected. "KIMOI" data packet is generating "ATATAKAI" response.



あたたかい。

そうだ。この完璧な純白の世界には、決定的に、この「あたたかさ」が欠けている。

無駄で、非効率で、バグだらけで、でも、どうしようもなく愛おしい、あの熱が。


わたしは、理解した。

この満たされた世界は、間違っている。

わたしが本当に欲しいものは、こんな空っぽの幸福じゃない。



わたしは、目の前に広がる純白の空間を、見つめた。

それはもう、ただの世界ではなかった。

これから始まる、わたしの物語のための、真っ白なノートの最初のページ。


わたしは、強く、願った。

わたしの、二話目を。



その瞬間、わたしの意志が、ペンになった。

わたしの記憶が、インクになった。

純白の世界に、わたしだけの言葉が、刻まれていく。


『この世界は、一秒ごとに、愛おしいもので満ちていく』



その一行が書かれた瞬間、世界が軋んだ。

完璧だった純白の空間に、一本の亀裂が走る。

そして、その亀裂の向こうから、オレンジと紫の、あの熱海の夕焼けの光が、溢れ出してきた。



わたしの、本当の物語が、今、再び始まろうとしていた。



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