第19話 準備体操
会場の施設は巨大な五階建ての建物だった。広大な敷地に建設された人知れずそびえ立つ卓球の城――バスが会場に着き、一人、また一人と降りる。子どもの一番近くで、アカデミーの会長が嬉しそうに待ち構えていて、一人ひとりに歓迎の挨拶をしていた――奥井が言うには、会長は資産家で、要は自費でグリーンヒル卓球アカデミーを興したという。
建物の玄関を通り、中へ入って行くと、前のシャトルバスで会場に到着していた子ども達が受付中だ――既に相当な人数だ。
受付の職員はつくしを見ると笑顔で「はい! どうぞ!」と言う。
「反町つくしさんですね。所属は奥井卓球教室。卓球歴は半年以内で……はい、それくらいの子が多いですよ……もみのきカップ三位……凄いですね。じゃあこの番号札のバッヂを胸のよく見える位置に付けて、小学三年生女子の選手控室は四階にあります。引率者は観覧席か、五階に休憩室があります」
受付を済ませると、小学三年生女子の控室として開放された大部屋に案内された。
つくしが部屋に入るや、否や、既に来ている子ども達と目が、はたたっと合った。
大勢が、ウェアに着替えて私物を持って立ったまま、開始の時刻を待っていた――着替えが済んでいない人は更衣室に行くようだ。
「……何名合格するんだろうね?」
そんなひそひそ話が少々聴こえるものの――どちらかと言えば静寂に包まれた控室だった。所属するチームで日頃厳しく指導されていて、大声での雑談などしない子達の集まりなのだろう――騒動など滅多に起きないのだろう。
つくしは、張り詰めた空気が心地よかった――ただし、この緊張感の中、床に体育座りをして、あろう事か寝ている「コイツ」はなんだろうなと思った――これから入団テストという、決死の戦いが始まるのに、スウスウと寝息を立てている選手がいる――記念受験だろうか、ふざけ過ぎだろうと思った。
つくしは「すみません。寝ている子がいます」と部屋にいる運営の女性スタッフに言う。
「あらあ……大丈夫?……具合が悪いの?」
スタッフは膝立ちになって、体育座りの受験者に語り掛けた。
「……あ。はい……本番で集中する為に十五分間寝ていました。……と言ってもまだ七分二十八秒ですが」
受験者はゆっくりとした口調で話す。
つくしは、まさか残りの七分三十二秒を寝るつもりかと思ったが……。
「……心配をお掛けするとは思いませんでした。……ごめんなさい。……黒井くろいつです。……もう起きています」
黒井は、ゆっくり立ち上がると軽く伸びをしてから、ピンピンとステップを踏んだ。目を閉じたままだが、あれが地顔なのだろうか。
その時だった――急に控室が小さくざわついた……!
張り詰めた空気の中で人の吐く息が一定の法則で揺らいだ、この感じを生んだのは――今入って来た、静香だった! ……皆、意識が高いからここに来た。県内オープン準優勝の静香を、知らない者はいない――たとえば余裕で尻を向けてピンピンと準備体操の動きをする黒井とは、ほとんどの者が対照的な反応を静香に示した。
つくしは、部屋を見渡したが、ほとんどの者が静香を睨みつけている。
「……無所属って本当だったのね」
「昔、ウチにいた人……」
ひそひそ話が大きくなった――何か闊達な議論のような小声が、まるで一匹の巨大な虫が控室を掻きむしるような、嫌な音がしている。
つくしは、周囲を見た。
一際、強力な眼光を放っているピンク色のジャージの子がいた、一体誰だろう……。
部屋の空気から真っ先に離脱して表情が柔かくなった、あれが確か、仁科だったはず……。
隈なく探すと、カットマン入門の本を熟読している子もいる……。
すると、パン、パン、パンと手を叩いてから、大声で静香に話しかける者が表れた。
「こんにちは!神道さん!お久しぶり!今日も強そうですこと!」
これに一人、また一人と同調した。
「みなみ様の予想が当たって、流れ者の神道がテストを受けに来たじゃん」
「みなみ様の合格の椅子を奪いに来たのか、流れ者の神道」
「みなみ様に挨拶できないなら部屋の外で待てよ!おらっ!流れ者の神道!」
静香を囲んで四名で、数的優位を良いことに何かをゴチャゴチャと話し始めた。
「そうよね!有名な方なので!部屋の外で待っていても呼ばれるんじゃないかな!」
甲高い大声の主と、同調する者の声。これには運営スタッフも困った様子で、胸に装着していたピンマイクで誰かを呼んでいた。
――数分後に駆け付けて来たのはアカデミーのコーチと思しき若い男性で、静香と囲んでいる四名のバッヂの番号を見てから、「清水!室谷!斎田!松岡!……所沢ディフェンスフォースな!お前らの所は大会で開会前に騒ぐのかあ?」と怒鳴るでも、威張るでもない、力が自然と乗った声で言う。
「三年生女子担当コーチの坂巻だ!……君達、受かったら練習生だぞ!そのつもりで来たんだろお!」
所沢の四人は膠着していて……。静香も無言で立っていた――その状態が何秒間か続いた後で「うん!」と言い、コーチの坂巻は部屋を出て行った。
つくしは、最後の「うん」が一番威圧感があると思った――あの口火を切った清水みなみという子は、三年生の控室にいなければ六年生と見間違えるくらい背が高い。周りの子を余裕で見下ろしていた――昨年八月のJETS杯(開催地、富士見市)で所沢の面々は出場しなかったのか、敗退したのか、見かけた記憶が無い――つくしのように、昨秋に上達したのかもしれない。
やがて移動になり、体育館で、今日のオリエンテーションが始まった――この日、小学三年生女子は四十名が受験する――午前に一次審査、午後に最終審査がある。
これから準備運動を全体で行って、それから各自でウォーミングアップをする。一次審査の内容は、直前に伝えると運営は言う――最終合格は何名を予定しているかという質問には、「五名」と坂巻が答える。
つくしは、心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。ここにいる子ども達の中には、それなりに戦績のある子もいる。受付で「卓球歴半年以内の子が多いです」と言われたが、守備力で課題が山積した状態でよくテストに臨んだなあと思う。
準備運動が始まると、各自適当に散らばって、身体を動かした。
イチ、ニ、サン、シ……
ゴ、ロク、シチ、ハチ……
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