第9話 ぷかぷか

「わぁ。素敵なお店」

 わたしがうきうきの気分でいられたのは、そこまでだった。

 ううん、もう少し。焼き立てパンの香りと、ふんわりつんやり並べられた商品たち。優しい声で「いらっしゃいませ」と歓迎してくれる店員さん。そう、ここまで。

 盛り上がった気持ちのまま黒嶋くんを振り返ると、彼はバツの悪そうな顔でこちらを見下ろしてほんのいっしゅん、店の奥へ視線をやった。クロワッサンを食べるって決めてたけど、わたしはトレーを手に商品を吟味するフリをして、さっき黒嶋くんが見ていたカフェコーナーを確認した。

 ……いちゃったかぁ。でも、まあ、マシなほうかな。

 わたしが見たことに気づいた黒嶋くんがそわそわしているの、ちょっぴり面白い。

 だから、許しちゃう。

「お、黒嶋! ――っと、南もいたのか」

「っす」

「どうも」

 わざわざ立ち上がって声を掛けてきたのは、去年まで写研の会長をしていた柳川やながわさん。一緒のテーブルについていたあゆみさんと本谷もとやさんにも会釈を。みんな四年生だ。

「こっちきなよ」あゆみさんが手招きする。「珍しいね。二人?」

 黒嶋くんは曖昧な笑み。わたしの反応を窺うように、身じろぎをした。

 大丈夫。あなたのことはさっき許したから。そんな気持ちを込めて頷く。わたしのために動こうとしなくていいのよ。

 たぶん、その思いを正しく受け取って、黒嶋くんは先輩たちに頷いてみせる。

 あっというまに、人気者の顔をして。

「じゃ、失礼しますわ。テーブルくっつけます?」

「店員さんに聞いてみるか」

「買うとき聞いとくっすよ」

「そだな。頼んだ」

 でも、でもね。

 黒嶋くんと話すつもりだった言葉が、味わうつもりだった甘い空気が、わたしの頭上をぷかぷか浮かんでいく。

 シャボン玉みたい。そのうち割れちゃうんだから、自分で割ってみてもいいかしら。

 だってね、わたし、今日をとっても楽しみにしてたんだもの。

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