第9話 研究結果

「ジャック! その吸引器をやめて!」

 わたしは慌てて彼の部屋に向かう。

 と、イリアがジャックにキスをしていた。

「わわ。ごめんなさい!」

 わたしは急いでドアを閉める。

「ち、違うんです! 緊急事態なのです!」

 イリアが声を荒げる。

 手をつかまれ、部屋に引きこまれる。

「わたしにはそんなことできないです!」

 まさかジャックがわたしを求めるなんてないよね!?

「ジャック様が息をしていないのです」

 イリアの言葉にわたしはさーっと血の気が引いていく。

 ジャックに歩み寄る。

 やっと。

 やっとその吸引器に入った薬が毒だと分かったばかりなのに……。

 今度こそ、彼を救うことができると考えたのに。

 救えば、この国はちゃんと立て直すことができたというのに。

 あの救いようのない、王権の奪い合いになることにはなりたくない。

 もう人が死ぬのはたくさん。

 わたしの領土が散り散りになるのも御免被りたい。

 人工呼吸を試みるイリア。

 なるほど。これがキスの真相か。

 でももう分かる。

 ジャックの魂はすでに天に昇っている。

 無理だ。

 不可能だ。

 こんな時、わたしの魔法が使えていれば。

 あの時間遡行の力が発動すれば、きっと変えられるのに。

 でもなんの力も感じない。

 どうして。

「どうしてジャックが死ななければならないのよ……」

 蘇生を試みているイリアには悪いが、彼はもう目覚めない。

 それは分かっている。

 あんな量の薬を吸っていたのだ。

 そりゃ死ぬよ。

 インド象だって死ぬ量だもの。

「どうして!」

 イリアも同じように思っていたのか、心臓マッサージをする手を止める。

 その瞳から大粒の涙を落とす。

 雫は彼の頬を伝う。

 まるで彼が泣いているかのよう。

 しかし、この吸引器を用意したのは誰だ。

 ガチャガチャと音を鳴らしながらやってきたのは医者だ。彼の主治医。

「大丈夫か?」

 医者の声に、イリアは首を横に振る。

「ちゃんと吸引器は使っていたのだろう?」

「はい。しかし、そのお薬を吸ってから体調を崩されて、」

「おいおい。まるで俺が犯人じゃないか」

 そうか。そうだったんだ。

「ええ。あんたが犯人よ」

「リンカーベル様?」

 わたしの低い声を聞き、ぞっとするイリア。

「どういう意味かね?」

「致死量の毒を飲ませていたのはあなたね。お医者様」

 わたしは人差し指を医者に向ける。

「待ってくれ。なんの話だ?」

 とぼけているにしても演技がうまい。

「あんたは病気でもないジャックを貶めるために毒を吸引させていた」

「そんなの証拠がないだろう?」

 すーっと薬を背嚢はいのうから取り出す。

「これがあなたの用意した薬だ。少量をジャックからもらっていた」

 メイドのネェちゃんやイリアも怪訝な顔をする。

 疑いの眼差しが医者を貫く。

 わたしは薬と称した毒を自分の肌に塗る。

「待て!」

「なんで止めたのかしら?」

「い、いや……」

 肌が一瞬で腫れる。

「「これは!?」」

「見ての通りよ、肌を焼くほどの劇薬なの」

「バカバカしい。あんたが用意した別の毒薬なのだろう?」

 彼の隣に置いてあった吸引器にトマトを浸ける。

 一瞬で、トマトが腐り落ちる。

「この薬、なんですか?」

 イリアは冷や汗を垂らし、医者を睨む。

「……ククク。今更気がついても遅いわ。俺の調合した毒薬だ。そう簡単にバレるとは思わなかったがな」

 医者は背中から大砲を取り出し、放つ。

 ボンッと爆発音を聞き届ける。

 キーンと耳がやられ、視界も腫れ上がった膨大な光で埋め尽くされる。

 わたしが動けるようになる頃には、医者はどこかへ消えていた。

「……ごめんなさい。ジャック様。あたしは、あなたに毒を飲ませていたのね」

 イリアがショックを受けたような顔で死んだジャックの頬を撫でる。

「もしかしてイリアさんってジャックのこと、好き?」

「……ええ」

 イリアは言いづらそうに呟く。

「ええ。そうなの。あたし、彼のことが好きになってしまったわ。純粋な瞳、優しい笑顔。すごく魅力的だった」

 自分に言い聞かせるかのように呟く彼女。

 わたし、また使うから。

 また時間遡行の力を使うから。

 だから、彼を救って上げたい。

 これ以上、彼女らを悲しませたくない。

「わたし、頑張るよ。彼の分まで」

 グズグズと泣いていたイリアを見て、わたしは覚悟を決める。

「リンカーベル様?」

 イリアも疑問符を浮かべながらこちらを見る。

「何があったのですか?」

 やっと来たネェちゃん。

「遅いよ。ネェちゃん」

「そう言われましても……。まさかリンカーベル様が飛び出すとは予定外でした」

「うぐっ」

 イリアがうめく。

 どうやら肺が痛いらしい。

 そうか。ジャックに人工呼吸を試みていた。

 少量とはいえ、彼の口元についた毒薬が彼女の体内を駆け巡っているのだろう。

「イリアさん。これで口を洗ってください」

 わたしは水筒を差し出す。

 この薬を消滅させる薬なんてわたしには作れない。

 解毒薬はないのだ。

 だから水で薄めるくらいしか思いつかない。

 しばらくしてようやく正常に戻るイリア。

「ごめんなさい。リンカーベル様」

「いいのよ。それより、あの医者……」

「ええ。たぶんお金が目的ですね」

 ベッドに寝かされたイリアが滔々と語り出す。

 医者は最初、風邪を引いたジャックに近づいていたという。

 そして風邪が治る頃には今のような症状が現れ、そのまま引き続き主治医として雇った、と。

 これは憶測だが、医者は風邪での治療費と手当に味を占め、その後も治療が必要だと思わせる口実が欲しかったのだ。

 金に目の眩んだ医者が毒薬を飲ませ、改善のためにさらに処方する。

 ジャックは金づるとも知らずに体調が悪くなる度に薬を吸引する。

 そんな生活をずっと続けてきたのだ。

 ジャックが不憫でならない。

「思えば、ジャック様はどんどん体調が悪化していたかのように思えます」

 医者以外のほとんどが薬の知識を知らない。

 メイド長のネェちゃんすら医薬品の知識はないのだ。

 だからイリアが知らなくても無理はない。

「申し訳ありません、ジャック様」

 もしかしてイリアってジャックのことを――。

 よそう。こんな話してもイリアが辛くなるだけだ。

「わたし、この毒薬の研究をするよ」

 もう時間遡行ができない可能性もある。

 でも、それでも、彼のような苦しむ人がいたら助けたい。

 あのヤブ医者からすべての人を救いたい。

 わざと病気に見立てて毒を盛るなんて、医者としてあってはならない所業。

 だったらこらしめてやる。

 だってわたしはジャックの一番の友達なのだから。


 数日後にはジャックのお別れ式と、国葬が執り行われた。

 わたしもジャックの亡骸にお花を添える。

「ごめんね……」

 それだけを言い残すと、わたしは右目に違和感を感じる。

 なんだか目がかゆい。

 鏡で見てみると、瞳の色が変わっているではないか。

「なに、これ?」

 その瞳がキラッと光り出すと、周囲の風景が変わっていく。

 先ほどまでドレッサーの前にいたと思っていたのに、今はベッドの上にいる。

 何が起きたのだ。

「リンカーベル様。ジャック様がお呼びです」

 ネェちゃんのりんとした声音がドア越しに聞こえてくる。

 今、ジャックと言ったかしら。

 もしかしてまだチャンスはあるの!?

 なら――。

 今度こそ、ジャックを死なせない。

 死なせるものか。

 世界の命運は彼にかかっているのだから。

 わたしは負けないよ。

 あのヤブ医者にも。

 自分自身にも。


 だってわたしは未来から来たのだから。

 未来を変えられるのはわたしだけ。

 きっとそうだ。

 もう逃げたりしない。

 迷ったりしない。

 今度こそ、ジャックを救う。救ってみせる。


 この力がなんなのかも分からないけど。

 使いこなしてみせるよ、ジャック。

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