第1話 爆裂! 婚約破棄と危険な家族③

 正直言って、あの王太子アルフレッド殿下に婚約を破棄されて茶会がめちゃくちゃになった時点で、今日という日の私の運命は――というよりも公爵家全体の空気は――すでに最悪だった。けれど、それ以上に私を絶句させたのは、激昂した父と兄が突如として庭園に現れたことだった。


「リリエッタ、無事か?」

「殿下はどこだ? 今すぐにでも言い訳を聞かせてもらおうか」


 先ほどまで慌ただしく散り散りに動いていた使用人たちが、父ヴォルフガングと兄レオンハルトの姿を見るなり、さっと道を開ける。私から見ても圧がすごい。思わずノエルと顔を見合わせてしまうほど、二人とも鋭い目つきだった。


 兄のレオンハルトは、自分が妹を守るのは当然と言わんばかりの気迫を放ってこちらへやって来る。髪をかき上げる動作ひとつまで、不穏なオーラが漂っているのが分かる。それだけならまだしも、父ヴォルフガングまでが肩を怒らせ、まるで戦場にいるかのような殺気を漂わせているではないか。


「お父さま、レオンハルト兄さま……ええと、もう、ここは落ち着いて……」

 慌てて声をかける私だったけれど、二人の目はまるで猛獣のように鋭く、既に探し当てる獲物の姿を探している状態。私はというと、どちらかといえば“止める役”だ。今この場でブチ切れられては大変なことになる。


「リリエッタを苦しめたのは、あいつか?」

 レオンハルトが低い声で問う。それに答える前に、父ヴォルフガングの方が先に叫んだ。

「殿下とやらはどこにいる! 我が娘に泥を塗ったというのは本当か!」


 その瞬間、一部の残っていた貴族たちがビクッと肩を震わせる。ここまで怒りを露わにした父を見るのは私も久しぶりで、背筋がぞわりとした。


 すると、ちょうど残っていた人混みの奥にいたアルフレッド殿下が、なんとも言えない焦った表情でこちらを振り返る。先ほどまで「婚約は破棄だ」なんて豪語していたわりに、父や兄の恐ろしさに気づいたのか、目が泳ぎ始めている。


「お、おまえら……なんだ、その顔は。そんなに俺を睨むな」

 殿下は言い訳めいた声を上ずらせながら、腕を組み直す。しかし、どう見ても威厳も何も感じられない。


「ふざけるな。『殿下』だろうがなんだろうが関係ない。よくも俺の妹を侮辱したな」

 兄がにこりと笑う。どこか狂気じみたその笑みに、私ですら鳥肌が立ちそうだ。

「もともと、おまえみたいな甘ったれとは釣り合わないとずっと思っていたがな。まさか婚約の席で恥をかかせるとは……」

「だ、黙れ。おまえなんかに俺の何が分かる。だいたい、こいつが悪いんだ。どうせ気取っただけの意地悪な娘なんだろ?」


 アルフレッド殿下はあくまでも私を悪者扱いするつもりらしい。だけど、その言葉を聞いた瞬間、父はギリッと歯ぎしりを立て、周囲にはっきり聞こえるほどの低い声を放った。

「おまえ……今なんと?」


 貴族たちがその場から一歩後ずさる。見れば兄もさらに顔色を変えて、アルフレッド殿下を睨み続けている。これ以上は本当に危険だと思い、私は慌てて二人の前に立ち塞がった。


「お、お父さま、レオンハルト兄さま、落ち着いてください! 今ここで乱闘になったら、こちらが不利になってしまうかもしれないでしょう!」

「何を言う、リリエッタ。既に殿下がおまえに傷を負わせたも同然なのだ。家族として黙っていられるか」

「妹を泣かせた奴がいるなら、速やかに処分するのが当然ってものさ。……まあ、やり方はいくらでもある」


 にこやかな声色で言う兄が、まるで物騒な手段をいくつも思い浮かべているようにしか見えない。隣でノエルが「お、お嬢様、なんとか止めないと!」と小声でせき立ててきた。


「もう、本当にやめて! 父も兄も、ここで暴力に出るなんてあり得ませんから!」

 必死に手を広げて制止すると、父ヴォルフガングがふうっと息を吐く。

「……わかった。まずは言い分を聞かせてもらおうではないか。殿下とやら」


 その言葉に、アルフレッド殿下はむっと眉を寄せる。だけど父の威圧感に負けたのか、少し小声になりながらこう答えた。

「おまえたちの言い分なんか、聞くまでもない。俺はおまえの娘との婚約を破棄すると決めたんだ。文句があるなら王宮にでも直訴すればいいだろう」


 正論でもなんでもない。殿下が王族である限り、そうそう簡単に覆せないと分かっているからこそ言える傲慢な発言だろう。私は歯ぎしりしながらも、それを聞き流すしかない。だけど、そんなふざけた態度が父と兄の怒りに油を注ぐことは明らかだ。


「いい度胸だな」

 兄が身を乗り出した瞬間、アルフレッド殿下はヒッと短い悲鳴をもらした。以前のあの横柄な雰囲気は一体どこへやら。周りの貴族たちが息をのんで見守っている。


「おまえが王族でなければ……すぐさまこの場で引きずり回してやるところだ。そんな口の利き方をリリエッタにした報いが、どれほど重いか、分かってないのか?」

「わ、わかったから、その落ち着け……公爵家なんて怖くないぞ、俺だって王宮の兵がいくらでもいるんだからな!」

「なら呼んでこい。全員まとめて俺が捻じ伏せる。父上だって黙ってはいない」


「そうだとも」

 沈んだ声で言い放つ父ヴォルフガングに、私は慌てて振り返る。父の目にはまるで、戦場で敵を見つけたときのような殺気が宿っている。そこに加えて兄のサイコじみた笑顔……貴族モブが一斉にざわざわ騒ぎ出した。


 ……これは本当にまずい。アルフレッド殿下がどうとかではなく、ここで刃沙汰のようなことが起これば、公爵家が王家と衝突する大事件になってしまう。この局面をどうにかして回避しなくてはいけない。

 私は何とか落ち着ける術を探そうと、深呼吸をひとつ。


「お父さま、兄さま。申し訳ありませんが、彼に手を出しては、私たちの立場がまずくなってしまいます。こんな……こんな一方的な破談、真っ当な手続きなんか踏んでいないのですから、必ず抜け穴があります。それを探したほうがはるかに得策ではないでしょうか」


 このまま二人を放置すれば、確実にアルフレッド殿下が怪我をする。いや、最悪の事態になりかねない。だからこそ私は必死に頭を回転させて、言葉を選ぶ。


「……ふん、リリエッタがそう言うなら、我慢するしかないか」

 兄は相変わらず不満そうだが、私を大切に思ってくれているのは分かる。そんな彼が踏みとどまってくれたのは不幸中の幸いだろう。


「殿下、今日はこれでお引き取りください。お茶会はもう終わりです。今後のことは改めてお話しさせていただきますわ」

 なるべく落ち着いた口調で告げると、殿下は鼻を鳴らしつつも、まだ兄と父の目があるせいか黙り込んでいる。そして、モブたちの視線の中を足早に立ち去っていった。


 あれほど私を侮辱して去るくせに、家族に威圧されて逃げ出すような姿――思い出すだけで腹立たしいやら、情けないやら。だけど今は、それよりもこの場の混乱をどう収拾するかが先。


「皆さま、本日は大変な混乱をお見せしてしまい、申し訳ありません。お体に触ることもあるかと思いますので、お早めにお帰りいただければ……」

 そう言って頭を下げる私に、何人かの客人が「お、お大事になさって」「何かあったら遠慮なく声をかけてね」と声をかけてくれる。ありがたいが、もうどうしようもない。私の心は今、怒りと屈辱でぐちゃぐちゃなのだから。


「リリエッタ、後で詳しく話を聞かせてもらうぞ」

 父の落ち着いたようで落ち着いていない声が耳に飛び込む。私が振り向くと、父と兄はまだ明らかに怒りが収まりきっていない様子。でも、これ以上は本当に危険だ。私は必死に笑顔を作ってお茶会場を後にする準備をする。


 今回の騒動で、アルフレッド殿下に対して募ったこの憤り。何がどうなろうと、絶対に泣き寝入りなんてしない。いつか、絶対に白黒をはっきりさせてやる。心の中で強く拳を握りしめながら、私はノエルとともに急ぎ会場の後片づけを指示する。


「お嬢様……」

「大丈夫よ、ノエル。気を利かせてくれてありがとう。ほんと、父や兄が暴れなくて済んで助かったわ」

「はい……でも、こんな形で終わらせるなんて殿下もひどすぎます。私はどうしても納得がいきません」

 ノエルの悔しげな表情は私の胸にも突き刺さる。だけど、今は感情に任せて叫ぶわけにはいかない。


 ――怒りの炎は、私の中で静かに燃え続けていた。

 何をどう言おうとも、今日の屈辱は消えない。大勢の前で「おまえなんかいらない」と見下された。しかもまるで私が何か悪事を働いたように扱われた。許せるはずがない。


 そして、父と兄の過激すぎる行動を抑えるだけでも一苦労だが、このまま見過ごすのも尺に触る。もしまた殿下から変な噂を流されたら――考えるだけで腹立たしくて仕方がない。


 「私、絶対にあの人に仕返ししてやる」

 誰にも聞こえないように、唇の奥で呟く。この瞬間の決意を、私は一生忘れないだろう。


 そう、これはまだ始まりにすぎない。公爵家の名誉も、自分自身の誇りも取り戻す。そのためなら、私だってやるべきことをやるつもりだ。

 そう強く胸に誓いながら、私は混乱する庭園を見渡し、深い息をついた。茶会どころか将来の夢まで台無しにされた怒りが、静かに燃え広がっていくのを感じながら。

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