雲隠(作:四方田 萌)

一ノ瀬「さあ、ついにこの時が来たわね…! 四方田さん!」


(一ノ瀬、期待と不安が入り混じった表情で、後輩を見つめる)


一ノ瀬「今までの流れ、わかっているわよね? 正統派の悲劇は『地味』と一蹴され、ミステリーは『面白いけど辛い』、SFに至っては『意味不明』! 私たちの心は、もうズタズタなのよ! あなたの『雲隠』で、この荒んだ部室に、潤いと癒やしを与えてちょうだい!」


二階堂「……ハードルを上げすぎですよ、部長。ですが、四方田さん。あなたの視点は、我々三人にはないもののはず。楽しみにしていますよ」


三田村「……観測対象、最後のサンプル。未知の概念が観測されることを期待します」


四方田「は、はいっ! 皆さんの力作の後で、めちゃくちゃ緊張しますけど……私なりに、一生懸命、心を込めて書きました! 私が一番『見たい』と思った、光源氏の最後の物語です! それでは、発表します!」


(四方田、スマホの画面をスワイプし、少し照れながらも、熱の籠もった声で読み始めた)


***


雲隠

作:四方田 萌


 源氏の君が死んだ、と都中が嘆き悲しんだあの日から、ひと月が過ぎた。

 公式には「六条院にて薨去」と発表されたが、それは偽りである。源氏の君――光源氏は、生きていた。彼は、自らの死を偽装し、この世の全てを捨てて、密かに都を離れたのだ。向かう先は、ただ一つ。かつて彼が須磨へと流離した折、最も心を許し、その苦難を共に分かち合った、友のいる場所であった。

 彼の名は、頭中将。

 若き日より宮中で才を競い合い、時には恋のライバルとして火花を散らし、互いに親友であり、最大の理解者であった男。政界の頂点、太政大臣の座にもいた。

 源氏は、彼に一通の文だけを残していた。

『世を捨て、姿をくらます。されど、我が魂は、ただ汝のそばに』

 その文を受け取った頭中将もまた、全ての公務を息子たちに託し、病と偽って屋敷に籠もった。そして、誰にも知られることなく、京の都から姿を消したのである。


 二人が落ち合ったのは、都から遠く離れた、小さな漁村の粗末な庵であった。

 月明かりだけが差す部屋で、旅の衣をまとった二人は、ただ黙って酒を酌み交わしていた。先に沈黙を破ったのは、頭中将だった。

「……馬鹿な男よ、お前は。栄華の全てを捨てて、なぜこのような場所へ」

 その声は、責めているようで、どこか泣いているようにも聞こえた。

「お前こそ。太政大臣の職にいたような者が、私のような『死人』に付き合うことはあるまい」

 源氏は、自嘲するように笑った。その顔は、都にいた頃の憂いを帯びた光の君ではなく、ただの一人の男の顔をしていた。

「忘れたか、光。若い頃、雨の夜に語り合ったのを。女たちの品定めなどしながらも、我々が本当に求めていたのは何だったか…」

 頭中将は、源氏の盃に酒を注ぎながら、その目をじっと見つめた。

「……ああ、覚えているさ。お前は言ったな。『この世で唯一、我が心を全て預けられるのは、お前だけかもしれぬ』と」

「お前も、そうだろう?」

 問いに、源氏は答えなかった。ただ、盃を干し、ふっと息をついた。その横顔は、月光に照らされて、あまりに儚く、美しかった。

 頭中将は、衝動を抑えきれなかった。彼は、源氏の肩を掴み、自分の方へと無理やり向かせた。

「なぜ、私を頼った。なぜ、他の誰でもなく、私の元へ来た。答えろ、光!」

 その瞳には、長年燻らせてきた想いが、炎のように燃え上がっていた。源氏は、その激しい視線から逃れるように顔を背けたが、頭中将の力強い腕は、それを許さなかった。

「……わからない。気づけば、足がお前のいる方角へ向かっていた。それだけだ」

「嘘をつけ!」

 頭中将は、源氏を壁際まで追い詰め、その両腕を壁に縫い付けた。いわゆる“壁ドン”の体勢である。二人の顔が、吐息がかかるほどの距離で向き合う。

「お前は、いつもそうだ。藤壺の宮、紫の上……常に誰かを求めながら、その心の奥底にある、本当の渇望からは目を逸らしてきた。だが、私は知っている。お前の魂が、本当は誰を求めて彷徨っていたのかを!」

「やめろ、中将……」

 源氏の声は、か細く震えていた。抵抗しようとするが、病み上がりの体では、鍛え抜かれた友の力に敵うはずもなかった。

「いいや、やめぬ。今宵こそ、お前の本心を聞かせてもらう。お前は、私のことをどう思っているのだ!」

 頭中将の指が、源氏の顎に触れ、ゆっくりと上を向かせる。涙で潤んだ源氏の瞳が、月明かりを反射して、きらりと光った。それは、どんな宝石よりも美しい輝きだった。

「……お前は、私の光だった。宮中にあって、ただ一人、私と対等に渡り合える男。お前の存在が眩しくて、妬ましくて……そして、誰よりも焦がれていた」

「!」

「だが、この想いは許されぬ。我々は友であり、ライバル。それ以上の関係になってはならぬと、必死に己に言い聞かせてきた。だから、女たちの中に、お前の面影を追い求めた。だが、誰も……誰も、お前の代わりにはなれなかったのだ!」

 ついに、源氏は魂の叫びを上げた。それは、五十年の生涯をかけて押し殺してきた、初めての告白だった。

 その言葉を聞いた瞬間、頭中将の理性の箍(たが)は、粉々に砕け散った。

「……光よ。我が友よ。……いや、我が愛しき人よ」

 彼は、囁くと、そのまま源氏の唇を、自らの唇で塞いだ。

 最初は驚きに目を見開いていた源氏も、やがてその激しい口づけに応えるように、そっと目を閉じた。長年の渇きを癒すかのように、二人は互いを求め合った。衣服がはだけ、肌が重なり合うのに、そう時間はかからなかった。

「あ……中将……もっと……」

「光……お前の全てを、私にくれ……」

 その夜、二人は初めて、本当の意味で一つになった。庵の外では、ただ静かに、夜が更けていくだけであった。


 翌朝。

 朝日が差し込む部屋で、源氏は頭中将の腕の中で目覚めた。隣で眠る友の顔は、安らかで、満ち足りた表情をしていた。

 もう、何もいらない。帝の地位も、富も、名声も。ただ、この男が隣にいてくれるのなら。

 源氏は、そっと頭中将の額に口づけをした。

「これからは、ずっと一緒だぞ、中将」

「……当たり前だ、光。もう二度と、お前を一人にはしない」

 いつの間にか起きていた頭中将が、力強く源氏を抱きしめた。

 こうして、光の君はこの世から『雲隠』した。彼は、たった一つの真実の愛を見つけ、二人だけの静かな世界で、永遠の安らぎを得たのである。

 めでたし、めでたし。


***


(四方田、読み終えて、恍惚とした表情でスマホを胸に抱きしめる。やりきった、という満足感に満ち溢れている)


四方田「……ど、どうでしたか!? 私の『雲隠』! 光源氏の、本当の幸せの形! これぞ、公式が最大手! 尊みが深いと思いませんか!?」


(自信満々に三人の顔を見るが、部室は、これまでで最も冷たく、静まり返っていた。まさに絶対零度の沈黙)


一ノ瀬「…………四方田さん」


(部長の一ノ瀬が、震える声で口を開いた。その顔は青ざめ、こめかみがひくひくと痙攣している)


一ノ瀬「あなたは……あなたは……! 日本が誇る最高の古典文学を……! あの雅で、奥ゆかしい『源氏物語』を……!! なんてものにしてくれたのよぉぉぉぉぉっ!!!」


四方田「ええええっ!?」


一ノ瀬「光源氏が男と駆け落ち!? 壁ドン!? 濃厚なラブシーンまであるじゃないの! 私の知っている源氏物語は、こんな……こんな破廉恥な物語じゃなぁぁぁいっ!!」


二階堂「……ふむ。ある意味、非常に興味深い解釈ですね」


一ノ瀬「玲!? あなた、正気!?」


二階堂「ええ。考えてみれば、光源氏の過剰なまでの女性遍歴は、自身の本質的な欲望から目を逸らすための代償行為であった、と分析できます。つまり、彼の行動原理の根底には、同性へのリビドーが抑圧されていた、という仮説。…まあ、プロットとしては破綻していますが、動機の解釈としては、一考の価値はありますね」


一ノ瀬「ないわよ!」


三田村「……観測完了。これは、私が知るどのカテゴリーにも分類できない、極めて特異で、高密度な情念のデータです。理解は不能。ですが、この情報が、特定の受容体を持つ知的生命体に対し、極めて強い精神作用を及ぼすであろうことは、予測可能です」


四方田「えへへ……わかってもらえますか、宙ちゃん……! そうなんです、これが“萌え”なんです!」


一ノ瀬「わかるんじゃないわよ! わかってたまるものですか! 私の……私の『雲隠チャレンジ』が……ミステリーになり、SFになり、挙句の果てにはこんな……こんなことに……! もう、お嫁に行けない……!!」


(机に突っ伏して、わんわんと泣き出す部長。それを見て、二階堂は呆れたようにため息をついた)


二階堂「……まあ、結果的に、四人四様の『雲隠』が生まれたわけです。部長が最初に言った通り、『文学は自由なもの』なんでしょう? これで、良かったんじゃないですか」


一ノ瀬「よくないぃぃぃ!!!」


---

議事録担当・書記(四方田)追記:

私の『雲隠』、部長には刺さりすぎたみたいで号泣されちゃった(テヘペロ)。でも副部長と宙ちゃんには、なんかちょっと褒められた(?)から、結果オーライかな! うちの部活、やっぱり最高!

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