第19話『もう一度だけ、あの人に』


桜の花びらが、風に舞っていた。


美咲は一人、校門の前に立っていた。


「ちょうど一年前...ここで待ってたんだよね」


去年の春。同じ場所で、恋人を待っていた。


『ごめん、遅くなった!』


『もう、遅いよ!』


『ごめんごめん。埋め合わせに、アイス奢るから』


『それで許されると思ってるの?』


たわいもない会話。当たり前の日常。


でも、それももう戻ってこない。


「航...会いたいよ」


一年前の事故。


春の嵐の夜。航は美咲に会いに向かう途中で、事故に遭った。


即死だった。


『美咲に会いに行く』


それが、最後のメッセージ。


「私のせいだ...」


あの日、美咲がわがままを言わなければ。無理に会いたいなんて言わなければ。


航は死ななかった。


「もう一度だけ...会いたい」


謝りたい。伝えたいことがある。


ちゃんと、さよならを言いたい。


月が昇った。


春の月は、どこか寂しげに見える。


「願いが叶うなら...なんでもする」


その言葉に応えるように、人影が現れた。


黒髪の少女。赤いリボン。


でも、いつもと違う。どこか感情を押し殺したような、硬い表情。


「ゆびきり屋...」


「願い、聞こえたわ」


声も、どこか震えている。


「本当に会わせてくれるの?航に?」


「ええ。でも、一度だけよ」


「それでいい。一度だけでいいから」


ゆびきり屋は、ゆっくりと小指を差し出した。


その手が、かすかに震えているのを美咲は見逃さなかった。


「どうしたの?」


「なんでもない。さあ、約束しましょう」


二人の小指が絡み合う。


「ゆびきりげんまん 嘘ついたら 針千本飲ます 指きった」


瞬間、世界が歪んだ。


---


気がつくと、美咲は見慣れた場所にいた。


学校の屋上。二人の思い出の場所。


「美咲?」


振り返ると、そこに航がいた。


一年前と同じ姿。同じ笑顔。


「航...航!」


美咲は駆け寄ろうとした。


でも、足が動かない。


見えない壁に阻まれているように、一定の距離より近づけない。


「ごめん、美咲。触れないんだ」


航は悲しげに微笑んだ。


「でも、会えた。それだけで嬉しいよ」


「航...ごめん...ごめんなさい」


美咲の目から、涙があふれる。


「私のせいで...私が会いたいなんて言ったから...」


「違うよ」


航は首を振った。


「美咲のせいじゃない。事故は、誰のせいでもない」


「でも...」


「美咲、俺、後悔してないよ。美咲に会いに行く途中だったから」


その言葉に、美咲は嗚咽した。


「ずっと...ずっと言いたかった。ありがとうって。ごめんなさいって」


「俺の方こそ、ありがとう。美咲と過ごした時間、最高だった」


二人は、触れられない距離を保ったまま、話し続けた。


初めて会った日のこと。


初デートの失敗。


ケンカして仲直りしたこと。


一緒に見た映画。


分け合ったアイス。


「全部、宝物だよ」


航の姿が、少しずつ薄れ始めた。


「待って、まだ...まだ話したいことが」


「時間みたい」


航は、最後にもう一度微笑んだ。


「美咲、幸せになって。俺の分まで、思いっきり生きて」


「航...」


「約束だよ。また会えるから。ずっと先だけど」


航の姿が、完全に消えた。


美咲は一人、屋上に残された。


でも、不思議と心は軽かった。


ちゃんと、さよならが言えた。


「ありがとう...航」


振り返ると、ゆびきり屋が立っていた。


相変わらず感情を押し殺した顔で。


「満足した?」


「うん...ありがとう」


「じゃあ、そろそろ」


ゆびきり屋が、悲しげな微笑を浮かべた。


「覚悟はいい?」


「覚悟?」


その時、美咲は気づいた。


航の最後の表情。


なぜ、あんなに悲しそうだったのか。


「まさか...」


ゆびきり屋は静かに頷いた。


「死者に会うということは、あちらの世界に片足を突っ込むということ」


美咲の身体が、透けていく。


「でも...そんな話...」


「言わなかったわね。でも、あなたは『なんでもする』って言った」


美咲は、恐怖よりも納得していた。


そうか。これが、願いの意味。


もう一度会うということは、自分も向こう側に行くということ。


「航に...会える?」


「さあ、どうかしら」


ゆびきり屋の声が、遠くなっていく。


美咲の意識も、薄れていく。


最後に見えたのは、桜の花びら。


風に舞う、淡いピンク色。


「航...待ってて」


---


翌朝、美咲が屋上で倒れているのが発見された。


心臓発作。


まだ17歳なのに、珍しいケースだと医者は首を傾げた。


葬式には、たくさんの友人が集まった。


「なんで美咲が...」


「最近、航君のことで悩んでたみたい」


「それで...」


みんな、美咲の死を悼んだ。


でも、美咲の顔は穏やかだった。


まるで、大切な人に会えたかのように。


棺に入れられた写真。


美咲と航が、笑顔で写っている。


去年の春に撮った、最後の一枚。


『また会えるよね』


誰かが、そうつぶやいた気がした。


---


ゆびきり屋は、一人月を見上げていた。


黒いノートを開く。


新しいページに、名前を記す。


『美咲 - 再会の片道切符』


でも、いつもと違う。


ペンを持つ手が、震えている。


「死者との再会...一番残酷な願い」


ゆびきり屋の瞳に、一瞬感情が宿った。


悲しみ?後悔?それとも...


「でも、これも契約」


感情を押し殺し、ノートを閉じる。


月光が、赤いリボンを照らす。


風が吹いて、桜の花びらが舞った。


まるで、二人の魂が踊っているかのように。


「愛する人に会いたい。その願いの果てに待つのは...」


言葉を切って、ゆびきり屋は歩き出した。


次の願いを叶えるために。


こうして、今日も名前が増えました。


ブラックリストに。


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