第16話『夢を見続けたい』


月光が保健室の窓から差し込んでいた。


カーテンの隙間から漏れる青白い光が、ベッドに横たわる少女の顔を照らしている。


「もう、起きたくない」


結衣は薄目を開けて、天井を見つめた。


朝が来るたびに、胸が締め付けられる。教室のドアを開ける瞬間、息が詰まる。みんなの視線が突き刺さる。声をかけても返事は返ってこない。グループワークでは、誰も目を合わせてくれない。


「夢の中なら、誰も私を無視しない」


保健室のベッドで眠る時間だけが、唯一の救いだった。夢の中では、友達がいる。笑い合える。一緒にお弁当を食べる。放課後には買い物に行く。


現実なんて、いらない。


「そう思うでしょう?」


振り向くと、窓際に少女が立っていた。黒髪に赤いリボン。古い制服。月光を背に受けて、その姿は影絵のようだった。


「あなたは...」


「ゆびきり屋よ。願いを叶えてあげる」


少女は微笑んだ。その笑顔は、慈母のように優しく、同時に底知れぬ冷たさを秘めていた。


「私の願いを?」


「ええ。夢の中で永遠に生きたい。そう思ってるんでしょう?」


結衣は身体を起こした。


「本当に?本当に叶えてくれるの?」


「もちろん。でも、一度決めたら戻れないわよ」


ゆびきり屋は黒いノートを取り出した。ページをめくる音が、静寂に響く。


「いいの。もう現実なんて、どうでもいい」


「じゃあ、約束しましょう」


ゆびきり屋が小指を差し出す。結衣もそれに応える。


二人の小指が絡み合う。


「ゆびきりげんまん 嘘ついたら 針千本飲ます 指きった」


その瞬間、結衣の意識が霧のように溶けていく。身体が重くなる。瞼が閉じていく。


でも、怖くない。


むしろ、心地よい。


温かい光に包まれて、結衣は深い眠りに落ちていった。


---


「結衣!起きて!」


目を開けると、親友の美咲が心配そうに覗き込んでいた。


「もう、また保健室で寝てたの?授業始まるよ」


「ごめん、すぐ行く」


結衣は飛び起きた。不思議だ。身体が軽い。心も軽い。


教室に入ると、みんなが笑顔で迎えてくれた。


「おはよう、結衣」

「今日の放課後、カラオケ行かない?」

「昨日のドラマ見た?」


次々と声をかけられる。みんなが優しい。みんなが温かい。


これが、私の望んだ世界。


授業も楽しい。先生の話が面白い。友達とのおしゃべりも弾む。


お昼休みには、屋上でみんなとお弁当を食べた。


「結衣のお弁当、美味しそう!」

「これ、交換しよ?」

「いいよ!」


笑い声が絶えない。幸せな時間が流れていく。


放課後のカラオケも最高だった。みんなで歌って、踊って、笑って。


「結衣、歌うまいね!」

「もっと聞きたい!」


褒められて、照れくさくなる。でも、嬉しい。


帰り道、美咲と二人で歩いた。


「今日も楽しかったね」

「うん、明日も楽しみ」

「ずっとこのままがいいな」

「そうだね」


夕焼けが二人を包む。オレンジ色の光が、世界を優しく染めていく。


家に帰ると、お母さんが笑顔で迎えてくれた。


「おかえり、結衣。今日も楽しかった?」

「うん、すごく楽しかった」

「よかった。夕飯、好きなハンバーグよ」

「やった!」


温かい夕食。家族との団らん。テレビを見ながら、みんなで笑う。


お風呂に入って、パジャマに着替えて、ベッドに入る。


「今日も幸せな一日だった」


そう思いながら、結衣は眠りについた。


---


「結衣!起きて!」


目を開けると、親友の美咲が心配そうに覗き込んでいた。


「もう、また保健室で寝てたの?授業始まるよ」


あれ?


既視感がある。


でも、気のせいかな。


「ごめん、すぐ行く」


結衣は飛び起きた。身体が軽い。心も軽い。


教室に入ると、みんなが笑顔で迎えてくれた。


「おはよう、結衣」

「今日の放課後、カラオケ行かない?」

「昨日のドラマ見た?」


同じ会話。同じ笑顔。同じ一日。


でも、幸せだからいい。


何度も何度も、同じ一日を繰り返す。


同じ会話。同じ笑顔。同じ幸せ。


永遠に続く、完璧な一日。


---


「おかしいな...」


何回目かの朝、結衣は違和感を覚えた。


「この会話、前にも...」


でも、美咲は同じ笑顔で同じ言葉を繰り返す。


「もう、また保健室で寝てたの?授業始まるよ」


「待って、美咲。昨日も同じこと言わなかった?」


美咲の笑顔が一瞬止まる。でも、すぐに元に戻る。


「何言ってるの?早く行こう」


教室でも、みんなが同じ言葉を繰り返す。


「おはよう、結衣」

「今日の放課後、カラオケ行かない?」

「昨日のドラマ見た?」


まるで、録画された映像のように。


「ねえ、みんな...」


でも、誰も結衣の違和感に気づかない。いや、気づけない。


これは夢だから。


永遠に繰り返される、幸せな夢。


「出して...ここから出して!」


結衣は叫んだ。でも、みんなは笑顔のまま。


「どうしたの、結衣?」

「楽しくない?」

「みんな一緒だよ」


その笑顔が、今は恐ろしい。


逃げようとしても、どこにも行けない。学校の外に出ようとすると、いつの間にか教室に戻っている。


永遠に続く、同じ一日。


永遠に続く、偽物の幸せ。


「これが...私の望んだこと?」


窓の外を見ると、月が浮かんでいた。


いつも同じ位置に。いつも同じ形で。


その月を見つめていると、赤いリボンの少女が見えた気がした。


優しく、冷たく、微笑んでいる。


---


保健室のベッドに、一人の少女が横たわっている。


もう三ヶ月になる。


意識不明の重体。でも、生命維持装置につながれて、かろうじて生きている。


「結衣ちゃん、今日も会いに来たよ」


母親が、娘の手を握る。


「お医者様は、もう目覚めないかもって言うけど...でも、私は信じてる。きっと目を覚ましてくれるって」


結衣の顔は、穏やかだった。


まるで、幸せな夢を見ているかのように。


時折、唇が動く。何か言葉を紡いでいるようにも見える。


「出して」


でも、その声は誰にも届かない。


窓の外で、月が静かに輝いていた。


保健室の片隅に、黒いノートが置かれている。


最新のページには、こう書かれていた。


『結衣 - 夢の檻』


そして、小さく付け加えられた一文。


「永遠の幸せは、永遠の牢獄。目覚めることのない夢に、おやすみなさい」


こうして、今日も名前が増えました。


ブラックリストに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る