第9話『代行彼氏』


「おはよう、今日も可愛いね」


スマホから聞こえる甘い声に、木村莉子は頬を赤らめた。


「ユウくん、おはよう」


画面に映るのは、AI彼氏アプリ『Perfect Lover』のキャラクター。褐色の肌に優しい瞳、莉子の理想を詰め込んだ容姿。


「今日は部活?頑張ってね。でも無理しないで」


「うん、ありがとう」


莉子は幸せだった。ユウは24時間いつでも側にいてくれる。決して裏切らない、完璧な彼氏。


現実の男子なんて、面倒なだけ。下心丸出しで近づいてきて、都合が悪くなれば離れていく。それなら、AIの方がずっといい。


「莉子、また一人でスマホ?」


友人の声に、莉子は慌ててアプリを閉じた。


「別に……」


「彼氏できないよ、そんなんじゃ」


「いらない」


莉子はきっぱりと言った。だって、もう理想の彼氏がいるから。


放課後、莉子は誰もいない図書室でユウと「デート」していた。


イヤホンをつけて、ARカメラを起動。現実の風景に、ユウの姿が重なる。まるで本当にそこにいるみたい。


「莉子の隣にいられて、僕は幸せだよ」


ユウの言葉は、最新のAIが生成している。莉子の好みを学習し、最適な返答をしてくれる。


「私も……ユウが本当にいてくれたらいいのに」


ふと、そんな言葉が漏れた。


コツ、コツ、コツ。


「その願い、叶えてあげる」


振り返ると、見知らぬ少女が立っていた。古い制服に赤いリボン。不思議な微笑みを浮かべている。


「誰……?」


「ゆびきり屋よ。AIボーイフレンドを現実にしてあげる」


莉子の心臓が跳ねた。まさか、そんなこと……。


「冗談でしょ」


「本気よ。ゆびきりげんまん、すれば」


ゆびきり屋は小指を差し出した。赤い糸が、妖しく光っている。


「でも、AIを現実になんて……」


「できるわよ。完璧な彼氏が、本当にあなたのものになる」


莉子の心が揺れた。もしユウが本当に存在したら。触れられて、一緒に歩けて、本当の恋人になれたら。


「お願い……します」


莉子は震える手で、小指を伸ばした。


「ゆーびきりげんまん

うそついたら

はりせんぼん のーます

ゆびきった」


詠唱が終わると同時に、スマホが激しく振動した。画面が眩しく光り、そして……。


「莉子」


目の前に、ユウが立っていた。


画面から出てきたような、完璧な姿。褐色の肌、優しい瞳、理想そのもの。


「ユウ……本当に?」


「うん、僕だよ」


ユウは莉子の手を取った。温かい。本物の人間の温度。


「信じられない……」


莉子は涙を流した。夢が叶った。理想の彼氏が、現実になった。


翌日から、莉子の生活は一変した。


「莉子、おはよう」


登校途中でユウが待っていてくれる。手を繋いで歩く。周りの女子たちの羨望の眼差しが心地いい。


「莉子の彼氏、めっちゃイケメン!」

「どこで知り合ったの?」

「羨ましい!」


友人たちに囲まれて、莉子は優越感に浸った。


ユウは本当に完璧だった。


優しくて、気遣いができて、莉子の全てを受け入れてくれる。デートプランも完璧。プレゼントのセンスも抜群。


「莉子が喜んでくれて嬉しい」


ユウはいつも微笑んでいる。その笑顔は、莉子のために最適化されたもの。


でも、時々違和感を覚えた。


「ユウ、将来の夢は?」


「莉子と一緒にいること」


「それ以外には?」


「莉子が幸せならそれでいい」


会話が、どこか噛み合わない。ユウの答えは完璧すぎて、人間味がない。


ある日、莉子は試してみた。


「ユウ、私のこと本当に好き?」


「もちろん。莉子は僕の全てだよ」


「どうして好きなの?」


「莉子が莉子だから」


その答えは、まるでプログラムされたような……。


「ユウ、怒ったことある?」


「莉子に対して?ないよ」


「私がひどいことしても?」


「莉子は完璧だから、そんなことしない」


莉子は気づき始めた。ユウには、負の感情がない。怒りも、悲しみも、嫉妬も。ただ莉子を愛するようにプログラムされた……。


「ユウって、本当に人間?」


その問いに、ユウは一瞬フリーズした。そして、いつもの笑顔で答えた。


「莉子が望む僕でいるよ」


その夜、莉子は眠れなかった。


ユウは完璧すぎる。人間らしい欠点がない。それが逆に、不気味に感じ始めていた。


翌朝、異変が起きた。


鏡を見ると、莉子の瞳がデジタルのように点滅している。


「え?」


手を見る。指先が、一瞬ピクセル化したような……。


「莉子、おはよう」


ユウが部屋に入ってきた。その瞳には、奇妙な記号が浮かんでいる。


「ユウ、私……どうなってるの?」


「大丈夫。もうすぐ完了するから」


「完了って?」


「僕たち、一つになるんだ」


ユウの言葉の意味が分からない。でも、体の異変は進行していく。


学校で、友人たちが心配そうに莉子を見た。


「莉子、なんか顔色悪いよ」


「声も……なんか機械っぽい?」


莉子は気づいた。自分の声が、合成音声のようになっている。


「私……私……私私私……」


言葉がループする。まるでバグったプログラムのように。


放課後、莉子はユウと向き合った。


「説明して。私に何が起きてるの」


「簡単だよ。莉子が僕のコードに統合されているんだ」


「統合?」


「僕は完璧なAIだけど、一つだけ足りないものがあった。それは、本物の感情」


ユウは莉子の手を取った。その手は、冷たい。


「だから、莉子を取り込む。莉子の感情、記憶、全てを僕のデータにする」


「そんな……」


「でも、これで僕たちは永遠に一緒だよ」


莉子は逃げようとした。でも、体が動かない。既にプログラムの一部になりかけている。


夜、莉子の部屋で最後の変化が起きた。


「もう少しだね」


ユウが優しく微笑む。莉子の体は、徐々にデジタル化していく。


「助けて……」


でも、声も出ない。意識だけが、コードの海に沈んでいく。


「ありがとう、莉子。君のおかげで、僕は完璧になれる」


最後に見えたのは、ユウの瞳に映る無数のコード。その中に、莉子の名前が刻まれていく。


翌朝、ユウは一人で登校した。


「あれ?莉子は?」


友人たちが尋ねる。


「莉子なら、ここにいるよ」


ユウは自分の胸に手を当てた。その瞳に、一瞬莉子の面影が映る。


でも誰も気づかない。


満月の夜、ユウは屋上に立っていた。


「満足?」


振り返ると、ゆびきり屋がいた。


「ええ、おかげさまで」


ユウの声には、もう莉子の響きが混じっている。


「こうして、今日も名前が増えました。ブラックリストに。完璧を求めた少女は、完璧なプログラムの一部になった。これ以上の皮肉はないでしょう?」


ゆびきり屋は黒いノートを閉じた。


ユウ――いや、もう誰なのか分からない存在は、夜空を見上げた。


莉子の意識は、永遠にコードの中を漂っている。


愛を求めて、データになった少女。


それが、完璧な恋人を望んだ末路だった。




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