第6話 まりあ、自らを恥じる

翌朝。

誠史郎せいしろうと並んで屋敷内を歩いていた桔嘉きっかは中庭に見慣れない光景を見かけ、思わず足を止めた。

膨大な量の洗濯物を一人せっせと運んでいるまりあの姿だ。

洗濯などしたことのない桔嘉だが、たった一人でこなせる量ではないことは一目で分かる。


「あいつ、まさかイジメに遭ってるんじゃ……?」


考えるよりも先に、駆け出すようにしてまりあの元へと向かう桔嘉。

だが、


「おはようございます、桔嘉さん」


桔嘉に気づいたまりあは、嬉しそうに微笑み、爽やかに朝の挨拶をする。

その笑顔に、苦痛や曇りは一切ない。


「おう、おはよう……じゃねぇよ。お前、使用人の奴らにイジメられてんのか?」

「イジメ……?」


何故、桔嘉がそんなことを言い出すのか分からず、キョトンとした表情で首を傾げるまりあ。


「イジメだなんてとんでもないです。皆さんとっても優しい方たちばかりですよ」


大量の洗濯物を抱えたまま、まりあは嬉しそうに語り出す。


「どこへ行っても皆さん明るく挨拶をしてくれますし、困っていることがないか気に掛けてもくださいます。それから、私がやりたいと頼んだことは信頼して任せてくれるんです」


そこで一度言葉を切ったまりあは、少し照れたように桔嘉を上目遣いで見上げ、続きを語る。


「どうやら、私が婚活をしているとの噂が既に広まっているようで、皆さん桔嘉さんのいいところをたくさん教えてくださるんです」


次々と桔嘉を売り込みに来る使用人たちの姿を思い出したのか、まりあがふふ、と小さく笑みを零す。

どうやら、イジメられているというのは桔嘉の杞憂きゆうだったようだ。


「いい職場ですね、ここは。……すごく居心地がいいです」

「そりゃ良かった……けど、さすがにその洗濯物の量は多すぎだろ」

「あ、これは私が先に運んでいるだけで、皆さん手持ちの仕事が終わり次第手伝いに来てくださいます。見た目は大袈裟ですけど、運ぶだけならそんなに大変じゃないんですよ」


桔嘉が苦言をていすると、まるで重みなど感じていないかのように、まりあはスカートを翻してくるりと回ってみせる。驚くほど滑らかな動きだった。


「古武術の応用……でしょうか?」


まりあの洗練された動きを受けて、今まで黙って桔嘉の後ろに控えていた誠史郎が口を挟む。


「よくご存知ですね。誠史郎さんも武術の心得が?」

たしなむ程度でございます。……まりあ嬢こそ、姿勢が良いので最初はバレエのたぐいかと思いましたが、武術の心得があったとは」

「自分の身は自分で守れるよう、父の勧めでいくつか護身術を習っていまして……」

(古武術……。昨日のあの動きは、そういうことか)


昨夜、まりあへと迫った桔嘉を難なく壁に押し付け返してみせた、流れるような動作を思い出し、納得したように桔嘉が小さく頷く。

力が強い訳ではない。体の使い方が上手いのだ。


「桔嘉さん、心配してくださってありがとうございます。そういう訳なので、大丈夫です」

「……分かった。不当な扱いを受けてる訳じゃないなら、俺から言うことはねぇ」

「優しいですね。……っと、違った。優しい男は評価が高いですよ、桔嘉さん」

「あ? なんだそれ?」

「あれ……? えっと、桔嘉さんの好みの気の強い女性に寄せようとしたんですが……」

「はぁ……?」


唐突な方向転換を行うまりあに、桔嘉が困惑の表情を浮かべる。

気の強い女というよりは、まりあのそれはただの「高飛車」だ。


「確かに坊ちゃまは、気の強そうな女性の取り巻きをよく連れておりますね」

「……あぁ、あいつらか。あんなのは別に好みじゃねぇよ。勝手に寄ってくるだけだ」


誠史郎の言葉に、合点がいったとばかりに桔嘉が不機嫌そうに吐き捨てる。

あの高飛車な取り巻きたちを真似ていたのならば、先ほどの台詞にも納得がいく。

だが、そんな真似事をしなくても、まりあは充分に「気が強い」。それは桔嘉自身が身をもって知っている。


「あいつらは俺が好きなんじゃなくて、『皇太子に選ばれた魅力的な自分』が好きなんだ。……お前とは違う」


お前はちゃんと、俺自身を見てるだろ。と、満更でもなさそう呟く桔嘉だが、その言葉はまりあの心を鋭く抉る。


(違わない……違わないんです、桔嘉さん)


確かにまりあは「皇太子の嫁」という立場に興味はない。皇太子妃な自分が好きな訳でもない。

だが、自分の目的のために桔嘉を利用しようとしている点は、彼女たちと同じだ。

グラリ……と、まりあの心が大きく揺れる。ガラガラと音を立てて、足元から大切なものが崩れていく音が聞こえた。


(私はどこかで大きな勘違いをしていた。敵は、倒すべき『悪』なのだと……)


自らの浅はかな勘違いに、まりあは今さらながらに気付く。


(私の敵は……私が支配しようとしている相手は……決して『悪』なんかじゃないんだ……!)


悪女になると決意をしながらも、どこかで敵はそれ以上の極悪人なのだと信じていた。

理不尽に父親を奪われた可哀想な自分は、他人に何をしても許されると思っていた。


(何が「屈服させてみせる」だ。傲慢にも程がある……!)


ノアには大口を叩きながらも、こんなにも大きな甘えがあったことに気づき、自己嫌悪に陥る。


(ああ、嫌だ。自分が恥ずかしい……!)


父に甘え、ノアに甘え、敵にまで甘えを抱いていた。

己の浅はかで未熟な思考に、いっそ消えてしまいたくなる。


「おい、すめらぎまりあ。どうしたんだよ、顔色が悪いぞ?」

「すみません、大丈夫です……」

「大丈夫じゃねぇだろ。その荷物はいったん下に置け。んで、落ち着くまでちょっと座っとけ」


まりあの動揺に気が付き、すぐさま介抱しようとする桔嘉。

それと同時に、誠史郎がまりあの内心を悟る。


(どうやら、まりあ嬢は自分も「自分のために桔嘉様を利用しようとしている」ことに、自ら気が付いたようでございますね。そして、そのことに葛藤している……と)


皇財閥を支えるために桔嘉様を利用するのは別に構わない。

だが、婚活などとまりあは称していたが、誰かを選ぶということは、誰かを選ばないということだ。

自分に好意を寄せる相手を選ばないという残酷な選択を、まりあが本当にできるものか?

中途半端に情を捨てられず、桔嘉様と共依存の関係になるようであれば、その前に排除する。

―――と考えていた誠史郎だったが、やはりまりあはそこまでの考えには至っていなかったようだ。


(純粋で、真っさらで、それゆえに……愚か)


それが誠史郎の、まりあに対する印象だった。

純白で清らかなだけの無知なご令嬢では、皇太子の隣には立てはしない。

だが、


(悪をり、己を磨く糧とできるのならば……)


その愚かさは、弱さではなくなるだろう。


(桔嘉様のためになるのであれば、少し手を貸して差し上げましょう。……お手並み拝見でございます)


「必要悪、という存在をご存知でしょうか。まりあ嬢」

「必要悪……?」

鬼龍きりゅう政影まさかげが率いる組織がそれだと言えば、伝わるでしょうか?」


不意に口にされた言葉に、まりあは息を飲む。

鬼龍政影―――『裏社会』を牛耳る、トップエリートだ。

だが何故、今その名が誠史郎の口からでてくるのだろうか。


「本日、彼らとの会談がございます。婚活をなさっているのであれば、一度お会いしてみて損はないかと」

「はぁ!? 待てよ誠史郎。俺には政影君には会うなって言う癖に、コイツは会わせるのかよ!?」


どんな思惑があるのやら、唐突に政景とまりあを引き合わせようとする誠史郎に、横から桔嘉が不機嫌そうに突っかかる。

どうやら桔嘉と政景は盟友めいゆうの関係にあるようだ。……誠史郎は、あまりそれを快く思っていないようだが。


「桔嘉坊ちゃまは、政影様について危険な場所に踏み入ろうとするからでございます」

「コイツは危険な場所に行ってもいいのかよ?」

「まりあ嬢は自己責任かと」

「……お前、本当に冷たい奴だな」


アッサリとまりあを見捨てる発言をする誠史郎に苦言を呈する桔嘉だが、現時点では誠史郎がまりあを心配する理由はない。

桔嘉を騙すことに揺らぎを感じているまりあと違って、誠史郎は桔嘉がまりあに好意を示そうが、大倭おおやまとへの不利益が生じると判断した場合、迷わずまりあを排除するだろう。桔嘉や使用人たちから冷酷だと罵られようと、誠史郎にはその判断が下せる。

それが誠史郎とまりあの『心の強さ』の差だ。誠史郎が『帝王眼』を有しているかは定かではないが、現時点では確実にまりあに勝機はない。


「桔嘉さん、心配してくれてありがとうございます。……でも私、政影さんに会ってみたいです」


まだ心の整理はつかないまま、まりあは誠史郎へと真っすぐに返事を返す。

迷いはある。自信も失いつつある。それでもまりあにとって絶好の機会だった。逃すわけにはいかない。


「そういやお前、婚活中だっつってたな。なら覚悟しとけ、政影君は格好良いぞ。男も惚れる男だからな」

「それは……確かに、覚悟が必要ですね」


まりあは小さく唾をのみ込む。

……うっかり、惚れてしまう訳にはいかない。

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