第55話 X-Day
12月24日。
目が覚めた瞬間から、わかっていた。
今日が、その日だ、と。
空は、昨日とは打って変わって、雲一つない、冷たい冬の青空だった。
皮肉なくらい、穏やかな朝。
わたしは、ゆっくりと、時間をかけて、支度をした。
一つ一つの動作を、確かめるように。
まるで、それが、自分という存在を、この世界に繋ぎとめる、唯一の儀式であるかのように。
朔くんは、約束通り迎えに来てくれた。
玄関のドアを開けると、彼は、ただ、黙って、わたしを見ていた。
わたしも、彼を見つめ返す。
言葉は、なかった。
交わす必要が、なかった。
わたしたちの覚悟は、もう、決まっている。
家を出て、二人、並んで歩き出す。
どこへ、というあてはない。
だが、わたしたちの足は、自然と、同じ方向へと、向かっていた。
まるで、見えない糸に、引かれるように。
街は、クリスマスイブの、浮かれた空気に満ちている。
幸せそうな、家族連れ。寄り添って歩く、恋人たち。
その、全てが、まるで、違う世界のことのように、感じられた。
わたしたちだけが、この世界の、本当の姿を知っている。
この平穏な日常のすぐ裏側で、巨大な悪意が、その瞬間を、今か、今かと、待ち構えていることを。
やがて、わたしたちは、あの交差点の前に、たどり着いた。
全ての始まりであり、全ての終わりとなる、場所。
わたしたちは、通りの向こう側が見える、歩道に、立った。
ただ、時が過ぎるのを、待つ。
心臓の音が、うるさいくらいに、耳の奥で響いている。
隣で、朔くんが、わたしの手を、強く、握った。
冷たい、彼の手。
その冷たさが、逆に、わたしを、現実へと、引き戻してくれた。
その時だった。
わたしたちの、すぐ近くで、遊んでいた、小さな男の子。
その子の手から、赤いボールが、こぼれ落ちた。
ボールは、ころころと、車道へと、転がっていく。
ああ、始まる。
歩行者用の信号が、緑に、変わる。
少年は、何も考えずに、ボールを追って、横断歩道へと、駆け出した。
そして、わたしは、見てしまった。
通りの、向こう。
一台の乗用車が、信号を、無視して、猛スピードで、こちらに、突っ込んでくるのを。
時間が、引き伸ばされる。
少年の、無邪気な顔。
転がっていく、赤いボール。
運転手の、虚ろな目。
隣に立つ、朔くんの、息を呑む気配。
そして、わたしの、中にいる、もう一人のわたし(・・・・・・・・・)が、叫ぶ。
『助けなきゃ』
『わたしが、行かなきゃ』
『これが、わたしの、運命』
ダメだ。これじゃ何も変わらない。
そう、頭では、わかっているのに。
わたしの体は、もう、地面を、強く、蹴っていた。
「危ない…!」
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