第53話 絶望の淵で、君を想う

自分の部屋のベッドに、倒れ込むように横たわる。

電気もつけず、カーテンも閉めないまま。窓の外では、街のイルミネーションが、無機質に、明滅を繰り返していた。


あの光が、今は、ひどく憎らしい。


『あなたも、同じように、美しく、散るの』

栞の声が、頭の中で、何度も反響する。


陽向さんの、血の気の引いた、絶望に染まった顔が、瞼の裏に焼き付いて、離れない。


くそっ。

くそ、くそ、くそっ…!


僕は、ベッドの上で、拳を、シーツに何度も叩きつけた。

何が「美しい物語」だ。

何が「至高の愛」だ。


ふざけるな。

人の命を、想いを、なんだと思っているんだ。


怒りで、腹の底が、煮え繰り返りそうだった。

だが、その怒りは、行き場がない。


敵は、この世界の法則そのもの。あまりにも、巨大で、理不尽な存在。


俺に、何ができる?

この十ヶ月、僕たちは、無力な抵抗を続けた。

だが、結局、栞の言う通り、全ては、悲劇という結末のための、長い前座に過ぎなかった。

幸福な時間を与えられ、それを一気に奪われることで、より深い絶望を味わわせるための、悪質な演出。

僕たちは、完全に、あいつの掌の上で、踊らされていたのだ。


一瞬、思考が、最悪の方向へと滑り落ちる。


「自己犠牲」が、この世界のクリア条件だというのなら。

陽向さんが死ぬ代わりに、僕が死ねばいいんじゃないか…?


だが、すぐに、その考えを、奥歯を噛み締めて、打ち消した。


違う。それは、解決じゃない。

ただの、責任のなすりつけだ。

僕が死んで、彼女が悲しむ。結局、物語の筋書きが、少し、変わるだけだ。

彼女が、たった一人、残される。

そんなもの、ハッピーエンドでも、何でもない。

それこそ、栞の思う壺だ。


じゃあ、どうすればいい。

もう、道はないのか。

陽向さんが言っていた通り、彼女が死ぬという運命を、受け入れるしかないのか。

彼女が、あの冷たい声が言うように、「美しく」散るのを、ただ、見ているしかないのか。


――嫌だ。

絶対に、嫌だ。


脳裏に、この十ヶ月の、記憶が蘇る。

同じクラスになって、隣の席で、笑い合ったこと。

休みの日に、くだらない映画を観て、感想を言い合ったこと。

図書館で、並んで勉強して、うたた寝してしまった彼女の寝顔。

電話の向こうで聞こえた、眠そうな、優しい声。


あれが、全て、偽物?

悲劇のための、ただの、演出?


違う。

断じて、違う。

あの時間は、僕たちが、二人で、紡いだ、本物だ。

あの笑顔も、あの温もりも、全て、本物だった。


計画なんて、もう、ない。

勝算も、見当たらない。


それでも。

それでも、僕は、諦めない。


諦めて、たまるか。

あいつの言う「美しい物語」なんて、俺が、この手で、めちゃくちゃに、壊してやる。


勢いよく、体を起こした。

スマートフォンの、冷たい画面を、タップする。

陽向さんの、名前を探し出し、メッセージを、打ち込んだ。


『明日、話がしたい。朝一番に迎えに行く』

送信ボタンを、強く、押す。

返事は、すぐに、来た。


『…うん』


たった、一言。


その向こうに、彼女の涙が、透けて見えるようだった。


待ってろ、陽向さん。

僕が、絶対に、君を、悲劇のヒロインになんて、させないから。

たとえ、世界中を、敵に回したとしても。

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