第15話 決別の言葉と、悲劇の開幕
僕がLINEを送ってから、一分も経っていなかったと思う。
ポケットの中のスマホが、けたたましく震えた。画面には『陽向美桜』の四文字。僕は、震える指で通話ボタンをスライドさせた。
『朔くん!? 大丈夫なの!? 怪我はしてない!?』
スマホのスピーカーから、今にも泣き出しそうな、焦った彼女の声が響く。彼女はまず、僕の心配をした。以前の僕なら、そのことに胸を打たれていたかもしれない。
でも、今の僕には、その声色さえも、計算された演技のように聞こえてしまった。
「……俺は無事だ。でも、拓也が病院にいる」
僕は、自分でも驚くほど冷たい声で言った。
『そんな……どうして……』
「話がしたい。今から会えないか」
『う、うん! わかった、すぐ行く!』
「いつもの公園で待ってる」
僕は彼女の返事も聞かず、一方的に通話を切った。もう、彼女のペースには乗せられない。真実を、聞かなければならない。
夕闇が迫る公園にたどり着くと、陽向さんはすでに着いていた。息を切らし、肩で呼吸をしている。全力で走ってきたのだろう。彼女の顔は青ざめ、その表情は、僕が疑っているような演技には到底見えなかった。
それでも、一度芽生えた不信感は、僕の心を黒く塗りつ潰していた。
「陽向さん、正直に教えてくれ」
僕は、何の感情も乗せないように、静かに切り出した。
「君は、どこまで知ってたんだ?」
「え……?」
「拓也が怪我をすることだけじゃない。俺が、その原因になることまで、全部知ってたんじゃないのか?」
彼女の瞳が、大きく見開かれる。その中に、動揺と、絶望的な何かが浮かんだのを、僕は見逃さなかった。
「知らない!」
彼女は、子供のように激しく首を横に振った。
「そんなこと、知らなかった! 私が見た夢は、拓也くんが一人で転んで、怪我をする未来だけだった! 朔くんがそこにいるなんて、夢にも……!」
その必死の弁明も、今の僕の耳には届かなかった。
「嘘だ!」
僕は、叫んでいた。
「じゃあ、なんで俺が原因になった!? 君が俺に、拓也のことを言ったからじゃないか! 俺が心配になって、あそこに行ったからだ! 君の言葉が、君の予言が、未来を最悪の方向に変えたんだ!」
僕の理性が、罪悪感とパニックで崩壊していく。本当は、分かっている。彼女のせいじゃない。あそこに行くことを決めたのは、僕自身だ。
でも、そうでもしないと、親友を傷つけた自分を、保っていられなかった。
「違うの、朔くん……! お願い、聞いて!」
「もうやめてくれ!」
僕は、彼女の言葉を遮った。
「君の言うこと、もう何も信じられない。君が俺のそばにいると、ろくなことがない。俺だけじゃない。俺の大切な人間まで、不幸になるんだ!」
そうだ。原因は、僕だ。
僕という存在そのものが、災厄なんだ。
陽向さんと出会ってから、僕の日常は非日常に侵食された。世界のバグも、奇妙な幻覚も、すべて僕の周りで起きる。
僕が、この世界を狂わせている。
絶望が、黒い奔流となって僕の心を飲み込んでいく。
そして、僕は、彼女にとって最も残酷で、決定的な言葉を口にしてしまった。
「もう、俺に関わらないでくれ」
時が、止まった。
陽向さんの顔から、すうっと血の気が引いていくのが分かった。
陽向美桜が、最も恐れていた言葉。過去のループでも、幾度となく彼女を絶望させた、拒絶の言葉。
彼女は何かを言おうとして、か細く唇を震わせたが、そこから音は生まれなかった。
ただ、その大きな瞳から、大粒の涙が、後から後からとめどなくこぼれ落ちた。
彼女の泣き顔を見て、胸が引き裂かれそうに痛んだ。
でも、ダメだ。これ以上、彼女を、そして他の誰かを、僕のせいで不幸にするわけにはいかない。
僕は、涙を流す彼女に背を向けた。
そして、逃げるように、その場を走り去った。
「ごめん……ごめん、陽向さん……」
走りながら、誰に言うでもなく謝罪を繰り返す。
公園に一人、立ち尽くす彼女の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
一人になって、夜道を歩く。
拓也への罪悪感。陽向さんへの不信感。そして、自分自身への、どうしようもない絶望感。
僕の心は、完全に孤立し、冷たい闇に閉ざされてしまった。
その時だった。
チカ、チカチカッ。
街灯が、不規則に激しく明滅を始めた。
キィィン、と、空間そのものが軋むような、耳障りな金属音が頭に響く。
世界の“バグ”が、これまでとは比較にならないほど激しく、世界を侵食し始めている。
僕の絶望に、世界が共鳴している。
ああ、そうか。
僕と彼女の出会いから始まるこの物語は、悲劇なのだ。
僕は今、この瞬間、完全に理解した。
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