第21話 今日は、きっと特別になる
土曜日の朝。
空は少し早めに家を出て、駅前の集合場所に向かっていた。
気温はすでに高くなり始めていて、蝉の声が駅前のロータリーを満たしていた。
けれど、心は不思議と軽かった。
生成りのオープンカラーシャツに、ブルーグレーのカットソー、ベージュのスラックス。
それは昨日、自分で“選んだ”服だった。
(……似合ってる、かな)
これまでは他人の目を気にするなんて、自分には無縁だと思っていた。
でも今は、自分の“姿”を誰かに見せることを、ほんの少しだけ楽しみにしている。
集合場所には、まだ誰の姿もなかった。
しばらくすると、にぎやかな足音とともに、あやめが駆けてきた。
「空くーん!おはよー!」
元気な麦わら帽子と、白のノースリーブのブラウス。
明るいピンクのショートパンツに、サンダル。
まさに“夏休み先取りガール”だった。
「えっ、なにその服!今日、空くん……めっちゃおしゃれじゃん!? どうしたの!?モデルか何か!?」
「……昨日、買った」
「えぇ!?そうなの!?似合いすぎてびっくりだよ!?ねぇ、詩織ちゃんに見せたい!今すぐ見せたいっ」
そのテンションの高さに、空は思わず笑ってしまいそうになる。
まもなく、詩織がやってきた。
淡い水色のワンピースに、薄手のカーディガン。
彼女らしい、静かで落ち着いた夏の装い。
「ごめん、待った……あ」
詩織の視線が空に向き、数秒の静寂。
一瞬だけ目を見開いた彼女は、すぐにふっと柔らかく笑った。
「……すごく、似合ってる」
「……ありがとう」
心の奥に、小さな音が鳴った気がした。
服を褒められるなんて、これまでなかった。
でも今は、その言葉が素直にうれしいと思えた。
「空くん、今日ちょっとだけ姿勢いいよね」
「……気のせいじゃないか」
「でも、ちょっとだけ“かっこいい先輩”感ある」
「やめろ」
詩織とあやめにからかわれて、空は耳まで赤くなっていた。
そこに、蓮と穂積が合流した。
「おっ、空!お前、なんかイケてるじゃん!」
「誰かのデート用コーデかと思った。まさかの今日が勝負日?」
「違う」
「否定は早かったな」
「でも本当に、雰囲気変わったよな」
「確かに。“夏の風景に自然と馴染む男子”って感じ」
「そう、それ!まさにそれ!」
あやめが大きくうなずいて、詩織が小さく笑う。
空は、少し照れくさそうに視線をそらした。
でも、嫌じゃなかった。
誰かに見られること。
誰かと並ぶこと。
今の自分は、それを嬉しいと思えている。
「よしっ、じゃあモール行こー!今日は“夏を取りに行く日”だよ!」
あやめの声に、全員がうなずいた。
歩き出す5人。
その中に自分がいることを、空は今、心から誇らしく思っていた。
ショッピングモールの自動ドアが開くと、冷房の効いた空気がふわりと肌をなでた。
土曜の午後。
家族連れや若者たちでにぎわう店内は、すでに“夏”に染まりきっていた。
水着、浮き輪、麦わら帽子、ひんやりドリンクのポスター。
視界に入るものすべてが、「夏の楽しみ」を煽ってくる。
「テンション上がる〜!まずは水着売り場からね!」
あやめが先頭を切って駆け出す。
自然と、男子と女子のグループに分かれて歩く流れになった。
空は、蓮と穂積とともにスポーツ用品のコーナーへ向かう。
「空、お前、水着どんなのにする?タンクトップタイプ?ボーダー?スポーツ系?」
「……無難なやつでいいよ」
「ダメだ!今のお前なら“ちょい映え”狙っていこう!」
「えぇ……」
「ほら、俺がいくつか選んでやるから!」
隣で穂積が水鉄砲を手に取りながらつぶやいた。
「この威力……中学生男子が本気でやるタイプだな」
「おまえ、戦闘力で水遊び選ぶのやめなよ」
「こういうのは、勝ってこそ楽しいんだ」
「穂積、勝負ごとになると口数増えるよね」
そんな掛け合いに笑いながら、空はふと遠くを見た。
女性向け水着コーナー。
試着室の前で、あやめと詩織が話している姿が見える。
あやめはノリノリで浮き輪を持ち、詩織は少し恥ずかしそうに白地のワンピース水着を手にしていた。
——そのとき、詩織と視線が合った。
彼女は少しだけ戸惑ったような顔をしたあと、手にした水着を胸元にあてがって、小さく首をかしげる。
「……これ、どう思う?」
空は、言葉に詰まった。
詩織の服装はいつも控えめで、それが似合っていた。
でも今の水着は、ほんの少しだけ華やかだった。
それでも——
「……似合うと思う」
ようやく出た声は、自分でも驚くほどまっすぐだった。
詩織は、はにかむように笑って「ありがとう」と言った。
その一言が、胸に残った。
(なんだろう、この感じ)
自分の言葉で、誰かが少しでも嬉しそうにする。
それが、こんなにも心を動かすなんて。
——そのとき。
「お前、今の“好感度ポイント”高かったぞ」
耳元に、ひょいと現れたコウが囁く。
「……黙ってろ」
「でもな、言葉って、そういうときにちゃんと届くんだよ。誰かのために言った言葉は、ちゃんと残る」
空は何も言わずにうなずいた。
そのあと、合流した5人は雑貨コーナーへ。
ビーチサンダル、バスタオル、防水スマホケース。
あやめはアイスのクッションを手に「これ絶対持っていく!」と叫び、蓮はひたすらサングラスを試着して「これ笑いとれる?」と空に聞いてきた。
「……サングラスって、笑い取るもんだっけ?」
「俺の中では武器だから!」
穂積は黙々と折りたたみチェアの耐荷重を確認しながら、「これ、風に弱くないかな」と真面目な顔をしていた。
そんなやり取りのなか、空はふと、鏡に映った自分の姿を見た。
笑っていた。
何も意識せず、会話に自然と入り、ツッコミを入れ、笑い返していた。
(……前とは、違う)
「空くーん、これとこれ、どっちが似合うと思う?」
再びあやめの声。
パステルイエローと水色の浮き輪を両手に掲げて、真剣な目でこちらを見ている。
「どっちでも似合うと思うけど……あえて言うなら水色」
「やっぱり!?空くんの“あえて”ってなんか信じちゃう〜!」
「根拠は?」
「空くんが言ったから、正解なんだよ!」
「理論の放棄すごいな」
笑いが弾ける。
その笑いの真ん中に、空がいた。
ショッピングモールの喧騒から少し離れたフードコートの奥、窓際のベンチ席に5人が集まっていた。
それぞれが手にしたソフトクリームやアイスカフェラテをゆっくりと味わいながら、袋の中の戦利品を見せ合っていた。
「この浮き輪、やっぱかわいくない!?配色最高じゃない!?」
「お前、3回目それ言ってる」
「空くんが選んでくれたから、つい強調したくなるじゃん〜」
「責任感じてきた」
全員が笑った。
笑い合うその空気は、特別なことをしているわけじゃないのに、どこかまぶしくて、心地よかった。
「……今年の夏、絶対いい思い出にしようね」
ふと、あやめが呟くように言った。
「うん。もうすでに今日がその一日目って感じだな」
蓮の声に、穂積も「同感」と短く続いた。
空は、カップにスプーンを落とす音を聞きながら、その言葉たちをゆっくりと咀嚼していた。
——いい思い出。
その響きが、今の自分にしっくりくるのが不思議だった。
「……空」
隣から、詩織の声が届いた。
「ん?」
詩織は、紙カップを両手で包みながら言った。
「今日の空の服、すごく好き」
声は小さかったが、はっきりと耳に残った。
空は、少し驚いたように詩織のほうを向いた。
詩織は視線を落としたまま、でも唇の端をやわらかく持ち上げていた。
「……ありがとう」
自然と、そう返せていた。
それは、昨日までの自分にはできなかったことかもしれない。
自分が選んだ服を、誰かが見てくれる。
そして“いい”と思ってくれる。
それを、素直に嬉しいと思える。
そのことが、何より自分自身を嬉しくさせていた。
(……今の自分、ちょっとだけ好きだ)
ふと、上から声がした。
「お前、なんか今ちょっとモテたの、気づいてる?」
「うるさい」
「でもなぁ、いいぞいいぞ。この調子で夏が始まったら、空キャ時代来るぞ!」
「空キャってなに」
コウの騒ぎをよそに、詩織はくすりと笑った。
フードコートの明かりが、夕方の光に溶け始める。
空は、買い物袋の取っ手を握りながら、週明けの予定をふと思い浮かべた。
また会える。
また笑える。
それが、ただ楽しみだった。
——今日は、特別な一日だった。
そしてたぶん、明日も明後日も。
空は席を立ち、ゆっくりと背伸びをした。
バッグの中の服や雑貨の重みが、なんだか“誇らしい記憶”に変わっていくようだった。
「じゃ、そろそろ帰ろっか」
「うん。また明日ね!」
「スイカは前日に用意しておくからな」
「水鉄砲も準備万端だ」
「浮き輪、ふくらませておかなきゃ……」
みんなが笑いながらフードコートを出ていく。
通路を抜けてガラスの自動ドアが開くと、すでに空は夕闇の色になっていた。
ゆっくりと流れる街の灯り。
モールの前でそれぞれ別の方向へ散っていく仲間たちを見送りながら、空は一人、信号待ちの歩道に立った。
コウが肩にそっと浮かぶように並ぶ。
「今日、お前ずっと笑ってたな」
「……うん。たぶん、一度も無理してない」
「それが“自然に過ごす”ってことだよ」
空は頷いた。
「明日も楽しみだ」
「うん。明日はもっと、夏が始まる日だからな」
信号が青に変わる。
空は歩き出す。
足取りは軽く、気持ちも前を向いていた。
——今日は、きっと、思い出になる。
そして、それが“誰かと一緒にいた記憶”として残るのなら。
それだけで、十分だと思えた。
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