第五章 なかよしこよしの夜宴《サバト》

第30話 ハマグリの憂鬱


●Scene-29. 2059.06.16. 08:00am. 石狩湾新港


 石狩湾新港のビル火災は沈静化していた。


 普通のビジネスビルとは違って、レッド・クロイツの支部は、防火、テロ対策に余念がなかった。

 もし大惨事に発展する可能性があれば、当該のフロアを閉鎖し、爆破することによって真空消火をとる設備さえ供えていた。


 新港周辺には緊急車両がひしめいていて、未だ騒然とした様子だった。

 事後処理に当たるビル関係者が集まり始めていた。

 事件発生の瞬間から事実関係の調査と対策に彼らが奔走しているのはわかっていた。

 だが、表向きの対面を整えるための役者も必要なのだ。


 戒無は、ビルを遠巻きに見上げる黒服の関係者の輪の中に、堂々と入っていった。

 二年前、中東で別れたきりの昔なじみに、軽い調子で笑いかける。

 広東語でおはようと挨拶した。


早晨ゾウサン


 バラバラっと黒服の男たちが戒無の周りを取り囲んだ。


「ファランさま? ……いや、貴方は……」


 男は、いぶかるように戒無を見る。

 戒無はニッと口角を引き上げた。


「藤堂戒無だ。久しぶりだな周武漢チョウ・ウーハン


 周武漢は、ハッとして周りの男たちに命じた。


「警察に気づかれる。控えろ」


 マスコミや警察関係者や闇の組織のエージェントがひしめくこの場所で、目立つ行動をとるのは控えるのが得策だ。

 周は、唸るように言った。


「シャオロンさま……。生きていらっしゃったとは……」

「亡霊かもな」

「相変わらず知能犯ですね。今は、目立つことこそ身の安全かと」


 衆人環視の中では、周も戒無を拘束することはできない。

 カジノ経営は、あくまでも表向きのビジネスなのだ。


「んなことよりな。このヤマ、踊らされてるぜ?」


 戒無は周の耳元でささやいた。

 周は眉をひそめる。


「貴方を、信用しろと?」

「はは……。できねぇか。だが、漁夫の利って、知ってるか?」


 昔、シギとハマグリが争っているところに漁師が来て、両方とも捕まえてしまったという中国の故事だ。


「どこかに漁師が潜んでいると?」

「どっちがシギで、どっちがハマグリだか知らんが、漁師に喰われて終わりだ。漁師のクソになるのが嫌なら、もっと頭を使え」


 周は、無骨な大男だった。

 実直で、忠義に厚い。

 日本のヤクザ映画でたとえるなら、先代の跡目を継いだ坊ちゃんの面倒を見る若頭、といった感じだ。


 戒無は、自分の思いついた形容にウケて、少し笑った。


「ファランは、シロだ。あいつは死んでもレッド・クロイツを裏切るようなヤツじゃない」


 ピクリと周の頬が引きつる。


「貴方はどうなんです? 冬宮の飼い犬になった貴方の言葉を信じろと言うのですか?」

「俺は、冬宮のじじいの命令で動くつもりはない。今はしがない町の何でも屋だ。おせっかいだとは思ったがな、漁師に立ち向かうには一時休戦もやむなし、だろ? ハマグリ」


「はま……私が、ハマグリですか?」


 戒無は、声を上げて笑った。

 プロレスラーのような巨漢は、とまどった目をぱちくりとさせた。


「ははは。ごついハマグリだな。レッド・クロイツ東京支部代表チョウ・ウーハン」


 戒無は、周の視線をすくい上げるように上目遣いで男を見た。

 周は、上背のある戒無よりもさらに十センチは背が高い。

 その体躯に似合わぬ子供好きで、昔は遊んで貰った記憶もある。


「シャオロンさま! 組織に戻るつもりでしたら、私が総督にお口添えを……」


 戒無は、静かに首を横に振った。


「チュンメイと、約束しちまったんだ。死人は、裏切れねぇだろ?」


 周は、その一言で、すべてを理解したような、切なげな表情になった。


「ニナお嬢様ですか……。それで冬宮に? シャオロンさま、貴方も損な性分ですね……」

「チョウ、ルドルフ・アイケを洗え。絶対に気づかれるな。おまえの腹心だけを使え」


 周は、いぶかるように首をひねった。

 彼の知識の中のルドルフ・アイケは、バベル・ハザード以来友好関係にあるフリーダム・セブンの中の一つのセクトを従える、地味な男だ。


 周には、十年前の陥穽があの男の仕組んだものであることも、あの男がジランの中に潜ったピュア・チャイルドであることも知らされていないのだろう。

 花狼が組織の利益を重んじ口を開かないのなら、お節介を焼くしかあるまい。


 戒無は、声をひそめた。


「十年前、俺たちを陥れたのは、あの男だ」


 周は、愕然として戒無を見た。


「では、ファランさまは、なぜそれを黙って……?」

「さわぎたてるだけが政治じゃねーだろ? あいつは一人で真実を抱えることのできる器だってことだ」


 戒無はニッと笑った。

 ヒラヒラと手を振り、黒服の輪の中から離れていく。


「追いましょうか?」


 取り残された周に側近が耳打ちした。

 周は首を振り、低く唸った。


「いい。あの男は敵ではない」


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