第33話 辻斬り

 夜の帳が降りた頃、勝間の裏道での戦いの余韻を残したまま、武蔵は古びた診療所の戸を叩いていた。


 「……毒の回りが早すぎる。時間を稼がねば……」


 自分で縫った応急処置の包帯から、じわりと滲む黒ずんだ血。だが、それを見てさえも彼の眼差しは曇らない。彼の中では、すでに次の戦いが始まっていた。


 その頃――


 京の裏路地。雨の石畳に、男の死体が転がっていた。


 首筋から肩口にかけて、一文字に走る深い裂傷。


 現場に駆けつけた巡査が、懐中時計を確認しながら無線でつぶやいた。


 「まただ……今月に入って、これで七人目だぞ」


 男の背には、白墨で描かれた不気味な記号――蛇が巻きついた剣の印。


 「“辻斬り”か?」


 「いや……ただの辻斬りじゃない。これは“浄化”だ」


 誰かがそう呟いた。だがそれを否定する声は、なかった。


 ◆


 一方、科学省。


 モニターに映し出されたのは、辻斬りの被害者たちのデータと、ある共通点――全員が何らかの“実験的薬剤”の使用履歴を持っていたこと。


 「……やはり、始まったわね。“蛇頭”の第二段階、**《夢狩り》**が」


 小夜子は独り言のように呟くと、机の上に置かれた封筒を開いた。


 中に入っていたのは、武蔵の血液検査の初期解析結果と、陽翔の血清に含まれていた未知の抗毒素の構造式。


 「この二人を交差させることで……“夢耐性”の正体がわかる。武蔵は毒に、陽翔は現実の絶望に抗って生き残った。ならば――」


 レンズ越しの視線が、狂気すれすれの好奇心に揺れた。


 「“夢を斬る者”と、“夢を守る者”……この世界が欲しているのは、果たしてどちらかしら?」


 ◆


 深夜、京・鴨川沿い。


 街灯の影の下、ひとりの剣士が立っていた。全身にボロをまとい、白い髪と鋭い眼光だけが異様に目立つ。


 その男の名は灰斬はいざん


 「“蛇頭”の残党め。武蔵を試すために動き始めたか。……面白い」


 彼は左手で懐から短刀を抜き、川面に逆さまに映る自分の顔を一閃で斬り裂いた。


 その刹那、どこからか現れた影が問いかける。


 「灰斬……お前もまた、“夢を斬る者”か?」


 「いや。俺は、“夢に斬られた者”だよ」


 灰斬は笑った。哀しげに、そして静かに。


 その笑みは、やがて血の雨が降る夜を予感させていた――。


 ◆


 そして病院――


 陽翔のベッドサイドに、ふと揺れたカーテンの影。


 「……また、夢を見ていた」


 少年の瞳が、微かに開いた。


 その瞬間、彼の脈拍に異常が現れる。


 血中の未知の抗毒素が反応を示したのだ。


 傍らにいた看護師が駆け寄り、緊急アラームを押そうとした瞬間――


 陽翔の指が、そっとその手を止めた。


 「……来る。辻斬りが……あの人の“夢”を試しに来る……」


 少年の呟きに、誰も気づかなかった。


 夜明けまでに、“夢”が何を守り、何を失うのか――それはまだ、誰にもわからない。


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