水瓶を傾けて

 人を愛すべしと、そう育てられた。

 人の命は尊く、その人生は眩しいものだと、そう教えられた。


「愛を注ぐ」という表現がある。

 それを初めて知ったとき、私はなんとなく、水瓶を傾ける自分の姿を思い浮かべた。


 注ぐなら注がれる相手もいるものだ。

 注いだら注いだ分だけ、水瓶からは愛がなくなる。


 奪われたとは思わなかった。

 きっと、何もしなくても、少しずつ気化して消えていっただろうから。


 ただ、ひたすら水瓶を傾け続けた。

 愛を注ぐとは、愛を捧ぐということらしい。


 少しずつ、私の中から何かが削れていった。

 はじめに、自分を好きではなくなった。

 次に、友人を尊敬できなくなった。

 そして最後には、誰かに憧れることすら忘れていた。


 人に愛されるべしとは、教えられなかった。

 己の命は尊く、その人生は輝くものだとも、教わらなかった。


 いっそ、水瓶を割ってしまえたらと思ったことが、何度あっただろう。

 欠片になってしまえたら、どれほど楽だっただろう。


 水瓶ひとつじゃ足りない程に、注ぎ続けてきた。

 湧き上がる愛情では到底まかなえない量の愛情を。

 けれど、この水瓶が空になることは無かった。


 気づかぬうちに、知らぬうちに。

 あるいは、目を逸らしているうちに。

 私にも、注がれていた何かがあったのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る