第三章 23 エレカ・ヤヒメ
最初に耳にしたのはヤグの悲鳴だった。リズカードが彼女の身を組み伏せ、傍らのネナは自分の服の裾を破って「ごめんなさい──」と呟きながら手足を拘束している。
「う、く、苦しい──、な、なんだこれ……」
次に聞こえてきたのはエクスワードたちの呻き声だった。見ると、全身で何かを探し求めるように地面の上をのたうち回っている。
「リズカードさん……」
「エレカ! 大丈夫か!」
リズカードは必死の形相で彼女のもとに駆けつけ、肩を掴んで呼びかけてくる。
「い、いまは……でも……」
言葉が出ず、苦しみ悶えるエクスワードの方を指さすことしかできない。地上にいるミクシアン全員が同じように苦しんでいると思うと、息もできないほどだった。
「くそ……これを中世のディアノメアスにできないのか……」
リズカードがコントラ・ディアノメアスを見上げて歯噛みする。確かにこれとは別の、ヴィスを放出する機能を持つ装置があればこの危機は回避できる。
そこへ、ネナが首を振りながら近寄ってきた。
「ダメね。ヴィスゼロ状態でミクシアンは持って数分──この装置を改造するにはとても時間が足りないわ」
「そんな……何とか、何とかならないのか……」
リズカードの狼狽える姿を見て、エレカはパニック状態に陥った、視界のふちがじんわり眩むほどの恐怖に襲われて、ネナに掴みかかるように助けを乞うてしまう。
「やだ、死にたくない……助けて、助けてください……お願いです、お願いします……」
エレカに詰められても沈痛な面持ちをするばかりのネナだったが、ふと、何か気づいたように目を見開いた。
「──ねえ、エレカさん、あなた……どうしてまだ立っていられるの」
「え……」
そう言われて、エレカは少しだけ冷静になった。エクスワードの男たちは立つこともままらないのに、エレカは自分で歩くことができている。落ち着いて呼吸を繰り返すも、ただ負の感情が強いだけで死んでしまうほどの苦しさはない。
「……私、平気です」
エレカが呆然と発した返事に今度は逆に、ネナが動揺した表情を見せる。
「どうして? この子はミクシアンのはずじゃ……」
「エレカはヴィス粒子をまとう体質を持ってる。それが関係しているのか──」
リズカードの言葉に、ネナははっと目を見開いた。
「つまり粒子化するほど過剰なヴィスを、この子のミクシアは取り込めるってこと?」
「粒子化するほど過剰に……そうか、ベイハー博士が言っていた……つまり、今は過剰に取り込んだ分を使っていると?」
その言葉にネナは目を見張った。
「つ──、つまり、ヴィスを溜めておけるほどの、この子のミクシアは異常に高いヴィス伝導率を持ってるってこと? 亜鉛や真鍮を遙かに凌ぐほど!」
「だ、だから何なんですか……」
エレカは早口で交わされる議論につい口を挟んでしまう。結局、ヴィスがなければいつか果ててしまうのは変わらない。エレカが最後に死ぬミクシアンになるというだけだ。
しかし、リズカードとネナの目にはどうしてか希望の光が宿っていた。
「だから何、どころの話ではない。いいか、エレカ、ディアノメアスのような魔導装置は亜鉛や真鍮などの伝導率の高い部品で構成される。魔法の効果を余すところなく使用するためだ」
「ただ中世の未熟な冶金技術だと、伝導率の高い金属を使うとどうしても個々の部品が大きくなって、このくらいのサイズになっちゃう。でもね──今、私たちは未来にいるの。もともとコンテナサイズだったコンピューターが毛細血管の中を泳いでる時代よ」
「この装置は優秀な素材があれば超小型化が可能なんだ。だから──君の体内に宿るヴィス伝導率の高いミクシアを部品とみなし、君の体内に正しくプロットすることで、君自身をディアノメアス化できるんだ」
私が──ディアノメアスに? そのリズカードの言葉にエレカは度肝を抜かれた。
「そんなことが……できるんですか?」
半信半疑で口にすると、ネナは確信に満ちた表情でうなずいてみせる。
「ええ、ディアノメアスの構造は私の頭に完璧に入ってるし、伝導率の高い物体ならどんなに小さくても私の魔法で的確に配置できる」
「じゃ、じゃあ……それでみんなを助けられるんですか!」
「ああ。やるか、エレカ」
リズカードがエレカを見た。その瞳の中にフーロやティアたち高校の同級生たちの顔、そして、養母とその死に際の言葉がフラッシュバックする。
──エレカ……かわいそうな子だよ。なあ、あんたはどのみち、これからひとりぼっちさ。
エレカはそんな養母の面影に向けて思う。ばあちゃん、それは違う。私はひとりなんかじゃない。ひとりなんか、なりたくてもなれなかった。
だって、この時代にエレカ・ヤヒメとして生きてしまっているんだもの。
そして、私はこれからクインティトに住まう全ての人々と繋がる──全てのミクシアンを助けることによって。この大嫌いだった体質を大好きな人に託すことによって。
だから、言わせてよ、ばあちゃん──私はひとりなんかじゃない。
ざまーみろ、だ。
刹那の思惟の後、エレカの心は決まっていた。
「もちろんです!」
「ありがとう、エレカさん」
その返事を聞いた瞬間、ネナは二百年とっておいたというヴィス・スティックを開いた。
容器が崩れ落ちて、中に入っていた数個の結晶片が彼女の掌にこぼれ落ちる。
「時間がないわ。すぐに処置に入る。リズはジンク・ウェブのケーブルをこれで落として」
「わかった」
ネナがヴィス結晶の欠片を指で弾き、リズカードがろくに見ることもなしにキャッチして天井を見上げる。
「
魔法が放たれ、キィン、と金属を断つ音と共に、切断されたケーブルがずるりと垂れ下がってきた。リズカードは振り子のように揺れるそれを押さえ、エレカの方へ引っぱってくる。
「準備完了だ」
「こっちは……待って」
ネナはエレカの背中に手を当て集中した声を出す。その掌の形を感じながらエレカは深呼吸を繰り返して、気分をひたすらに落ち着かせる。イレギュラーな生理反応を起こして、せっかく配置されたミクシアを乱さないためだ。
「良い子たちね……私の思い通りに動いてくれるわ……」
そのうち、何か温かいものがじんわりとエレカの体内に染み渡っていくのを感じた。ネナが操る魔法の手からヴィスを補充したミクシアが、本来の機能を取り戻しているのだ。あるいはネナの発する超高度な魔法の痕跡に身体が感応しているのかも知れない。
──これが、ネナさんの魔法……。
そこにはまるでネナと一体になったような、不思議な心地よさがあった。ネナに委ねたミクシアたちが、この身体の中で少しずつミクロなディアノメアスを構築していくのが手に取るようにわかる。すごい。あんなに大きな装置が、私の全身を使って緻密に再現されていく──。
「よし、できたわ!」
やがて、ネナが声を上げた。時間にして一分程度だろうか。それでもエクスワードたちの呻き声がずいぶん遠くへいってしまったように聞こえる。
「よし、エレカ、これを持ってくれ」
リズカードがケーブルを差し出してきた。その断面は銅と金の間のような色合いの光沢を放っている。思ったより太いそれをエレカは抱きしめるように両手で掴んだ。
これで、みんな救われるんだ──そう思うエレカの耳に、リズカードとネナの会話が入ってくる。
「リズ、準備完了したわ」
「ああ。覚悟はいいか、ネナ」
「ええ……リズ、ごめんなさい。こんなことになるなんて」
「いや、元は寝過ごした俺のせいだ。この時代に迷惑をかけた分、責任は取らないと」
「私も……この子たちを死なせてしまいそうになった償いをしないとね」
「……ネナ、会えて良かった。本当に」
「リズ……私も……」
何を話しているんだろう、とエレカは思った。
まるで──このまま、死んでしまうような会話じゃないか。
その時、エレカは気づいてしまった。どうして気づかなかったのか、不思議なくらいに根本的な問題だった。
エレカがヴィスの
では、クインティトに分配するためのヴィスはどこにある?
コントラ・ディアノメアスに溜まった結晶は活性化できないので使えない。さっき封を解いたヴィス・スティックの結晶片程度じゃ、クインティト中を行き渡らすには足りない。
でも、ふたりがやる気なのだから、ヴィスはものとしてちゃんとあるはずなのだ。
まさか……、まさか──。
全てを察したエレカの右手にネナの手が重なる。それから反対の手にはリズカードの手。
「ディアノメアス、起動」
ネナの声が更に続けて言う。
「
「あっ──」
エレカは身をよじろうとしたがもう遅い。エレカの身体はヴィス結晶を一瞬で放射させる装置と化している。そして、この身が奪って放射するヴィスの源──それはリズカードとネナを千年以上生かし続けてきた、腹部に埋め込まれたヴィス結晶なのだ。
「やだ、やだ! リズカードさん、ネナさん! やめてよ! そんなのってないよ!」
悲鳴を上げるエレカの視界の端で、リズカードとネナの腹部が光を放ち始める。微かだったその光は少しずつ強さを増していき、ほどなく視界が白く染まるほどの強い光となった。
暴れるエレカをなだめすかすように、リズカードとネナが優しく語りかけてくる。
「悪い、エレカ。でも……ここはやはり俺たちのいるべき時代じゃない。君たちの時代だ。古き者は責任だけ負って、去るのが一番良いだろう」
「私のエゴで辛い思いをさせて、本当にごめんなさい。でも、ここまで来れたあなたはきっと強い子だから大丈夫。どうか、強く生きて」
「何言ってんだよ! ふざけんなよ! 死ぬなよ、死ぬな、死ぬなぁーーーーーーーーっ!」
エレカが泣きながら絶叫した瞬間──光が失せた。
ぼとん、とケーブルが足下に落ち、ぐちゃ、と液体の入った袋の弾けるような音がする。
同時に、両端からふたりがエレカに力なく寄りかかってきた。
「ああっ……」
見下ろすと、そこには血溜まりが出来ていた。ふたりの腹部にはまっていた結晶が一気に放射されたために、開いた部分が大きな傷口となって一気に血を噴き出したのだ。ぐったりとしたふたりの身体はエレカひとりの力ではとても支えきれず、ずるずると地面に倒れていく。
「やだ、やだ、リズカードさん、ネナさん……だめ、こんなの……」
エレカが狼狽えているうちにも、血溜まりはみるみる広がっていく。その強い血の匂いにむせかえりそうになった。
──ダメだ、ダメだ、助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ……。
エレカは震える手でリズカードの首筋に触れた。まだ温かく、微かに息がある。ネナに触れてみても同じく、命はかろうじて残っているようだ。そのことに安堵しつつ、しかし、エレカにはふたりを救う手立てが見出せない。
どうすればいい? 私に何ができる? ただ、ヴィス粒子をまとうことしかできない、何の力もない、ただの人間に何ができるっていうの?
「やだよお……やだああ……」
涙を血の池に落としながらエレカは絶望の叫びを上げる。
ああ──せめて、私に魔法が使えたら。そうすればこのくらいの傷、すぐに塞いで──。
「……えっ?」
ふと、違和感に気がついた。エレカは自分の真っ赤に染まった掌を見やる。
わかる。「魔法を使う」というイメージが、脳裏に何故かあったのだ。たったさっきまで、全く想像もつかなかった感覚が、どうして突然……。
その理由はすぐにわかった。この身体に残った魔法の感覚は──。
「私のミクシアたちが……ネナさんの魔法を覚えてるんだ」
ミクシアはネナに配置されていただけではなく、そのヴィスの流れを学習しネナの魔法を会得していたのだ。そこにはネナが千年以上自動で唱え続けていた、命を延ばすための療養魔法も含まれている。これをふたりの命の灯火が消えないうちに発動できれば──。
エレカが辺りを見渡すと、血溜まりに浮かぶ小さな欠片があった。あれは即席のディアノメアスを作る時に、ネナが開けた「千年もの」のヴィス・スティックの余りだ。
すかさず手を伸ばす。掴めたのは、真っ赤に染まった三つの小さな小さな欠片だった。それだけでも十分すぎるほどの魔力が出ると、エレカは嫌というほど知っている。
──お願い。
エレカは結晶をぎゅっと握りしめると、ミクシアに宿った魔法の感覚を行使する。
「
手の中にあるヴィス結晶がエレカの中のミクシアに呼応した。
そのエネルギーはエレカの中を駆け巡り、横たわるリズカードとネナの元へと放射される。辿り着いたヴィスのエネルギーは溢れ出る血を止め、失われた肉組織を再構築していく。
──でも、これだけじゃダメ……。
ふたりの肉体は千二百年にも及ぶ活動を経ている。単に傷口を再生するだけでは足りない。
エレカは急いでリズカードとネナの身体を仰向けに起こし、服を破いて腹部を露出させた。傷は少しずつ埋まっている最中で快癒の兆しが見える。
エレカは再び魔法を使う。
「療養(フェル・グェリール)」
それは肉体に療養魔法をかけ続けさせる魔法だった。先ほどネナが解除したものをまたかけ直した形だ。そして、エレカは結晶の小さな欠片をリズカードの治りつつある傷口に挿し込んでいく。また、ネナの方も同じように──。
最後に残った結晶が使い果たされる頃には、ふたりの腹部の皮膚は綺麗に結合しちょこんと小さなヴィス結晶が植わった状態になった。
ふたりの身体はこれで命を長らえたのだ。
「あああっ!」
そこまで済んだ瞬間、一気に緊張が解けてエレカの肌にどっとヴィス粒子が析出した。
人生で最も緊張した瞬間かも知れない。でも、きっとふたりは大丈夫のはずだ。
「ざ、ざまあみろ……責任とってバイバイなんて……させないんだから」
強がって言うエレカの視界の先で、さっきまで苦しんでいたエクスワードたちが、困惑しながらよろよろと立ち上がっているのが見えた。
「あ……」
エレカはそこで、自分の肌についたきらきら輝くヴィス粒子を改めて見やる。
そうか。ふたりに宿っていたヴィスはきちんとクインティトの大気へ戻っていったんだ。
ああ、ああ……良かった。
エレカは、リズカードとネナのお腹に収まった小さなヴィス結晶に手を置くと、そこに流れ始めた脈動を感じながら、目を瞑って静かに天を振り仰いだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます