第三章 3 エレカ・ヤヒメ
「エレカ君、だったな」
「は、はい」
桟橋にあつらえられた豪華な東屋──大きなソファに縮こまって座るエレカの向かい、同じものにゆったり腰を下ろしたノイスは、遙か海洋に目を向けたまま切り出した。
「君のようなミクシアンが、どうしてもトロポスに行きたいと思った時、簡単に入れる良い方法を教えてあげよう」
突拍子もない話題だった。エレカは困惑しつつも社交辞令的に驚いてみせる。
「そ、そんな方法があるんですか?」
「ああ。まさに、君が今日、ここへ来るためにしたことさ」
ノイスは海の方に片腕を伸ばし、もう片方の手でグラスにワインを注いだ。
「もともと港は全てライゴーが支配していたから、海上は実質トロポス扱いだった。しかし、エクソスやストラトの港がミクシアンに解放されてから、海はどこのものでもなくなって、自由な航行が許されるようになったのさ」
つまり、ミクシアンがトロポスへ確実に入るルートとは、海から侵入するということだ。
「でも、ミクシアン船の侵入を防ぐために、トルーナ海上保安警備社が設立されたんですよね」
エレカが言う。海上にも境壁のように警備を置かなければ、ミクシアン不可侵という体制に破れ目ができてしまう。
「お、よく勉強しているな。あんな形骸化した利権の塊みたいな会社を知ってるとは」
ノイスはくつくつ笑うと、ワインをガッと一気に飲み干す。ぎょっとするエレカに構わず、彼は大きなゲップと共に言葉を継いだ。
「実はあの会社が出動した実績はない。何故なら、海のミクシアンはルールを驚くほど守ったからだ。何せ、トロポスに寄港すれば大事な船が押収されるのは目に見えてる。トルネ=ライゴーと戦って勝利を収めた賢しい連中が、そんな下手な真似はしないってことだ」
エレカは神経を済ましてその話を聞いていた。雑談代わりのちょっとした噂話、くらいの温度感なのだろうが、油断した瞬間刺されるんじゃないかという緊張感があった。
「じゃあ、今の海上保安って骨抜きなんですか……」
「ああ。今はほとんどボットとドローン配備で済ませてるんじゃないか? 出動だって事後通報だから、もう、とにかくガバガバだ」
「そうなんですね」
エレカの相づちに、ノイスは満足したように笑みを浮かべてみせる。
「まあ、平和な時なら笑って済む、よくある『やべー話』だ。だが──今はどうだ?」
そして、にわかに真顔になったかと思うと、空になったグラスを海へと投げ捨てた。驚いてグラスの飛んでいった方を見てしまうエレカに、ノイスは続けて言う。
「今、ゲート付近での抗議が苛烈になってきているが、欺瞞もいいところだ。正しく抗議をしようという意思があるのならな、船のひとつやふたつ、いや、ミクシアンの持つ全ての船舶を賭けて、トロポスに突撃するべきなんだ。本当に、お前らがその身を賭けて、何かを成し遂げようというのならな」
たたみかけるように言い切ると、ノイスはふっと息を吐いた。それから、試すような眼差しで硬直するエレカを見据える。
「それをしないのは連中が現状を変える気がなく、ただ本能的に怒りを解放する考え無しの獣でしかないからだ。そうではないか?」
まるで、エレカがミクシアンの代表であるかのように、言葉尻で詰め寄ってくる。
その勢いに怯んでエレカの頭は真っ白になりかけた──が、なんとか踏みとどまる。違う、彼はエレカを責めているわけではない。エレカ・ヤヒメというミクシアンを試しているだけだ。ここで負けたら、今後もう二度とないチャンスを取り逃してしまう。
幸い、言い分はあった。エレカは深呼吸をすると勇気を振り絞って口を開く。
「そうですね。私もそう思います。でも……海上からの侵入って切り札でしかないと思うんです。一度でもそうやって上陸しまえば、次からは警戒されてしまうわけですから」
「ほう?」
反論を始めたエレカに、ノイスがどこか嬉しそうに片眉を上げる。
「ミクシアンの活動はエクスワードという団体を中心に膨れ上がっている最中です。私が仮にミクシアンを指導する立場だとしたら、その団体が最大勢力に達した段階で全ての船を持ち出して、大人数でトロポスに乗り込むようにします。これは仮の話ですが、彼らに同じような思惑があるとすれば、現在の活動を欺瞞と思い込むのは危ないのではないでしょうか」
一息に言い切った。耳がじんと熱くなり、ノイスにも届いていそうなほど心臓が激しく脈打つ。お腹の底にうっすら吐き気が芽生え始める。
「なるほど、君は──」
やがて、ノイスはゆっくりと言った。
「うん、君は、リズカード君とは違うようだ」
「えっ……」
発言の意図が掴めず、エレカはうまく反応することができない。ノイスは考えるように指をくるくる回すと、ぴっとエレカの方を指さしてみる。
「そう、君は結局、ミクシアンなんだ。どれだけ悩もうと、どれだけ苦しもうと、ミクシアというマイクロボットを持って生まれた以上、否定はできない。しかし、リズカード君は……オルガンではあるが、ミクシアンに対するオルガンではないという感じがする。もっと、根源的な、どんな利害にも縛られない、どんな関係にも縛られない、純粋で自由な人間……そう彼は、リズカード君は〈人間〉なのだ! どうしてかわからないが私にはそう感じられる」
「人間……」
ノイスはリズカードが、中世の賢迅リズカードと同一人物だとはっきり知らないはずだ。しかし、エレカはその熱の籠もった彼の言葉に、どこかリズカードに対する愛着のようなものを感じた。
が、ふいにノイスは興奮の冷めたような目でエレカを見る。
「リズカード君があれだけしつこく推してくるのだ。君もどこか、そういう〈人間〉らしさの片鱗くらいあるのかと思ったが……流石に私の高望みだったようだな」
その落胆したような物言いに、エレカは自分の血の気がさっと引いていくのがわかった。
──私には……人間の片鱗すら、ないの?
「す、すみません……」
「いや、謝る必要はない。リズカード君が特別過ぎるだけなのだろう。現代を生きる私たちが求めるには……あれはちと、酷だ。──さて、本題に入ろう」
動揺するエレカとは対照的に、ノイスはすっかり落ち着いた様子でスマートデバイスを取り出して操作し始める。エレカという人物の概要を確認しているようだった。
「君は亡くなった養母からダルタインの娘だと知らされ、それを証明する出生データを受け取った。間違いないか」
「は、はい」
エレカは無理に気持ちを切り替えてうなずく。少なくとも、話を続ける権利は得たらしい。
ごくりと唾を飲み込むエレカに、ノイスは言った。
「リズカード君からデータは見せてもらっている。私の見立てだがな、結論から言うと君は確かに、親父の隠し子である可能性は極めて高いと思う」
「えっ──」
あっさりと告げられた結論にエレカは息を呑んだ。追い求めてきたもの、ずっと確かめたかったことが、こんなに簡単に──。
「こ、根拠を教えてください」
エレカは努めて冷静に見えるように言った。「ああ」とノイスはデバイスに目を落とす。
「このデータを発行した病院は、親父が一夜限りの愛人に身ごもらせてしまった時、御用達にしている場所だ。足跡をつけずに秘密裏に堕ろしてもらえるかららしい」
「お、堕ろす……」
ひゅっと、どこか大きな血管が縮んだような感覚が過った。
もしかしたら、エレカ自身も──こうして怖れるような身体も意識もないままに、暗闇の中でなすすべもなく死んでいたのかも知れない。その可能性に身が竦んでしまった。
「そういうリスクのある生活を好んでしている人だ。金も権力も名誉も体力も欲望も、未だに余すところなく持っている。今日もどこかの、ライゴーの愛人になるなんていう、甘い夢に溺れるミクシアンの女を引っかけている最中だろう」
ノイスは苦い錠剤を噛み潰したように言う。彼自身も、父親の悪癖で嫌な思いをしたことがあるのかも知れない。
「それでも、私がここにいるのは……」
震えそうな声を必死で張るエレカに、ノイスは首を振ってみせる。
「さあな。そればかりは本当の母親に話を聞くしかないだろうが、現在の技術でも単独で両親を断定する方法は確立されていない。親候補を立てて鑑定するしかないのさ。真相を知るのは困難だろう。まあ、敢えて想像するなら……執念だろうな」
「執念……」
「君を産む、というシンプルな執念さ」
それを聞いた瞬間、エレカの目がじわっと熱くなった。まるで、身体に宿ったミクシアが感応したように。
──お母さん。
エレカは母親の輪郭をなぞろうとしたが、そこには茫洋とした白い靄があるばかりで全く実感が湧かなかった。養母から聞かされた母親像なんて断片の断片でしかない。ノイスの口にした「執念」という言葉を聞いてようやく、母がいない、という事実を目の当たりにした気分だった。
ノイスは海の方を見て長く息を吐くと、再びエレカに視線を戻す。
「ともかく病院の情報は当事者でなければ知り得ないから、改竄の可能性は低いと思う。それに君の容貌はあまりにもオルガン寄りだ。総合的に見て、私自身は君がダルタインの娘だと思っている」
「じゃ、じゃあ……」
エレカは思わず期待してしまう。ノイスが証言してくれれば、ライゴーの親族であることが認められる? そうしたら、今までまっとうに生きようとして奪われた全てのものを取り戻すことができるかも知れない──。
「──まあ、残念ながらそんなこと、公には絶対に認められないだろうがな」
しかし、そんな淡い期待はノイスの堅い口調の前に砕け散る。
「ど、どうして……」
「君の遺伝子情報にオルガンの痕跡が見当たらないからだ。どれだけ状況証拠や人の証言をかき集めても、この一点が決定的に大きな壁になる」
そう、まさにそれをガードに突かれて、ゲートを突破できなかったのだ。
「な、何で……何で、私の遺伝子にオルガンの情報が見つからないんですかっ」
あの時の悔しさも相まって、エレカは半ば、涙声になって訊く。
ゲートで止められたあの日から、ずっと求めていた答えを、ノイスは口にした。
「これも親父の常套手段なんだが──君の遺伝子が破壊されたからだ」
「……え」
何を言われているのか、全くわからなかった。
現実感の失われていく視界の中、ノイスが居住まいを正して言う。
「遺伝子破壊は、ミクシアンのみに確立された遺伝子操作のひとつだ。ミクシアに搭載されたクァジデオキシリポ核酸の一部を、特定の放射線でピンポイントに破壊するんだ。それで、オルガンの親がいることを示す塩基の並び……因子があるんだがそれを消滅させる。他のミクシアや細胞はそのデータを参照して自己複製を行うから、一度の施術すれば、数ヶ月後には身体中の細胞が破壊されたものに完全に置き換わる。すると、その身体からは一片たりとも、オルガンのハーフであることを証明するパーツは出てこなくなる。元は遺伝子病治療のための技術だったんだが、ダルタインのような奴のために使われることも増えたという話だ」
エレカは話の途中から呼吸ができなくなってしまった。細くなった息の合間から、ほぐれた糸のような言葉を紡ぎ出す。
「そ、それで……消しちゃったんですか……? 私が、オルガン……ダルタインの、娘っていう、証拠を……私のDNAから?」
「認知防止策なのさ。そうやって、うっかり産まれたミクシアンの婚外子をライゴーから排除する。産まれた罰として、な。そうして初めてその赤ん坊は生きることを許される」
産まれた罰。その響きはエレカの心を惨く抉った。
──君自身が持つ生きた遺伝子がそう告げてるんだ。あんたは生粋のミクシアンだとな!
いつかのガードの言葉がむごたらしく蘇ってくる。
でも、違った。
本当は──私の中の改竄された遺伝子がそう告げていたんだ。
私は、私の遺伝子にすら、私を否定されているんだ──。
ノイスは判決を下すように、静かに言った。
「君はダルタインの娘だと私は思う。だが、絶対にその証明はできない。そして、ダルタインが君に会うことも、認知することもない。それが私の話せる君の出生についての全てだ」
エレカは呆然とその言葉を反芻して、なんとか意味を汲み出そうとした。
父親に断絶され、母親は隠された。
ああ──エレカは俯き、両手で顔を覆った。
そこには何もなかった。
出生の秘密を知った先には、誰もいなかった。
「私は──ひとりぼっちなんだ」
エレカは呻くように言った。
──エレカ……かわいそうな子だよ。
養母の別れ際の台詞が頭の中にぽつんと響く。
その残響はやがて黒々としたうねりとなって、エレカのお腹の中にとぐろを巻いた。それは重くて、苦しくて、気持ち悪くて、痛かった。エレカは必死で抵抗する。出てってよ。私から、出てって。でも、いくら呼びかけてもそれはそこにいたままで、どんどんと彼女の中でその大きさを広げ、重さを増していく。黒さを増していく。うねりを増していく……。
エレカは心の中で叫ぶ──嫌だ。やめて。気持ち悪い。来ないで。呑まないで。
私を殺さないで!
「……飲みな」
トン、と目の前に何かが置かれた音がする。目を開き、手の覆いを外すと、目を焼くような太陽の日差しと共に、ワインの入ったグラスが視界に入ってきた。
「えっ……」
戸惑うエレカの顔を、ノイスはじろじろと覗き込む。
「なんだ泣いたわけじゃないのか。大した奴だ。まあ……ほら、これ飲んで全部流せ」
「私……未成年ですけど」
「誰も見てないし、君はミクシアンだろ。平気だ、平気」
ミクシアはアルコールの分解を速める機能があり、ミクシアンに下戸はいないらしい。それでもノイスの態度が大人とは思えない無責任さなのは変わらない。
ただ──その鮮やかな紫色をした液体にエレカはなんだか無性に惹かれた。
「……ありがとうございます、いただきます」
恐る恐るグラスを手に取り、ほとんど見よう見まねで唇をつけて、傾ける。
そして、ワインが口の中に入ってきた瞬間、今まで感じたことのない、アルコールの粘っこい匂いと熱いような味がエレカの舌をついた。
「うっ……」
未知の風味に喉が痙攣し、胃の底からどっと気持ち悪いものが湧いてくる。
とても耐えきれずにエレカは席を立ち、桟橋の端に走って行くと、跪いて海に嫌なものを全て吐き出した。酒も、涙も、涎も、鼻水も、胃液も、汚いもの、全て、全て、全て──。
「うっ……うっ、ううう……ううううううう……」
彼女は泣いた。エレカの汚穢を浴びて尚、海は悠然と揺れ続ける。今や、エレカを慰めてくれるのは、この自然しかないような気がした。飛び込んで楽になりたいとすら思った。
でも、ダメだ……この命は顔も知らない母親と、ばあちゃんが繋いでくれたものだから。
エレカは悪い夢を振り切って大きく息を吐くと、涙を拭って振り返った。
「ノイスさん……あ、あれ?」
しかし、そこにノイスの姿はなく、あるのはホテルの入場パスと割れたワイングラスだけだった。
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