第17話 保見のわがまま

「常葉に嫌がらせするためにこの体を壊さず、常葉を生かしてきたがな……それももうおしまいだ……。見せてやろう、柳。弟弟子の体が木端微塵になるところをな……お前のせいで常葉は死ぬんだ……」

「常葉はもう死んださ」

 柳は常葉の皮を被った神羅をまっすぐ見つめながら言った。そして、親指で胸の左側、心臓を指して見せた。

「見ていろ!」

 神羅は霊力を集中させ、常葉の体を突き破り、本当の姿を現そうとした。だが、その瞬間、体の動きがぴたりととまり、集中させていた霊力も散り散りになってしまった。「貴様何をした」と叫ぼうとしたが、口も全く反応しない。そして、その意思とは全く別のことを口は発した。

「済まないな、柳。頼む」

 これは神羅の言葉では無かった。常葉だ。今常葉は体を取り戻し、神羅を体に封じ込めているのだ。

(貴様……ひっこめっ……)

 神羅は常葉に語りかけた。

(この死にぞこないが……貴様などすぐに殺してやるものを……)

 神羅は様々な悪態をついたが、常葉は相手にしなかった。常葉の表情は穏やかだった。真っ直ぐに柳を見つめていた。

 柳は懐から脇差を取り出し抜くと、鋭い刃を常葉へ向けて走り出した。神羅は常葉の中でもがき暴れまわったが、常葉の体にしっかりと固定されており、どうすることもできない。常葉は残された霊力を振り絞って神羅を自身の体に縫いとめていた。


 直立不動の常葉へ柳の刃が迫る……。あと三歩というところで異常が起きた。天から大量の花弁が、常葉と柳の間に降り注いだ。甘い香りと鮮やかな色彩が柳の目の前を遮る。次の瞬間、柳の前進を拒むかのように今度は強い風が天から吹き付けてきた。大量の砂埃が舞い上がり視界が悪くなる。「くそっ」と叫びながら、柳は我武者羅に常葉目がけて突進した。


ざくっ……


 肉を刺した手ごたえがあった。確かに、刺した。柳は肩で息をしながら、手の先にあるであろう姿に目を凝らした。巻きあがった砂煙が晴れていく……そこには常葉の姿があった。柳の刃は、常葉の左脇腹に刺さっていた。しかし、常葉はその刃を両手でしっかりと握っていた。刃は深くは届かず、手に押しとどめられて急所を外れていた。はっとして柳は常葉の顔を見た。常葉は意地悪い笑みを浮かべていた。常葉の体はまた神羅に操られてしまった。きっと常葉は霊力を使い果たして、神羅を抑え込む限界を超えてしまったのだろう。……駄目だった……失敗した……柳は一瞬にしてそれを悟った。殺される。次の瞬間、そう思った。

 柳は素早く常葉から距離をとって身構えた。もはや逃げ切れないと思ったが、それでも最後まで抗ってやろうと思った。常葉は脇腹の刀を投げ捨てると、柳へ向かって両手で閃光を放った。一発目、二発目と柳は飛びのいて交わした。どんどんっと轟音とともに地面がえぐれ、木々が消し飛んだ。三発目は左腕をかすり、四発目を危ういところで交わしたが五発目に反応が遅れた。不安定な態勢で、もはや交わしきれないと悟った一瞬、ばっと何かが柳の目の前に覆いかぶさり常葉の閃光を受け、はるか後方へと吹き飛ばされた。次の瞬間、巨大な雷が天から降り注ぎ、常葉と柳の間をえぐった。

「誰だ!?」

 常葉は天を仰いだ。くるくると旋回しながら、白い獣が降りてきた。その背から、一人の少女が飛び降り、常葉の目の前に着地した。

 長い黒髪をなびかせ、凛とした表情の少女が、真っ直ぐに常葉を見つめていた。

「保見……」

 常葉は驚いた様子で保見を眺めていた。

「オレを……助けてくれたのか? さっきの大風……あれはお前の仕業だな?」

 保見は黙って頷いた。


「師匠!」

 背後で柳の叫び声がした。さっき自分をかばって閃光に打たれたのは麒一だったのだ。駆け寄って麒一を抱き起こすと、弱弱しく呼吸をしていた。

「師匠! 師匠! しっかりしてください! ……すみません……すみませんっ……失敗しました……僕は……」

 涙を浮かべる柳を、うっすらと開けた瞳で麒一は見つめた。そっと柳の頬に手をおくと、

「気にするな、柳……。わしはもう十分生きた……。保見ちゃんじゃ……保見ちゃんが……」

「保見が?」

 柳は涙で震える声で問いかけた。

「見える……見えるぞ、柳……」

「師匠? 未来が見えているのですか?」

 麒一は満足そうに笑顔で頷くと、にっこりと目を閉じた。そしてそのまま動かなくなった。

「あぁ……」

 と柳はうなだれて、麒一の体をそっと地面に横たえた。


「ごめんなさい……間に合わなかったの……。麒一さんはきっと、こうなることを知ってたんだと思う……。柳さん、ごめんなさい……」


 保見は涙を浮かべながら、柳にそう言った。


「邪魔をした……保見。お前は……今までの計画を全て台無しにしたんだ……それはどういうことか、分かるな……」


 柳は震える声で言いながら立ち上がった。

「お前はそっち側につくんだな、保見」

 柳は泣きながら怒りに震えていた。

「そうさ。保見はお前たち人間じゃなく、オレを選んだんだ。保見、そうだろ? さぁ、柳を殺してしまえ」

 常葉はにやりとしながら意地悪くそう言ったが、保見は常葉の方を振り向くと、真剣な顔で首を振った。

「保見?」

 常葉は訝しげに呼びかけた。

「私、全てを思い出したの。神羅。あなたが私にしたことも全部知ってる。嘘の記憶を私に植え付けたこと……許せない」

 常葉の表情が一気に曇った。右手を構えようとしたがすかさず保見が術をかけ、動きを封じた。

「お前……これほどの力を……まさか……」

 神羅は驚きおののいた。神羅の力では破ることができないほどの力で、保見の術は神羅の体を束縛した。

「でも……孤独だった私の願いを叶えてくれようとしたことは、嬉しかった……。それは間違った方法だったって今では思うけど……共に生きてくれようとしたことは、嬉しかったの……だから、あなたを殺したくは無いの……」

 保見は静かに言った。

「柳さん、ごめんなさい……私、さっき柳さんの邪魔をした……。でも、私、失いたくなかったの……先生のことも、神羅のことも……柳さんのことも」

 保見は柳の方を振り返り、

「わがままだよね?」

 そう言うとぽろぽろと涙を落とした。その姿に、柳は何も言えなかった。

 保見は神羅へ向き直って、そっとその体に右手を置いた。

「先生は、まだ生きてるんでしょ? この体の中に、先生を感じるの……。お願い、先生に会わせて。……先生を返して……」

 保見は神羅の目を真っ直ぐ見つめて訴えた。その瞳は涙でうるみ、いつも以上にキラキラとして見えた。どんな宝石よりも輝いていた。神羅は、そんな保見の姿が他の何よりも美しいと思った。

(最初からオレは、保見に惹かれていたんだろうな……抵抗する気にもなれない……)

「分かった」

 神羅は言った。

「オレは……保見、お前と一緒にいたかったんだ。人間にこんな気持ちを感じたのは初めてだったよ。色んな楽しいことを教えてやろうと思ったんだ……。でも、お前を悲しませてしまったんだな……」

「うん……。今まで何度も助けてくれた……有難う……。でも、私、先生に言わなきゃならないことがあるの……。お願い。先生を返して……」

 常葉は穏やかな表情のまま目を閉じると、一瞬、がくっと首をうなだれた。しかしすぐに顔を起こして目を開いた。

 常葉は目の前の保見を見つめた。そして少し離れた柳の方へ目をやった。そして、自分の両手をじっと眺め、指を開いたり閉じたりした。そして何かを訴えるような眼差しを保見に向けたが、言葉が出てこない。震える唇をぐっと結んで、首を振った。

「先生?」

 保見は泣きそうな笑顔で常葉の顔を覗き込んだ。常葉は何も言わず、一度だけ頷いた。

「先生の馬鹿!」

 保見はそう怒鳴ると、常葉に飛びついた。

「馬鹿馬鹿! 先生の馬鹿! もう、どこにも行かせないんだから……今度置いて行ったら承知しないんだから……ずっと一緒に……ずっとそばにいるんだから……」

 保見はエンエンとまるで子供のように泣きじゃくりながらそう叫んだ。常葉は言葉も無く、保見をしっかりと受け止めていた。常葉も言葉が出てこない程に泣いていたのだった。

 その様子を脇から眺めていた柳は、がっくと地面に崩れ落ちた。常葉が戻ってきて嬉しいのか、師匠が亡くなって悲しいのか、まだ常葉の体の奥に潜む神羅を警戒しているのか、様々な感情が湧き上がりすぎて、何が何だか分からなくなっていた。


「済まなかった……本当に……ごめんな……」


 やっと言葉がでるようになると、常葉は保見に語りかけた。

「許さない!」

 保見はそう言いながら、常葉にしがみついて離そうとしなかった。


 柳は目の前の常葉と保見を物憂げにみつめてから、そっと麒一の骸を抱きかかえて森の奥へと黙って姿を消した。常葉は一瞬、保見から視線をそらしてその背中を黙って見送った。



 柳の後を追うように、雷獣が続いた。

「いいのか? あいつをあのまま放っておいて……まだ神羅は死んではいない……」

「あぁ……」

 柳の表情は暗かった。

「神羅は復活するだろうな……」

 柳の言葉に雷獣は顔をしかめた。

「あいつは……もう長くない……」

 柳は険しい表情で歩き続けた。

「常葉は……もうそう長くは生きられない……最後の霊力は使い果たしてしまっているはずだ。それは常葉も保見も知っているはずだ……だから後はきっと……保見が何とかする……だから、いまはそっと二人にしてやるのさ」

 柳はスンっと鼻をすすると、雷獣を振り返って言った。

「君にもお世話になったね。有難う。もう、好きにしていいよ。僕を喰いたければ喰うと良い。僕は抵抗しないよ」

 ふんっと雷獣は鼻を鳴らすと、顎で自身の背中へ乗れと合図した。柳は驚いたが、ふっと笑うとその背中に麒一を乗せ、自分もまたがった。

「眺めの良い谷を知ってるんだ。そこに埋めてやればいい」

「……そうか。有難う」



「先生、ねぇ、私、大きくなったでしょ?」

「あぁ……」

「綺麗になった?」

「あぁ……綺麗なお嬢さんになったな保見。あんなに小さかったのになぁ……」

 保見は恥ずかしそうにえへへと笑った。その笑顔は子供の頃と変わらないな、と常葉は思った。

「ねぇ、先生、約束、覚えてる?」

「約束?」

「忘れたの?」

 保見は怒ったように常葉に詰め寄った。

「将来、私を先生のお嫁さんにしてくれるって、言ったじゃない!」

 常葉は目をまんまるにして茫然としてしまった。

「思い出した? 先生」

 保見は無邪気に微笑みながら常葉を見つめた。そんな保見を見て、常葉は切なそうな表情になると、

「でもな……保見。オレはもう……」

 と言いかけたが、保見は右手の人差指をたてて常葉の口元に添えて、首を横に振った。その先は言わないで、と保見の目は常葉に語りかけていた。

「保見……オレはお前に嘘をつきすぎた……これ以上……嘘をつくことはできないよ……」

 常葉は苦しそうに言った。

「嘘じゃないわ……最後くらい……夢を見させて……お願い」

 保見はぎゅっと常葉を抱きしめた。

「ずっと一緒だって、そう言って……」

「保見……」

「もうどこにも行かないって……そう言って……」

「ほみ……」

「大好きだって……そう言ってよ……」

「保見……大好きだ。本当だよ」

「うん」

 常葉は優しく、優しく、保見の頭を撫でてやった。保見はすっかり安心しきっていた。自分にかけられた忘却術と記憶術を破るのに相当の霊力を消耗していたこともあり、張り詰めた緊張の糸が切れたとたんに疲れが押し寄せてきた。保見は常葉の胸に顔を埋めて、頭の愛おしい感触を感じながら、いつまでもこの時が続いたらよいのに、と考えながら両目を閉じた。そして、常葉をぎゅっと抱きしめたまま、いつの間にか眠ってしまった。

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