第19話 銀の銃弾

「マーガレット!」


 アルテナは黒い大蛇の強襲を躱しながらマーガレットの名を呼び続けた。

 早く彼女の元まで行かなくては。しかし、目の前の怪物がそれを許してはくれない。


 橋の上に這い上がってきた黒い大蛇は、大きく開いた口でアルテナを丸呑みにしようとしてくる。あの勢いで迫りくる巨大な異形の牙を防ぐ手立てはない。防御しようものなら圧倒的な体格差でそのまま弾き飛ばされるだろう。回避に徹するしか方法がないのだ。

 アルテナが飛び退った場所に大蛇の頭が激突する。橋の一部が砕け、無軌道に散らばる瓦礫が手や脚を掠めた。


「くっ……! このっ!」


 回避行動の動きを利用して大鎌を振る。ギリギリのところで黒い大蛇の胴体に届いたが、浅い。表皮を薄く裂いた程度だ。

 体勢を立て直して第二撃を見舞おうとするも、黒い大蛇の反応はそれよりも速かった。橋の表面や欄干を削り取りながら巨体が離れていく。

 アルテナが大鎌を構え直した時には、既にその全身は川中に没していた。

 一時的に黒い大蛇の姿が消えたことで、目の前の視界が開ける。


「マーガレット!」


 急いで彼女の姿を探すが、何処にも居ない。あの青年の姿も消えていた。


「遅かった……! あいつに拐われたのね……!」


 アルテナは強く歯を食いしばる。自分が付いていながら、なんという失態だ。

 恐らく、あの男こそがこのリヴァーデンを生み出した元凶だろう。牧師の手記にあった【堕天使】とは、あいつのことに違いない。

 敵の正体が分かったことは朗報といって良いだろうが、それを喜ぶ気にはなれない。なんとしても、マーガレットを救い出さなければ。


「けどその前に、まずはこいつね」


 アルテナは腰を落とし、再び大鎌を構えた。

 あの黒い大蛇はまだ川中から姿を現さない。しかし、このままアルテナを逃がすつもりはないだろう。【堕天使】の意を受けた使い魔は今やサーヴスなど眼中になく、ただただアルテナのみを狙っている。


「さあ、どこからでも来なさい」


 耳を澄まし、水面に意識を集中して敵の攻撃に備える。どうしても受け身になってしまう今の状況は不利だが、そこを逆に利用して後の先を取ってやる。

 五感の全てを張り巡らし、その瞬間を待つ。


 ――ポチャン!


「はっ!?」


 水音がした方へ反射的に振り向く。

 ……が、そこにあったのは黒い水面に広がる波紋だけだった。


「しまっ……!」


 引っ掛けられたことを悟った瞬間、アルテナの背後から轟音が上がる。

 吹き上がる水しぶきと共に、アルテナの周囲に巨大な影が落ちた。


(どうする――!?)


 アルテナの心に迷いがよぎった。躱して、カウンターで斬る。その動きのシミュレートが瞬時に何通りも脳内に浮かぶが、敵影を視認できていない所為でどれも確実性に欠け、選ぶのを躊躇ちゅうちょする。

 たった一瞬、束の間の逡巡だ。だが戦いでは、その一瞬こそが命取りとなる。

 それが分かっていながらも、アルテナはその愚を犯してしまった。


(駄目、間に合わ――!)


 心を絶望が染めようとする。


 ――ガァン! ガァン!


 その瞬間、稲妻のような音が奔った。同時に二本の銀色の線が飛来して、アルテナの背後に迫る影を貫く。

 鈍った鳴き声が聴こえ、影の動きが止まった。


「今だ、アルテナ!」


 何処からか背中を押す力強い声が飛んでくる。その瞬間、アルテナの中から絶望も迷いも消え去った。


「――ッ!」


 軸足を起点に身体を反転させ、そのまま跳躍する。目と鼻の先まで迫ってきていた黒い大蛇は、アルテナの動きに対応できずフラフラと前後不覚に陥ったように頭部を揺らすだけだ。

 そこに二つの大穴が空き、墨汁のような体液が勢いよく吹き出しているのをアルテナは確認した。

 思わず、口元が緩む。

 やはりあの人は、いざという時とても頼りになる。


「ハアアッ!」


 気合いと共に大鎌を一閃させる。手応えは、ほとんどなかった。

 橋の上に着地し、振り向いて残心を示した時、黒い大蛇の頭部がすらりとスライドして胴体から離れる様が見て取れた。

 首から身体を両断された黒い大蛇の亡骸が、闇色の川へ落ちて沈んでいく。大量の黒い水しぶきが橋の上に降り注ぐ中、アルテナは銀の閃光が飛んできた先を見つめていた。


「遅いですよ、先輩」


「すまんすまん、退屈を紛らわせる為に一眠りしてたんだ」


 先ほどまで自分が居た、橋の終わり際。そこに二丁の拳銃をくるくると指で弄び、不敵な笑みを浮かべる黒髪の青年が立っていた。

 黒のスラックスに灰色のベスト、その上にえんじ色のフロックコートを羽織った若い男。一見すると戦いの装束には見えないが、服の裏には裏地として聖別された皮革がまんべんなくあしらわれており、怪物に対する一定の防御力を確保している。これは、自分のブレザーやシフォンスカートと同じ仕様だ。

 すなわち、【イービル・イレイス】の一員であることの証である。


「起きたらなんかこっち方面が騒がしかったから見に来たんだが、どうやら正解だったようだな。無事な顔を見られて嬉しいぜ、アルテナ」


「わたしも同感です。もう少し早く起きて下さったら、一気にこの件を片付けられたかも知れないですけどね」


「おいおい、危ないところを助けてやったってのに随分な言い草だな。もうちょい先輩に敬意と感謝を示してくれても良いんだぜ?」


「感謝してますよ、もちろん。初任務の新人を置き去りにして、勝手気ままにひとりで先走って、肝心な時だけ欠かさず駆け付けて下さってありがとうございます、ジーク先輩」


 アルテナの皮肉たっぷりな感謝に、その男――ジークは不敵な笑みで応えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る